徳川いれずみ師 責め地獄

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徳川いれずみ師 責め地獄
Inferno of Torture
監督 石井輝男
脚本 石井輝男
掛礼昌裕
出演者 吉田輝雄
小池朝雄
橘ますみ
片山由美子
芦屋雁之助
音楽 八木正生
撮影 わし尾元也
編集 神田忠男
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1969年5月3日
上映時間 96分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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徳川いれずみ師 責め地獄』(とくがわいれずみしせめじごく)は、1969年公開の日本映画R-18(旧成人映画)指定[1]吉田輝雄主演、石井輝男監督。東映京都撮影所製作、東映配給。併映『懲役三兄弟』(菅原文太主演、佐伯清監督)。

概要[編集]

石井輝男監督による"異常性愛路線"第6作[2]江戸時代、兄弟弟子の二人の刺青師が、腕と名誉をかけ美しい女体の柔肌に掘った刺青で腕を競う[1][3]。この過程で、串刺し、ノコギリによる首切り、女体逆さ吊り、白人女の人間屏風、女体凧あげ、竹のしなりで空中股裂き、人間針ねずみ、女体ワイン熟成、三角木馬水車責め等々、23種に及ぶ責めの極致が展開される[1][4][5][6]。内容の過激さゆえに主演女優が撮影途中に行方不明になったり、東映京都撮影所(以下、京撮)で、石井監督排斥運動が表面化し[4][7]現場が混乱寸前に陥ったいわく付き映画としても知られる[4][8]

あらすじ[編集]

徳川時代の苛酷な刑罰に苦しみ、消えていった男と女。それを物語る墓石の列。そこに真新しい柩を掘り起こし、狂ったように腹を引き裂く女が..。その手に握られた鍵で冷たく食い込む鉄の貞操帯を外そうとするがポキッと折れてしまう。早くに両親を亡くした女・由美は、残された借金返済がかさみ、与力である鮫島の口ききで大黒屋の奉公が決まった。しかしそこは刺青女がたむろする、一度入ったら抜け出すことの出来ない世にも恐ろしい売春宿だった[4][8][9][10]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

製作経緯[編集]

企画[編集]

企画、及び映画タイトル命名は、当時の東映企画製作本部長・岡田茂(のち、同社社長)[3]。「このタイトルで行け!」と岡田が命じ製作がスタート[3]1968年の全三話からなるオムニバス徳川女刑罰史』の第三話「刺青責め」を全面展開した[11]。手掛けた映画を全部当てる石井輝男を岡田は「映画の天才」と呼び[3]、当時のラインアップの穴の空きそうなところは全部"石井物"と書き、絶大な信頼を置いていたといわれる[3]。岡田は本作を興行の重要週間である1969年のゴールデンウィークに配置した[12]

脚本[編集]

岡田の指示を受けた掛礼昌裕プロットを書き石井に提出[3]。石井はここで中盤の山場になる墓場のシーンを一番前に出すことを提案し再構築した[3][13][14]。しかし流れがうまくいかず、石井が過去形で出せばいいと言い、それでもまだ詰まると掛礼がいうと、さらに遡るとどうかと石井が話し、結果、過去から大過去に遡る縦横無尽に一つの世界が出来上がり、京撮の映画文法を逸脱したシナリオが完成した[3]。掛礼は石井の構成力に驚かされた[14]。また長崎出島の猥雑なシーンは当初、ワンシーンだけだったが、石井が途中からもっと膨らませたいと言い出し、撮影に入って書き足した[3]。 

撮影[編集]

主演の由美てる子が逆さ片足吊りなど、悲鳴を上げる過酷な撮影に失踪、行方不明になり[15][16]代わって当時20歳の片山由美子が抜擢された[4][3][17]。片山は『平凡パンチ』で脱いだことがあり本作に脇役で抜擢されていた[18]。別の役で撮影も終わっていたが、数日たって呼ばれて「役が変わった。主役になったから」といわれた[16][19]。どうせ脱ぐなら主役で脱いだ方がいいと喜んだが、吊るされ縛られグルグル回され自分が惨めで涙が出たという[18]前貼りも無い時代で[20]局部には絆創膏を貼った[16]。さらに任侠映画が全盛期の京撮に於いては、ピンク路線は異端扱いで村八分状態だったと話している[18]。片山の主役交代劇は最初から決められていたという見方もある[19]日本人説もあるハニー・レーヌ[21]『徳川女刑罰史』では一介の拷問モデルであったが本作では主役級に抜擢され、夜光塗料入りの刺青を全身に彫られてしまう女を演じる[21]。ハニー・レーヌは本作公開時点ではまだ無名のままだったが[22]、1969年夏、東京12チャンネル土曜深夜の情報番組『ナイト・スポット』のカバーガールに起用され、全裸で番組冒頭に登場し、一気に知名度を上げている[22]

助監督の批判声明[編集]

女優やスタッフを容赦なく扱う石井監督と営利追求だけの映画製作を続ける岡田企画製作本部長に不満を抱く助監督一同が本作撮影中の1969年4月14日、京撮の組合掲示板に声明文を貼り出す事態となった[4][7][23][24][25][26]。これに呼応して朝日新聞バッシング運動を展開した[12]

評価[編集]

