旧朝倉家住宅

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旧朝倉家住宅
(2015年5月22日撮影)

旧朝倉家住宅(きゅうあさくらけじゅうたく)は、東京都渋谷区猿楽町に所在する歴史的建造物(民家)。重要文化財に指定されている。

概要[編集]

旧朝倉家住宅は、渋谷区猿楽町、台地が目黒川の谷に落ち込む南西斜面に、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年大正8年)に建てられた。大正期の和風2階建て住宅の趣のある建物と回遊式庭園を見ることができる。現在の所有者は文部科学省である。

当住宅は、大正期に建てられた大規模な邸宅であり、東京都心部に所在する数少ない関東大震災以前の和風住宅である。建物は、主屋が敷地北側にあり、土蔵が西側に、車庫等の附属屋が東側にある配置となっている。主屋の外装材は、屋根が瓦葺き、外壁は下見板張り、部分的に漆喰塗りである。屋内は、床が殆どが畳敷と、接客と家族のための座敷が統一されているが、茶室等の機能の違う部屋の意匠には特徴がある。

主屋は敷地北寄りの中央に位置し、複雑な平面構成をもつ。主屋の主体部は南北棟・1階建の部分と、その西に接続する東西棟・2階建の部分からなる。1階建部分は東面中央に玄関が突出し、これを入ると左手(南)に12畳半の応接室、右手(北)に洋室がある。その西に接続する2階建部分は、1階に南北2列(各3室)、計6室の居室を設けていた。ただし、南列の3室は現在は間仕切りを廃して広い1室となっている。2階は西に15畳の座敷、東に12畳半の次の間があり、その東には廊下を挟んで茶室と水屋を設ける。15畳の座敷は床(とこ)、棚、付書院の座敷飾りを備え、天井は格天井とした格式の高い部屋である。主体部の南西側には「杉の間」と称する座敷部が接続する。主体部の西、座敷部の北には廊下で囲まれた中庭を設け、中庭の西には別棟の土蔵が建つ。「杉の間」は3室からなり、化粧材に杉材を用いている。その北西に接して茶室を設け、茶室の北の小室は大きな円窓を設けることから円窓の間という。円窓の間の北に接して先述の土蔵が建つ。このほか、主体部の北側に内玄関と台所、中庭の北側に家族室がそれぞれ突出する。[1]

沿革[編集]

  • 1841年天保12年) - 朝倉徳次郎生れる。
  • 1869年明治2年) - 朝倉米店開業。
  • 1871年(明治2年) - 杉浦虎次郎生れる。
  • 1885年(明治18年) - 杉浦八郎生れる。
  • 1897年(明治30年) - 杉浦虎次郎、朝倉家の養子となる。
  • 1903年(明治36年) - 杉浦八郎、朝倉家の養子になる。
  • 1904年(明治37年) - 朝倉虎次郎、渋谷町会議員となる。朝倉誠一郎生れる。
  • 1915年大正4年) - 虎次郎、東京府会議員となる。
  • 1918年(大正7年) - 自邸(現・渋谷会議所)建設。
  • 1930年昭和5年) - 誠一郎、馬島ヒサと結婚。
  • 1931年(昭和6年) - 朝倉徳道生れる。
  • 1932年(昭和7年) - 虎次郎、東京府会議長となる。
  • 1933年(昭和8年) - 疑獄事件で虎次郎と八郎召還。虎次郎政界引退。
  • 1936年(昭和11年) - (資)猿楽興行(朝倉不動産前身)設立。
  • 1941年(昭和16年) - 朝倉健吾生れる。
  • 1943年(昭和18年) - 朝倉精米所廃業。
  • 1944年(昭和19年) - 虎次郎逝去。
  • 1947年(昭和22年) - 相続税の支払として自邸売却。
  • 1950年(昭和25年) - 八郎逝去。
  • 1960年(昭和35年) - 徳道、村野美子と結婚。
  • 1967年(昭和42年) - 朝倉家と槇文彦との出会い、「代官山集合住居計画」開始。(株)朝倉商会設立。
  • 1969年(昭和44年) - ヒルサイドテラスA・B棟完成。
  • 1970年(昭和45年) - 健吾、山口玲子と結婚。
  • 1973年(昭和48年) - ヒルサイドテラスC棟完成。朝倉不動産(株)設立。
  • 1977年(昭和52年) - ヒルサイドテラスD・E棟完成。誠一郎逝去。
  • 1985年(昭和60年) - アネックス完成。
  • 1987年(昭和62年) - ヒルサイドプラザ完成。
  • 1992年平成4年) - ヒルサイドテラスF・G棟完成。
  • 1998年(平成10年) - ヒルサイドウエスト竣工。[2]

