山田雅稔

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山田 雅稔(やまだ まさとし、本名:雅俊、男性1953年(昭和28年)12月27日 - )は、日本空手家公認会計士東京都出身。極真会館松井派)総本部長・東京城西支部長。極真空手八段。東京都立戸山高校を経て中央大学商学部卒業。松井章圭は同大学同学部の後輩。

来歴[編集]

1971年(昭和46年)8月、戸山高校3年生の時、大山倍達率いる極真会館本部道場に入門。大学進学後、第6・9・10・11・12・14回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に出場した。

山田は体が硬く、上段への回し蹴りなどは不得手であったが、三瓶啓二に匹敵する重量級の選手であった。1980年(昭和55年)11月、三瓶と第12回全日本選手権4回戦で対戦した。山田は三瓶の内股や大腿部後ろを狙う全く新しいタイプの下段回し蹴りを駆使して対抗した[1]。本戦・二度の延長戦を通じて審判の旗は両者に一本も上がらず、三瓶が試し割り判定で薄氷で勝利するほど、あと一歩まで三瓶を追い込んだ。それだけの実力を持っていたが、山田には入賞経験はない。

その一方で指導者としての山田は1978年(昭和53年)8月に東京城西支部を設立後、全日本選手権で大西靖人黒澤浩樹増田章田村悦宏[注釈 1]鎌田翔平優勝小笠原和彦森善十朗準優勝、市村直樹を同選手権で何度も入賞させるなど、多数の強豪選手を育て上げた。指導者として名伯楽と評され、城西支部は「チャンピオン製造工場」とも呼ばれている。

著書[編集]

  • 極真空手50年の全技術(ベースボール・マガジン社)
  • 最強の極真空手 城西テクニック編―武道空手の総本山・極真会館の最新組手技術(スキージャーナル)
  • やればできる! 能力開発と目標達成(日本実業出版社
  • 極真対論「勝負の諸相」―山田雅稔vs黒沢浩樹(スキージャーナル
  • 不動産コンサルティングポケットブック(中央経済社
  • 絵でわかる農地・宅地の節税対策(中央経済社)
  • 最新 土地有効活用の実務(中央経済社)
  • 不動産コンサルタント(住宅新報社

指導の特徴[編集]

第一は、大山倍達が大きく時間をさいていた基本の反復や型の稽古を減じ、ボクシングジムで行われていた「スパーリング」を取り入れた事である。山田が城西支部を開設した当時、大山の本部道場では指導員だった中村誠三瓶啓二の下、勝ち負けを争う試合同様、本格的に打撃を与え合う組手を行っていた。このため本部道場生は打撲や前歯の毀損、相互に打ち合った際に拳が激突し手指を骨折するなどの怪我が絶えなかった。大山はプラスティック製の棒を購入し、道場生の組手の際、手に握らせるなどしたが、解決しなかった。山田の導入した「スパーリング」とは、勝敗に拘らず行う、やや力を抜いた組手の事で、安全性が高かった。この「スパーリング」は道場生に極真カラテを戦うべき身のこなしを怪我なく体得させた。これらの練習方法の変更は安全なため、新しい道場生の獲得にも有効で、道場経営は拡大した。山田の導入した「スパーリング」は城西支部から他の支部に伝播した。

第二は、蹴り突きのコンビネーション[注釈 2]の細かい指導をした事である。山田は相手左足の内股へ、左足のローキックから始まり、拳によるフックアッパーのボディブローの指導を行った。また、下段回し蹴りに対するスネ受けの徹底、受け返しの技術などの体系化を行い、これらも指導した[1]。山田自身は体が硬く、上段回し蹴りなどの指導を、当時は軽量級だった鴨志田裕寿・三和純・大賀雅裕、重量級の大西靖人らが代わりにその指導をした。

第三は、極大負荷のバーベルを用いた本格的なウエイトトレーニングを最重視した事であった。大山や三瓶同様、山田はそのようなウエイトトレーニングを好んだ。山田は当時高価だったベンチプレススクワットの機材を京王線代田橋の城西支部道場に搬入し、バーベルの極大負荷による徹底したパワー強化を指導した。山田の叱咤激励による指導の結果、道場生は筋力の増強のみならず、著しく体重が増加した。この成果はすぐ地区大会に現れ、城西支部の選手はしばしば他支部の選手に圧倒的な勝利を収めた。

当時、オープントーナメント全日本ウエイト制空手道選手権大会は開催されていなかったので、無差別のオープントーナメント全日本空手道選手権大会では再延長戦後に10キログラム以上の差があれば、体重判定で軽い者が勝つ事ができたとはいえ、体重の重い選手が絶対的に有利であった。1983年(昭和58年)の第15回全日本選手権で大西は4連覇を狙う三瓶と準々決勝で対戦して、技ありを取り判定勝ちし、その勢いで初優勝を遂げた。以前大西は二年連続で竹降光[注釈 3]川畑幸一ら中量級の本部道場指導員に敗れ、全日本選手権8位内入賞を逃していた。大西が三瓶を破った要因の一つが、極大負荷のウエイトトレーニングによる強大な筋力増強、および見違えるほどの体重増加の成果であった。

第四は、素質ある上背のある選手を開拓していた。山田は、身長180センチメートル・体重80キログラム程度の道場生のうち、素質のある者を見抜き、多大な援助をしつつ、彼らを育成した。山田は城西支部開設当時、法政大学法学部学生だった上背のある大西を、食事や生活の世話を惜しまず援助し、卒業後全日本選手権優勝に導いた。

以上のような山田の指導によって、城西支部から重量級の選手の全日本選手権優勝者を輩出した[2]

主な弟子・門下生 (松井派)[編集]

  • 田村悦宏(湘南支部長)
  • 五来克仁(ニューヨーク支部長)
  • 市村直樹(城西下北沢支部長)
  • 江口芳治(城西国分寺支部長)
  • 田口恭一(城西世田谷東支部長)
  • 川本英児(東京城北支部長)
  • 今西登之彦(横浜北支部長)
  • 中江辰美(埼玉西支部長)
  • 横山誠(北海道函館支部長)
  • 戸田直志(神奈川相模原支部長)
  • 成田武治(横浜川崎支部長)
  • 羽田シゲル(横浜港南支部長)
  • 貝沼慶多(総本部道場正指導員)
  • 小田勝幸(広島県支部長)
  • 池田祥規(城南目黒中央支部長)
  • 山辺光英(東京城西支部師範代)
  • 森善十朗(東京城西支部指導員)
  • 鎌田翔平(東京城西支部指導員)

出身門下生[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1965年(昭和40年)6月14日生まれ。東京都世田谷区出身。城西三軒茶屋支部所属。第8・9回オープントーナメント全日本ウエイト制空手道選手権大会重量級優勝。第21・25・30回オープントーナメント全日本空手道選手権大会準優勝。第24回全日本選手権優勝。第5・6・7回オープントーナメント全世界空手道選手権大会代表(6・7回は松井派主催)。現在は、極真会館 松井派湘南支部長である。
  2. ^ 複数の技を組み合わせ、連続で繰り出し攻撃する事。
  3. ^ 本名は和也。極真会館 松井派鹿児島支部長兼九州本部本部長。指導者として木山仁を世界チャンピオンに育て上げた。

脚注[編集]

  1. ^ a b  『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社1997年(平成9年)、104頁。
  2. ^ 大山倍達監修 『月刊パワー空手』 パワー空手出版社 (現廃刊だが極真会館総本部に保管)など。
  3. ^ 瀬島龍三さん『守一隅 照千里』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]