吉田冨士雄

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吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5日 - 平成2年(1990年)7月28日)は、山梨県出身の大蔵官僚サントリー株式会社副社長。

経歴[編集]

東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)で、父「吉田健(つよし)」[1]、母「欣子」の長男として生まれる。父親の転勤により小学校5年までを新潟県師範学校附属小学校、小学校6年まで鳥取県師範学校附属小学校、旧制中学校2年まで鳥取県立第二中学校(現在の鳥取県立鳥取東高等学校)に通学。その後、甲府の父親の生家に帰り山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)、昭和18年(1943年)9月に第一高等学校を卒業し東京帝国大学法学部に入学。

短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。昭和19年(1944年)9月海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。昭和20年(1945年)6月、主計少尉に任官され、津海軍工廠に勤務し終戦を迎えた[2]

昭和22年(1947年)3月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に文官高等試験司法科に合格、同年5月に大蔵省に入省し理財局調査課に配属。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格[3]。昭和25年(1950年)5月に尾道税務署長、同26年(1951年8月)に福岡国税局総務部総務課長、同35年(1960年)7月に横浜税関監視部長、同36年(1961年)7月に大阪国税局調査査察部長、同37年(1962年)7月に国税庁直税部資産税課長、同39年(1964年)7月に大蔵省主税局税制第二課長、同41年(1966年)8月に同国際金融局外資課長、同43年(1968年)3月にOECD日本政府代表部参事官、同46年(1971年)7月に大蔵省大臣官房審議官(国際金融局担当)、同47年(1972年)6月に国税庁直税部長、同48年(1973年)6月に国税庁次長、同49年(1974年)6月に大蔵省関税局長を務め、昭和50年(1975年)7月に退官。退官後の同年8月には農用地開発公団副理事長を歴任。

昭和53年(1978年)6月にサントリー株式会社に入社し専務取締役、同年7月には富国生命顧問、同54年(1979年)6月にサントリー株式会社の取締役副社長、同60年(1985年)6月に同社代表取締役副社長となり、同62年(1987年)12月には株式会社エフエム富士会長を務めている。

脚注[編集]

  1. ^ 山梨県庁、農林省、新潟、鳥取県庁及び甲府市役所において林務部門を歴任している。
  2. ^ 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』56、867頁。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』371頁。

参考文献[編集]

  • 『吉田冨士雄追悼遺稿集』平成4年(1992年)。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。