時には娼婦のように

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時には娼婦のように
黒沢年男 (現:黒沢年雄)シングル
リリース
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
チャート最高順位
黒沢年男 (現:黒沢年雄) シングル 年表
やめなよ
(1977年)
時には娼婦のように
(1978年)
仮面舞踏会
(1978年)
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時には娼婦のように
なかにし礼シングル
リリース
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル フォーライフ
チャート最高順位
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時には娼婦のように」(ときにはしょうふのように)は、1978年2月10日日本俳優歌手である黒沢年男 (現:黒沢年雄)と、作詞家・歌手であるなかにし礼の競作として発売されたシングル。また同年9月に同名の映画も公開された。

解説[編集]

作詞・作曲はなかにし礼。黒沢の歌謡曲における代表作となっている。

1977年11月1日に当時フォーライフの社長だった吉田拓郎が、なかにしにアルバム製作を依頼し、なかにしが全曲作詞・作曲・歌唱したアルバム『マッチ箱の火事』がフォーライフから発売された。本曲はこのアルバムからのシングル・カットである[1][2][3]。黒沢歌唱版となかにし歌唱版のシングルは同時発売となった。拓郎からなかにしに出された条件が「作詞だけでなく、作曲も歌唱もしてくれ」だったため、専業作詞家のなかにしが珍しく、作曲も歌唱もしている[4]。ショッキングな歌詞で、黒沢も尻込みして嫌がるほどであったが「賛同者は拓郎一人だけだった」となかにしは話している[5]。なかにしは「ニューミュージック歌手の中には、テレビに迎合する者も少なくなかった」[3]「彼らは去勢されたような声を出して歌っていた」[5]「そんな音楽界に対するアンチテーゼとしてつくった」「当時台頭していたニューミュージックへの挑戦状だった」などと述べている[3]

性的な歌詞できわどい内容であるが、男女間の感情をうまく表現した歌としてヒットし、黒沢盤の累計売上は70万枚[6]に達した。ただそのきわどい内容ゆえに、後に日本民間放送連盟における要注意歌謡曲指定制度にて「時間帯・視聴対象により要配慮」という扱いとされたが[4][7][8]、比較的ゆるい制限がなされたとされる[4]。このため黒沢がテレビのゴールデンタイムの内、20時台、21時台のテレビ番組ではよく歌った[4]。黒沢は歌唱の際に、照れくさそうに下を向いたままだったり、頭を掻いたりで落ち着きがなかった[4]。また、なかにし礼盤も40万枚を売り上げた[9]

黒沢盤のオリコンチャートの最高位は2位である。1978年4月3日付チャートでTOP10入りし、5月8-22日の3週連続で2位にランクされたが、いずれもピンク・レディーサウスポー」により1位獲得は阻まれた。同年の年間チャートでは12位である。

収録曲[編集]

黒沢年男盤[編集]

  1. 時には娼婦のように (03:20)
    作詞・作曲:なかにし礼/編曲:萩田光雄
  2. あやまち (03:14)
    作詞:なかにし礼/作曲:浜圭介/編曲:小杉仁三

なかにし礼盤[編集]

  1. 時には娼婦のように (03:24)
  2. 白い靴 (03:25)

カバー[編集]

映画版「時には娼婦のように」 [編集]

作詞作曲を担当したなかにし礼自身の歌唱による「時には娼婦のように」を主題歌として映画化したもの。1978年9月公開、成人映画。なかにし礼はこの映画において原案脚本音楽のほか、主演も担当している。製作・配給は日活。監督は小沼勝。出演は、なかにし礼・鹿沼えり宮井えりな水島美奈子大信田礼子越美晴ほか。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 【1978年5月】時には娼婦のように/ヤバすぎてテレビで歌えない?黒沢年男 事故で予感
  2. ^ 「昭和歌謡黄金時代 作詞家 なかにし礼の世界」NHK BS2、2012年8月8日放送
  3. ^ a b c なかにし礼「時には娼婦のように」 世間の常識にノン
  4. ^ a b c d e 石橋春海『封印歌謡大全』、三才ブックス、2007年 ISBN 9784861990663 pp.166 - 167
  5. ^ a b 「特集 昭和ですよ!」『kotoba』2013年冬季号、集英社、p.43
  6. ^ 産経新聞』1999年2月27日付東京夕刊。
  7. ^ 吉野健三『歌謡曲 流行らせのメカニズム』晩聲社 (ヤゲンブラ選書) 、1978年、131-132頁。
  8. ^ 放送禁止歌』(森達也著、光文社文庫、2003年)pp.70 - 71
  9. ^ 『知識』1990年7月号、140頁。NDLJP:1795333/72