川合信水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

川合 信水(かわい しんすい、1867年11月17日慶応3年10月22日) - 1962年昭和37年)7月3日)は、日本宗教家教育者基督心宗の創始者[1]。号は山月[2]

人物[編集]

甲斐国都留郡桂村小沼(現・山梨県南都留郡西桂町小沼)において、父・川合立玄(はるつね)、母・つね(旧名:律)の長男として生まれる[1]

19歳の時、日本の改革を志す。1980年(明治23年)23歳のときにメソジスト教会谷村基督講義所で、勝沼教会牧師の原野彦太郎から洗礼を受ける[3]。この時、勝沼で巌本善治に出会い、巌本の勧めで女学雑誌社に入り、島崎藤村北村透谷徳富蘇峰清水紫琴三宅花圃らと交流した。

1893年(明治26年)に東北学院院長押川方義の弟子になり、東北学院邦語神学部に入学し[4]、1896年(明治29年)に卒業した。1897年(明治30年)に仙台市宮城野で宗教的な体験をする。そして、東北学院作文科の教授、日本地理、歴史科教授になる。1901年(明治34年)に山形県鶴岡市鶴岡日本基督教会の伝道師として赴任した。しかし、ミッションと対立して辞任した。

その後、函館毎日新聞の主筆になる[4]が、重役と対立して辞任する。また、前橋市共愛女学校(現・共愛学園中学校・高等学校)の校長に就任した[4]

1908年(明治41年)には東京の雑司ヶ谷で独立伝道を行う。戸川安宅(戸川残花)の孔子教会や、松村介石の『道』の協力をした。

1909年(明治42年)、京都府何鹿郡(現・綾部市)の郡是製絲株式会社(現・グンゼ株式会社)社長波多野鶴吉の招聘により同社教育係として入社[5]

1927年(昭和2年)1月には『耶蘇基督讃』を著し、基督心宗を創立し、開宗宣言を発表した。1932年(昭和7年)には基督心宗東京教会を設立して、1939年(昭和14年)には六大誓願を発表した。

1948年(昭和23年)には富士吉田市に基督心宗総本山を設立して、1959年(昭和34年)に富士吉田市の初代名誉市民となり[1]、1962年(昭和37年)に死去した。

実弟は、独自の鍛錬法を創始した肥田春充。長男は川合義信(1900-92)、次男は日本近代文学の川合道雄

経歴[編集]

  • 1867年11月17日(慶応3年10月22日) 甲斐国都留郡桂村小沼において誕生
  • 1890年(明治23年) 1年の内に母をはじめ兄弟姉妹家族5人に死別する[1]。メソヂスト谷村教会の初の信者となり、洗礼を受け基督教を学ぶ。巌本善治と出会う。
  • 1890年(明治23年)9月 巌本善治の招きにより[6]東京の女学雑誌社へ入り[4]明治女学校関係者の知遇を得る[7]
  • 1893年(明治26年)2月 東北学院に入り、押川方義に学ぶ[7]。東北学院労働会塾長となる。
  • 1899年(明治32年)12月 -33歳 元会津藩士で東北学院幹部の斎藤壬生雄の長女ちよ(18歳)と婚姻[1]
  • 1901年(明治34年) -35歳 山形県鶴岡町日本基督教講義所の伝道師となる
  • 1901年(明治34年)11月 函館毎日新聞社に入る[7]
  • 1904年(明治37年)6月 前橋市共愛女学校(現・共愛学園中学校・高等学校)へ赴任
  • 1905年(明治38年)3月 前橋市共愛女学校第5代校長となる[1]
  • 1909年(明治42年)4月 -43歳 京都府何鹿郡の郡是製絲株式会社(現・グンゼ株式会社)教育係に赴任。誠修学院を設置し教育総理に就任[1]
  • 1915年(大正4年)1月 父・立玄死去
  • 1924年(大正15年) -56歳 第4回国際労働会議労働代表に選出されるが、体調不良のため辞退[1][4]
  • 1927年(昭和2年) 基督心宗を山梨県富士吉田市下吉田6802番地(不二山荘)に開宗[1]
  • 1959年(昭和34年)12月23日 富士吉田市名誉市民[1]
  • 1962年(昭和37年)7月3日 死去、96歳

