岡村吾一
岡村吾一(おかむら ごいち、1907年6月11日- 2000年5月29日)は、日本のヤクザ、右翼活動家、総会屋。暴力団北星会会長。埼玉県行田市出身。「村岡健次」とも名乗った。
経歴[編集]
伊藤成義(鉄火)が主宰する右翼団体・鉄血社をへて、岩田富美夫が主宰する右翼団体・大化会に入った。高崎市を中心とした10[1] の博徒を集めて、上州共和一家を結成した。岡村吾一の兄貴分・武田愛之助が上州共和一家初代総長に就いた。1935年、中国上海で、児玉機関に入り、児玉誉士夫の元で働いた。戦後の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[2]。 1961年、岡村文化部、上州共和一家、寺谷一家、木村一家、笠間一家など埼玉県、群馬県の博徒を糾合して、北星会を結成し会長に就任した。 ナイトクラブニューラテンクォーターの顧問を務めた。 1973年には、殖産住宅相互事件にからんで、名前を取りざたされた。 1999年5月、自宅に泥棒が入り、現金二億円が盗まれた。 2000年5月29日、死去。享年92。
人物・エピソード[編集]
子・岡村達親(たつお)は大映入社、全日本キックボクシング連盟会長を務めた。
脚注[編集]
- ^ 『近代民衆の記録4 流民』上州遊び人風俗問答(田村栄太郎編)P 214。萩原進『群馬県遊民史』より収録。 答(武田愛之助)私は福島一家の親分乗附の粂七の乾分足門重太夫(cf. 岸重太夫)身内玉屋の跡目ですが、私が預かつてゐるのは、福島一家の外に新井、田島、山名、大和屋、浜川、金子、冷水、大新田、大類、の九家、都合十家です、これを一丸として、私は上州協和一家(原文ママ)をつくりました。
- ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第14号 昭和23年4月13日
- ^ 出典は、東史郎、張慶二郎『大兇ヤクザ伝 飛車角と呼ばれた男 石黒彦一』竹書房、2007年、ISBN 978-4-8124-6639-1 のP.222
- ^ のり一 (@noribiyori) (2022年5月16日). “父の葬儀の日、”. twitter. 2022年5月16日閲覧。 “特別室には葬儀委員長の森繁爺と、戦後以来丸の内日比谷一帯を仕切っていた岡村組の「岡村吾一先生」がいました。志ん朝さんがずっと岡村先生のお相手をしてくださいました。”
岡村吾一関連の書籍[編集]
- 東史朗、張慶二郎『大兇ヤクザ伝 飛車角と呼ばれた男 石黒彦一』竹書房、2007年、ISBN 978-4-8124-6639-1
- 飯干晃一『狼どもの仁義』角川書店<角川文庫>、1984年、ISBN 4041464099
岡村吾一関連のソフト[編集]
映画・ビデオ[編集]
レコード[編集]
参考文献 [編集]
- 山平重樹『義侠ヤクザ伝・藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9
- 山平重樹『一徹ヤクザ伝 高橋岩太郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2004年、ISBN 4-344-40596-X
- 「国会会議録・第080回国会 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第9号」
- 「国会会議録・第046回国会 法務委員会 第30号」
- 「国会会議録・第077回国会 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第22号」
- 山平重樹『ヤクザの死に様 伝説に残る43人』幻冬舎<アウトロー文庫>、2007年、ISBN 4-344-40894-2
- 山本信太郎『昭和が愛したニューラテンクォーターナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス』DU BOOKS、2013年、ISBN 9784925064781