和歌浦天満宮

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和歌浦天満宮
拝殿と本殿
拝殿と本殿
所在地 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-24
位置 北緯34度11分29.8秒
東経135度9分51.2秒
座標: 北緯34度11分29.8秒 東経135度9分51.2秒
主祭神 菅原道真
創建 10世紀
本殿の様式 入母屋造
例祭 3月25日
主な神事 初天神など
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楼門
前拝殿
多賀神社本殿(末社)

和歌浦天満宮(わかうらてんまんぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦にある神社天満宮)。法人としての名称は「天満神社」。学問の神とされることから毎年多くの受験生が訪れる。

歴史[編集]

延喜元年(901年)に菅原道真大宰府に向かう途中、海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊した。その時、神社が鎮座する天神山から和歌の浦を望み、2首の歌を詠んだ。その後、村上天皇の康保年間(964 - 968年)に参議橘直幹が大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄り、この地に神殿を建て道真の神霊を勧進して祀ったのが始まりとされる。また、道真が立ち寄った際に、敷物がなく、漁師が船の艫綱を敷物(円座)にして迎えたといい、綱敷天神とも称せられるという。天満宮は和歌浦天神山(標高約93m)の中腹に位置し、菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神として尊崇されている。

なお漁師が船の艫綱を円座にして道真を迎えた故事は神戸市須磨区綱敷天満宮にも伝わっている。明石海峡に近い須磨と紀淡海峡に近い和歌浦の双方を道真の一行が訪れたとは考えにくいが、いずれが道真一行の取ったルートであったかははっきりしない。

全国に天満宮と称する神社は数多くあるが、江戸時代の朱子学者で、徳川家康のブレーンも勤めた林羅山は、元和7年(1621年)、この地を訪れ、和歌浦天満宮は太宰府天満宮北野天満宮と共に由緒がある神社であると言っている。

社殿は、豊臣秀吉の天正13年(1585年)の兵火の後、桑山重晴浅野幸長により再建された。浅野幸長は、慶長9年(1604年)〜同11年(1606年)にかけて天神山の中腹を開墾して社地を造成し、本殿、唐門、拝殿、楼門、東西廻廊などを再建したが、これが現存する天満神社である。本殿奥や楼門前面の石垣も、この時造られたものである。再建された本殿、楼門など4棟が重要文化財に指定されている。本殿は桁行五間・梁間二間の入母屋造で、装飾性の豊かな桃山建築である。正面の楼門は一間一戸門としては最大級で、禅宗様を取り入れている。本殿、楼門等の建築や彫刻には、江戸幕府御大工棟梁の平内政信(へいのうちまさのぶ)が関わった。

文化財[編集]

和歌の浦は和歌山県指定史跡・名勝、ならびに国の名勝に指定されている。

重要文化財[編集]

  • 楼門 - 慶長10年(1605年)の建立。入母屋造、本瓦葺き。
  • 本殿 - 慶長11年(1606年)の建立。紀伊藩主浅野幸長によって再興されたもの。入母屋造、檜皮葺き。蟇股(かえるまた)には動物や草花の彫刻を入れ、建物各所を極彩色で飾る。
  • 末社多賀神社本殿
  • 末社天照皇太神宮豊受大神宮本殿

祭礼[編集]

「筆塚」 に使い古しの筆を奉納し、書道の上達を祈る。

所在地[編集]

  • 〒641-0024 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-24

交通[編集]

周辺[編集]

外部リンク[編集]