保存[編集]

現在の旧朝倉家住宅用地は、ヒルサイドテラスに隣接している。もともと、ヒルサイドテラスの用地は朝倉家の用地であったが、大正期の和風住宅の保存を望む同家の家族と建築家槇文彦によって、朝倉家住宅の保存とその周辺の街づくりが行われた。

保存にかかわった鈴木博之は以下のように述べている。

旧朝倉家住宅の保存で特徴的なのは、明治建築ではなく大正の建物であること。この時代の建物は地方にはまだ数多く残っている、しかし、建物の時代の古さだけで評価されるのではなく、質の高さとどこの場所に残されていたかが重要である。そうした考えに基づいて、朝倉徳道朝倉健吾、槇文彦、元倉真琴鈴木博之により保存が行われた。保存後の問題としては、如何にして使いながら保存していくか、どおいった使われ方が好ましいか、建物と一体になった良く残されている庭園を含め進めて行かなければならない。 — 鈴木博之『保存言論-日本の伝統建築を守る-』澤崎明治、市ヶ谷出版社、2013年

庭園[編集]

高低のある回遊式庭園で、添景物である石灯篭等が多く配置され、四季の花も見られ春はツツジ、秋は紅葉等を見る事ができる。

建築概要[編集]

主屋 - 建築面積573.76㎡、木造、一部2階建、桟瓦葺
土蔵 - 建築面積29.03㎡、鉄筋コンクリート造及び木造、2階建、桟瓦葺
  • 施工者 - 秋元政太郎大工棟梁
  • 所有者 - 日本国(文部科学省
  • 文化財 - 国の重要文化財2005年平成17年)12月27日指定。指定対象は以下のとおり(土地を含めての指定)。[3]
    • 旧朝倉家住宅 2棟 
      • 主屋(附:棟札1枚)
      • 土蔵
      • 附:庭門1棟、附属屋1棟
      • 土地5,419.81平方メートル 渋谷区猿楽町38番の7、同8、目黒区上目黒一丁目80番の1 地域内の燈籠、石組を含む

公開状況[編集]

  • 休館日 - 月曜日、祝日の場合は翌平日、年末年始の12月29日 - 1月3日
  • 開館時間 - 午前10時 - 午後6時、ただし11 - 2月は午前4時30分まで
入館は午後5時30分(11 - 2月は午後4時まで)まで
  • 観覧料 - 一般100円、小中高生50円、年間観覧料500円
団体10人以上、一般80円、小中高生40円
60歳以上の人、障害のある人と付添い人は無料

交通[編集]

鉄道
路線バス
駐車場
  • 駐車場はなく車での来場は不可

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』495号、第一法規、2004、pp.23 - 25
  2. ^ 前田礼著『ヒルサイドテラス物語・朝倉家と代官山のまちづくり』現代企画室、2002年12月25日
  3. ^ 平成17年12月27日文部科学省告示第180号

関連文献[編集]

  • 有田啓識著『朝倉虎治郎翁事績概要』東京朝報社、1935年昭和10年)
  • 林陸朗・佐藤昇・櫻井勇共著『渋谷区の歴史』名著出版、1978年(昭和53年)
  • 朝倉不動産(株)『HILLSIDE TERRACE 25』1992年(平成4年)
  • 通産企画調査会『日本の文化財 写真資料 建造物 下』日本図書センター、1987年(昭和62年)刊復刻版、2008年(平成20年)
  • 佐藤嘉之著『都市公園』 - 国立国会図書館デジタルコレクション - 「整備 重要文化財 旧朝倉家住宅とその庭の保存」東京都公園協会、2010年(平成22年)3月
  • 鈴木博之著『保存言論-日本の伝統建築を守る-』澤崎明治、市ヶ谷出版社、2013年(平成25年)5月30日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度38分50.96秒 東経139度42分3.33秒 / 北緯35.6474889度 東経139.7009250度 / 35.6474889; 139.7009250