座敷牢

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座敷牢(ざしきろう)とは、一般的には私設の軟禁監禁の軽いもの)施設のことである。

概要[編集]

座敷牢は、監獄などのような犯罪者収容のための施設ではなく、単に設置者ないし利用者の私的な理由によって対象を軟禁(監禁)するための施設である。大きな屋敷の一角、離れ、土蔵などを厳重に仕切り、施錠し、収容者が外へ出る自由を奪い、外部との関係を遮断させる仕組みとされていた。

多くの場合において懲罰が目的で無いことから、室内は座敷寝室居間の機能をあわせ持つ部屋)であり相応に快適であるが、収容者が外部と交流する事は厳しく制限された。窓は内部からは外を見られず、逆に屋外からは内部を覗けないよう、高い位置に設けられている。又、出入り口には外部から施錠されている。

便所など衛生設備は室内に設けられる場合もあれば、で代用されることもあった。

利用の形態[編集]

建築物として、作り置きの座敷牢は存在せず(存在すれば単なる牢屋である)、一般には座敷牢に監禁された者が解放、もしくは死を迎えた際には、監禁が表面化しないよう速やかに解体される。

江戸時代やそれ以前であれば大名旗本といった相応の役職にありながら、素行問題などからそれらの行動・権力を制限するために用いられた。主君押込のような風習も見られ、例えば執政に不適な者を押し込めておくために利用された。

明治時代以降であれば華族や豪商などで、本人や家族間に素行不良者や精神状態に不調を来した者が出た際に、監禁するために造られた。出生に問題がある(不義密通の子供など)者を隠匿するために座敷牢に幽閉するというのは、物語などでしばしば扱われる題材であったが、実際に行われていたかどうかは不明。手塚治虫も『奇子』作中にて、当時の地方封建制に絡めて取り上げている。

またヨーロッパなどでも貴族の虜囚(戦争捕虜政治犯)を一定の快適な室内に軟禁ないし監禁する場合があり、ロンドン塔はしばしば内部の建物がそのような用途に用いられた。中には使用人を置く事を許されていたケースもままあったが、これが政治的策謀の延長で暗殺されたりして、そのまま闇に葬られたケースも少なくなかった模様である。似たような境遇としては、鉄仮面(仮面の男)と呼ばれる伝説・作品群も見られる。

日本の制度として[編集]

日本の精神医療史の分野で、遅くとも近世以降の藩の記録などに登場する「座敷牢」(地方によって異なるが「指籠」や「囲補理」など)と、明治初期に各府県で規定されていた「自宅鎖錮」(じたくさこ)、さらに1900年(明治33年)の国家的な制度である精神病者監護法ではじめて規定された「私宅監置」(したくかんち)のそれぞれを、制度的・思想的に必ずしも同等のものとして扱うことはできない。

これはその背景がそれぞれ大きく異なるためである。

関連項目[編集]