加藤段蔵

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加藤 段蔵(かとう だんぞう)は、江戸時代軍記物仮名草子浮世草子などに「とび加藤」「鳶加藤」「飛加藤」などの名前で登場する、超人的な能力を持つ戦国時代幻術使いあるいは忍者の、読本(後述)における名称である。別表記に「加当段蔵」がある。

とび加藤と幻術使い[編集]

寛文元年(1661年)に刊行された『甲陽軍鑑末書結要本』巻9第13「まいす者嫌ふ三ヶ條の事」という記事に「とび加藤」として言及がある。永禄元年(1558年)に武田信玄のもとに「とび加藤」と名乗る、尺八を使ってどんな堀や塀も飛び越してみせるという者が仕官しにやってきたのだが、信玄は召し抱えてから密かに殺害した。また永禄2年(1559年)に上杉謙信のもとに「牛を呑む」幻術を操る者が来て、幻術を披露していたところ、木に登って「牛に乗っているぞ」と騒いでネタをばらした人がいた。幻術使いはこれを恨んで、その場で夕顔を育てて扇であおぎ、花を咲かせて大きな実を成らせ、それを切ってみると、木に登っていた人の首が斬られていた。この術者を謙信は密かに成敗した。また別に織田信長が「まいす者」を嫌い、成敗した、という3つの話を載せ、「名将は『まいす者』を嫌う」と総括している[1]

この話は、末の馮夢竜平妖伝』巻29、21の話に似ている、との指摘がある[2]

飛加藤[編集]

寛文6年(1666年)刊の浅井了意伽婢子』第7巻では、この2つの話を合わせて、更に『五朝小説』の「崑崙奴」の筋書きを加え[2]、「牛を呑む」幻術を披露していた「飛加藤」を「長尾謙信」が呼び出したところ、「一尺余の刀があれば塀や堀を飛び越えて城中に忍び入ることができる」というので、直江山城守の家から長刀を取って来させると、長刀だけでなく「女の童」までさらってきた。謙信は飛加藤を密かに殺害するよう直江に指示するが、飛加藤は幻術を使って逃亡。甲府の武田信玄の家に行き、跡部大炊助に奉公を望んだが、武田の家中は窃(しのび)の者に家宝の古今集を盗まれて懲りていたため[3]、秘かに殺された[4]、としている。

鳶加藤[編集]

元禄11年(1698年)成立の槙島照武北越軍談』巻17に「鳶加藤(とびかとう)」として登場。鳶加藤は常陸国茨城郡の出で、小田原風間次郎太郎を師として幻術を身につけたという。箕輪の長野業正に仕えた後、彼の推挙で越後の長尾景虎に拝謁した鳶加藤は、牛を呑みこんでみせたり、瓠瓜の種を発芽させ、扇であおいで実を結ばせるなどの幻術を披露した。その夜、景虎は山岸宮内少輔貞臣の家から長刀を盗んでくるよう鳶加藤に命令するのだが、彼はいとも簡単にこの命令を実行してみせる。

しかし、これを見た景虎は、むしろ鳶加藤の技を危険視し、山岸光祐に身柄を預けることにするのだが、不穏な空気を感じた鳶加藤はからくり仕掛けの傀儡(くぐつ)に芸をさせ、目を引いているすきに越後から逃げ出した。

その後、彼は甲府に現れて、今度は武田晴信に仕官した。しばらくして、武田家秘蔵の書物が行方不明になり、鳶加藤が犯人であるとわかった。鳶加藤は、自分が逃亡したことで長野業正の立場が悪くなったので、晴信を暗殺して恩を返そうと家中に潜り込んだことを白状し、弘治3年(1557年)に土屋昌続(昌次)に首を討たれたという[5]

これは、『伽婢子』の「飛加藤」の話と「熊若」の話を足して、細かい人物情報などを(創作的に)補った説話、と解釈されている[6]

なお、後者の事件については、『上杉家御年譜』の永禄2年12月上旬の記事にほぼ同じ内容の話が載っている[7]

加藤段蔵[編集]

「加藤段蔵」という名前は、文化6年(1809年)から文政8年(1825年)頃にかけて刊行された速水春暁斎の読本『絵本甲越軍記』で使われたもので、出自についても伊賀出身の忍術名人へと設定が変更されている[8]

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『甲陽軍鑑末書結要本』 第一書房、1974年。 
  2. ^ a b 吉丸雄哉「近世における「忍者」の成立と系譜」仏教大学国語国文学会『京都語文』19、2012年11月、109頁
  3. ^ 『御婢子』巻10「窃の術」
  4. ^ 『伽婢子』 岩波書店、2001年。 
  5. ^ 井上鋭夫・編 『上杉史料集』 新人物往来社、1969年。 
  6. ^ 吉丸、前掲書、111頁
  7. ^ 米沢温故会・編 『上杉家御年譜 第1巻』 原書房、1989年。 
  8. ^ 速水春暁斎 『甲越軍記』 博文館、1894年。