小屋原町
表示
小屋原町 | |
---|---|
JR駒形駅南口 | |
北緯36度20分41.3秒 東経139度8分40.7秒 / 北緯36.344806度 東経139.144639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 1.77 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,605人 |
• 密度 | 910人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2121[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
小屋原町(こやはらまち)は、群馬県前橋市の町名。面積は1.77km2(2011年9月末現在)[4]。郵便番号は379-2121[2]。
地理
[編集]前橋市の南部、桃ノ木川と広瀬川に挟まれた地域。駒形町に囲まれた飛び地が存在する。中央を北西から南東にJR両毛線が通り、地域内にJR駒形駅が所在する。また南部で群馬県道2号前橋館林線と群馬県道27号高崎駒形線及び群馬県道40号藤岡大胡線が立体交差する。城南地区に属する。
隣接地区
[編集]北は下長磯町、笂井町に、東は上増田町に、南は駒形町に、西は下大島町に接する。
河川
[編集]- 桃ノ木川
- 広瀬川
歴史
[編集]戦国時代頃からある地名である。江戸時代に入ると前橋藩領だった。
年表
[編集]- 鎌倉時代 - 『法然上人行状絵図』巻25に、大胡隆義・実秀父子が小屋原の蓮性を法然への使者とした事が見える[5][6]。
- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以降小屋原村は江戸時代を通じて前橋藩領だった[7]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、下大島村は天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、笂井村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治27年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
- 昭和42年(1967年)5月1日 - 城南村が前橋市へ編入される。そのため前橋市下大島町となる。
- 昭和55年(1980年) - 一部が山王町1-2丁目となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小屋原町 | 646世帯 | 1,605人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]。
町丁 | 区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
小屋原町 | 全域 | 前橋市立笂井小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
教育
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
道路
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2013年2月23日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 50–51.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 366.
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則 - 前橋市例規集 2013年2月23日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 482–483.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1232.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。