恐怖の谷

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恐怖の谷
著者 コナン・ドイル
発表年 1914年
出典 恐怖の谷
依頼者 マクドナルド警部
発生年 1880年代終わり
事件 ジョン・ダグラス殺人事件
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恐怖の谷』(きょうふのたに、原題:The Valley of Fear )は、アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの長編小説の一つである。『ストランド・マガジン』1914年9月号から1915年5月号初出。1914年からニューヨーク・トリビューン日曜版で連載[1]

2部構成となっており、第1部で事件の概要と解決に至るまでのホームズの推理を、第2部で事件の背景となった「恐怖の谷」と呼ばれるアメリカの炭鉱街・ペンシルベニア州ヴァーミッサ峡谷(Vermissa)での事件を記している。日本語訳版では1部と2部の掲載順が逆になっているものもある。

シャーロック・ホームズの終生のライバルとされる、ジェームズ・モリアーティ教授が事件の黒幕にいるとされる。

あらすじ[編集]

ホームズは、ポーロックなる男から数字が羅列された暗号文を受け取り、その解読に当たった。ポーロックは策略に富む男で、ある大物犯罪者とのつながりがある、とホームズが言う。そこに書かれていたのは、バールストン館のダグラスという男に危険が差し迫っている、という内容だった。そこへロンドン警視庁のマクドナルド警部がやって来た。警部はテーブルの上にある解読された文章を見て驚いた。今朝、バールストンに住むジョン・ダグラスという男が惨殺されたことを知っていたのだ。マクドナルド警部は、現地警察のホワイト・メイスン警部からの要請で、ホームズをバールストンへ連れていくために来たのだった。

ジョン・ダグラスは、自分の屋敷の1階で、銃身を切り落として短くした散弾銃によって至近距離から頭を撃ち抜かれ、顔はめちゃめちゃになっていた。寝間着とガウン姿で、スリッパを履いていた。事件の第一発見者であるセシル・バーカーは、ロンドンに住んでいるのだが、よくこの屋敷を訪れていたという。バーカーは、ダグラスとはアメリカで知り合ったと話した。6人の召使たちも、事件には関係ないと思われた。バーカーの話によれば、寝室で暖炉のそばにいた夜11時半ころに銃声が聞こえたので、急いで降りてきて死体を発見したのだが、そこには誰もいなかったという。現場には、凶器となった散弾銃、暖炉の前に落ちていた金槌、「V・V 341」と書かれた紙きれ、窓敷居の上の血が付いた幅広の靴跡、カーテンの裏の足跡、そして片方しかない鉄亜鈴が残されていた。不思議なのは、死体の指にあったはずの結婚指輪が消えていて、金の指輪だけが残っていたことだ。結婚指輪の上に金の指輪をつけていたので、これでは金の指輪を外してから結婚指輪を抜いて、わざわざ金の指輪をつけ直したとしか考えられない。バールストンの屋敷周りには幅40フィートの堀があり、夕方6時には堀を渡るための橋を上げてしまうため、犯人は堀を泳いで逃げたとしか考えられないのだが、屋敷の周囲でずぶ濡れになった人間は見つからなかったという。

やがて屋敷近くの茂みに隠されている、汚れた自転車が見つかった。屋敷の者たちへの聞き取りを進める中で、ジョン・ダグラスがかつて「恐怖の谷」というところにいたらしいことが分かった。ダグラスが熱病でうなされたときに、支部長と呼ばれるある男の名前を口ばしったことも分かった。調査を続けるホームズと別れて、一人で屋敷内を散歩していたワトスンが見たものは、ベンチで談笑しているバーカーとダグラス夫人の姿だった。ダグラス夫人は、夫が死んだことも気にしていないようだった。いろいろ調査したホームズは、セシル・バーカーとダグラス夫人が、共謀して嘘をついているのではないかとワトスンに話した。ホームズが気にしていたのは、行方不明になっている鉄亜鈴の片方だ。彼は、ワトスンのこうもり傘を借りて屋敷に戻り、何かを探そうとした。

年代について[編集]

正典中、序盤ではこの事件が起こった時代は1880年代の終わりであると記されている。ところが第1部の終わりで「20年ほど前の話」として語られる第2部のアメリカでの出来事は1875年に起こったとなっており、矛盾が生じている。

事件が起こった時期を第1部の終わりに記されている通り、素直に1890年代終わりと考える研究者も多いが、この場合、既に1891年に死んでいるモリアーティ教授が黒幕であるという事実と矛盾してしまうため、モリアーティはこの事件に関与していなかったという解釈[2]もある。また、ワトスンはモリアーティについて、本作では聞いた事があるとしているが、1891年が舞台の「最後の事件」ではそれまで知らなかったとしている。この錯誤は、コナン・ドイルが1893年に「最後の事件」を書き、本作を1915年に書いたために起きたのだと考えられる。

ジョン・ダグラスの「1875年のアメリカの事件」という供述を間違いとし、モリアーティの死亡年の方を基準とすれば、アメリカでの出来事が1875年ではなく1860年代頃であるという解釈[要出典]も可能になる。ただし、この時期のアメリカは南北戦争のさなかであるため、描写に幾つかの矛盾が生じる。

もう一つの解釈は「20年ほど前」の基準を、ワトスンがこの事件について記述した時点とすることである。『恐怖の谷』の事件が起こったのは1880年代終わり、出版は1915年であるが、原稿はその間の1895年頃に作られたとする考え方[2]である。

備考[編集]

  • 緋色の研究』や『四つの署名』と同じく2部構成を採っているが、事件の遠因を語った第2部も独立した推理小説として読める作りになっている。また第1部、第2部とも人間入れ替わりトリックが鍵になる。
  • 「バールストン・トリック(バールストン・ギャンビット)」という該当人物を死で隠蔽するミステリ用語が本作から生まれた。
  • 「自由民団」の支部を隠れ蓑にヴァーミッサを牛耳っていたならず者集団「スコウラーズ」とボスの州議員ジャック・マギンティは、ペンシルベニア州ポッツビルに実在したアイルランド人移民のグループ「モリー・マグワイアズ」とパトリック・ドーマー委員長をモデルにしており(全く同一の町を基にした小説「ポップ1280」がアメリカで執筆されている)、第2部で語られる、蹂躙されていた町を探偵が介入して解放する事件も史実に基づく。「ニューヨーク中央探偵局」の「ジャック・マクマードこと探偵バーディ・エドワーズ」はピンカートン探偵社のジェームズ・マクパーランがモデル。

脚注[編集]

  1. ^ 特別展「Novelists and Newspapers: The Golden Age 1900-1939―新聞の中の文学:黄金時代1900-1939」”. 東京大学 (2017年4月27日). 2020年1月13日閲覧。
  2. ^ a b ウィリアム・ベアリング=グールド『詳注版シャーロック・ホームズ全集』4、小池滋訳、筑摩書房〈ちくま文庫〉、1997年、257-259頁。ISBN 9784480032744

関連項目[編集]