村瀨茂高

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村瀨 茂高(むらせ しげたか、1963年[1] - )は、日本実業家旅行会社高速バス、鉄道運営など傘下に持つ「WILLER」の代表取締役社長[2]

略歴[編集]

愛知県名古屋市生まれ。1986年昭和61年)スキーツアーの旅行会社「ラッツインターナショナル」入社。30歳の時に独立し1994年平成6年)西日本ツアーズを大阪市に設立(のちのWILLER TRAVEL。現WILLER)。

2005年楽天バスサービス」社長に就任。2006年1月、WILLERバスを大阪市に設立。4月からWILLER TRAVELとして高速ツアーバス『WILLER EXPRESS』事業を始める[3]。その後、旅行代理店のWILLER TRAVEL京都府の京都丹後鉄道を運営するWILLER TRAINSなどを設立。WILLERグループを連結売上高203億円、社員数847人(2018年)に成長させている[2]

2018年シンガポールに現地法人を設立。2019年令和元年)8月に導入したMaaSアプリは交通手段の検索や予約、QR対応システムで、非予約の鉄道路線バスの決済を可能。このアプリを台湾ASEANで展開することで、多方面からアジアでWILLERの事業を進めている[4]

人物[編集]

愛知学院大学学生時代に[3] 旅行サークルに所属。全国の若者が集まり、交流できるような場を作り[1]スキーダイビング[要曖昧さ回避]などスポーツツアーを手がけていた。高度経済成長期からのスキーブーム時代が続いていた上に、昭和末期のバブル時代バブル景気の時代)が始まりつつあったこともあり、冬一季で学生ら約3000人をスキー場に集客。東急鯱バス(現・鯱バス)に催行してもらっていた[3]

旅行代理店の知人から「君たちは面白いことをやっているから会社を作ったら」と提案された[1] こともあり、旅行業界に就職したが、学生らに人気の低価格ツアーは宿泊先も旅行代理店も低収益の上に、利用客の満足度も低いことを痛感。また、勤務先との方向性の違いを感じて、30歳のときに起業を決意[1]。「適正利益を得られ、顧客満足度も高く、社会貢献できる旅行商品とは何かを熟考し」て退社。高速ツアーバス事業を起業した[3]

なお、祖業であるバス事業については、楽天で旅行事業を担当していた平山幸司2008年、村瀨の右腕としてヘッドハンティング。平山は入社後1年間で高速ツアーバスの全国路線網をつくり上げ、2012年にWILLER EXPRESS JAPAN(現WILLER EXPRESSを設立し、2016年に社長に就任した[5]

なお偶然にも、村瀨が1994年に西日本ツアーズを起業し、主力の大阪発東京ディズニーランドツアーを販売していた時、平山は近畿日本ツーリストの社員で1998年平成10年)から、同じ東京ディズニー行きツアーの企画を担当していた[6]

この縁について平山は後日、「いつも(自分の企画したツアー商品を)マネして安売りをする迷惑な会社だなと、当時は思っていました(笑い)」と当時の競争について、懐かしく振り返っている[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]