マスメディアに多くの醜聞を提供したが興行成績は振るわず[22]。浮気者の映画ファンは"異常性愛路線"にもすぐに飽き[27]、石井の興行的神通力も尽きた[27]。予算も削られ、京都に近い裏日本ロケを行い、石井が信頼できるスタッフだけで完成させたのが、本作と同じ1969年10月19日に公開された『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』だった[27]。しかし排斥運動の影響もあって『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』をまともに相手にしようとする映画評論家は当時皆無で[27]、興行も惨敗。結果、岡田と石井が手掛けた"異常性愛路線"も惨めな終焉を迎えた[25][26][27][28][29][30]。しかし1980年代に入り、アメリカから「カルト映画」という概念の流入により復活、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』をリアルタイムを知らない新しい映画ファンの間で口コミで評判が広がり、"異常性愛路線"も再評価されるようになった[23][27][31]桂千穂が特に本作『徳川いれずみ師 責め地獄』を絶賛し[32]、石井輝男の最高傑作どころか、"日本映画の最高傑作"と評している[3]杉作J太郎は「全世界の映画の頂点」と絶賛し[28]、「すべてが偶発的というか、シナリオがちゃんとあるのに、すべてがアクシデントに見える。狂った人の日常の記録なのかもしれない」と話している[28]。石井作品、とりわけ徳川時代SM映画は諸外国で評価が高い[17][33]。本作が日本より先に海外でビデオ化されるとファッション感覚でライトな入れ墨しか知られていなかった外国人には、日本人が快楽と拷問のための証として背負うエキセントリックな入れ墨に度肝を抜かれた[33]。外国人の娘を誘拐して全身に蛍光色の刺青をほどこし、暗闇の中を全裸で踊るシーンは「まさしく本物の60年代サイケデリア」と言わしめた[33]。2000年代以降、石井作品は欧州、特にイタリアスペインカルト的人気があるという[18]

出典[編集]

  1. ^ a b c 徳川いれずみ師 責め地獄|一般社団法人日本映画製作者連盟
  2. ^ 東映ビデオオンラインショッ プ&ポイントクラブ / 徳川いれずみ師 責め地獄
  3. ^ a b c d e f g h i j k #面白い時代劇、582-583頁。
  4. ^ a b c d e f #映画魂、199-202、339頁
  5. ^ #秘宝20118、54頁、多田遠志「異常性愛路線 この拷問がすごい!BEST5」。
  6. ^ 石井輝男 怒涛の30本勝負!!|渋谷文化プロジェクト
  7. ^ a b 【映画】石井輝男映画魂 公式ブログ: 石井輝男監督
  8. ^ a b #アナーキー、92-93頁、鈴木義昭「東映異常性愛路線」。
  9. ^ #ピンキー、222-223頁
  10. ^ 徳川いれずみ師 責め地獄/東映チャンネル東映異常性愛路線のミューズ 橘ますみ伝説/ラピュタ阿佐ケ谷
  11. ^ #セクシーD、230-231頁、藤木TDC「刺青映画のおんな」。
  12. ^ a b #仁義なき日本沈没、112-114頁。
  13. ^ #秘宝20118、55頁、柳下毅一郎「掛礼昌裕の仕事」。
  14. ^ a b 「掛札昌裕インタビュー」、『映画秘宝』、洋泉社、2007年10月号、 57頁。
  15. ^ 「由美てる子失踪事件その4」『藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖』 洋泉社、2006年7月、112頁。
  16. ^ a b c 「第5回 生贄の女・片山由美子」『藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖』 洋泉社、2006年8月、112頁。
  17. ^ a b 和製BB”片山由美子さん 今はラジオを通じ声で男性魅了 P-3 日刊ゲンダイ片山由美子 - Asian feast
  18. ^ a b c d #秘宝20132、76-77頁。
  19. ^ a b 「第6回 生贄の女・片山由美子」『藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖』 洋泉社、2006年9月、112頁。
  20. ^ 関本郁夫 『映画人烈伝』 青心社1980年、146-147頁。
  21. ^ a b #セクシーD、234-235頁、藤木TDC「出稼ぎ金髪女優哀史」。
  22. ^ a b c 「第7回 生贄の女・片山由美子」『藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖』 洋泉社、2006年10月、112頁。
  23. ^ a b 妄想の操り師 石井輝男 | プログラム|神戸映画資料館
  24. ^ flowerwild.net - 内藤誠、『番格ロック』を語る vol.3
  25. ^ a b 「〔トップに聞く〕 岡田茂常務 東映映画のエネルギーを語る」、『キネマ旬報』1969年6月下旬号。
  26. ^ a b #ピンキー、220-221頁、「大激突!! 石井輝男監督VS世間の常識」。
  27. ^ a b c d e f #アナーキー、94-95頁
  28. ^ a b c #秘宝20118、54頁、杉作J太郎「岡田茂と石井輝男」。
  29. ^ #悪趣味邦画、276-280頁、ダーティ工藤「日本大衆娯楽映画秘史~その3 男の映画を作り続けた東映の、任侠プロデューサーたち」。
  30. ^ アクションとカルト 二つの顔…石井輝男 : カルチャー : 読売新聞
  31. ^ 『Hotwax presents 和モノ事典 1970's 人名編』 シンコーミュージック・エンタテイメント2006年、21頁。ISBN 4-401-75109-4
  32. ^ 『日本映画テレビ監督全集』 キネマ旬報社1988年、22頁。
  33. ^ a b c #ピンキー、244-245頁「PV映画の海外評価」。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]