著書[編集]

  • 『向上之一路』四方文吉編 四方文吉 1923
  • 『吾が体験の道』生々社 1925
  • 『耶蘇基督讃』尚文堂 1927
  • 『山上垂訓講義及説教』基督心宗宮津道場 1934
  • 『孔子の教育と我が体験』主婦之友社 1946
  • 『山月先生語録』基督心宗東京教会 1952
  • 『三種の十字架 川合信水先生奈良講話』基督心宗奈良支部教会 1955
  • 『神の誠と吾が体験』基督心宗教団本部出版部 1956
  • A Eulogy on Jesus Christ 川合義信訳 基督心宗東京教会 1961
  • 『労働問題の宗教的解決』基督心宗教団事務局出版部 1964
  • 『論語講義』安井英二筆録・編 兄弟学舎 1964
  • ガラテヤ書玄義』山月川合信水先生遺著刊行会 1965
  • 『完全訓講話』内田又一郎筆録 安井英二編 兄弟文庫 1968
  • 『求道の栞』川合義信編 山月川合信水先生遺著刊行会 1968
  • 『治者の道』川合義信編 山月川合信水先生遺著刊行会 1968
  • 『山月川合信水先生御教話覚書』安井英二編著 基督心宗教団事務局出版部 1969
  • 『山月川合信水先生論語教話』正続・続続 基督心宗教団事務局出版部 1970-76
  • 『川合信水先生山月談話』原田美実筆記 基督心宗教団事務局出版部 1971
  • 『信仰人格事業一体観 労働問題の宗教的解決』川合義信編 キリスト教新聞社 1972
  • 『開祖川合信水先生御遺教集 2 大信の英雄押川方義』手塚たけよ編 基督心宗教団本部 1974
  • テサロニケ書玄義』山月川合信水先生遺著刊行会 1978
  • 『押川方義・川合信水両先生往復書翰集』基督心宗教団編 基督心宗教団事務局出版部 1981
  • 『大人と小人』増補8版.基督心宗教団事務局出版部 1985
  • 『野花片片 戦時、病中病後の処感』3版.基督心宗教団事務局出版部 1986
  • 『山月川合信水選集』全7巻 基督心宗教団本部 2007-15
  • 『山月川合信水先生『論語教話』抄』基督心宗教団出版部 2014

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 富士吉田市名誉市民 川合 信水(かわいしんすい)氏”. 富士吉田市. 2012年8月8日閲覧。
  2. ^ 江種 満子「清水豊子・紫琴(二) —「女権」と愛 (PDF) 」 、『文学部紀要』第17巻第2号、文教大学、2004年、 65-91頁、2012年8月8日閲覧。NAID 110000505575
  3. ^ 高橋昌郎著 『明治のキリスト教』 吉川弘文館2003年2月、202-203頁。ISBN 4-642-03752-7
  4. ^ a b c d e 国際労働代表選挙—川合氏が最高点 承認するのは結局田沢氏か”. 大阪毎日新聞 (1922年8月9日). 2013年9月16日閲覧。
  5. ^ グンゼCSR報告書2006 (PDF)”. グンゼ株式会社. p. 5. 2013年9月16日閲覧。
  6. ^ 酒井嘉和. “肥田春充師と日本人の精神性を橋渡しした巨人達 第3回:石井十次 1200人の孤児を救い日本初の孤児院を造った「孤児の父」”. 聖中心道肥田式強健術. 2012年8月8日閲覧。
  7. ^ a b c 本庄豊. “南山城の光芒 新聞『山城』の25年 -19-”. 洛南タイムス. 2012年8月8日閲覧。

参考文献[編集]

  • 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年