京王百貨店新宿店

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京王百貨店新宿店
Keio Department Store Shinjuku
店舗概要
所在地 160-8321
東京都新宿区西新宿1-1-4
座標 北緯35度41分24.7秒 東経139度41分56.8秒 / 北緯35.690194度 東経139.699111度 / 35.690194; 139.699111 (京王百貨店新宿店)座標: 北緯35度41分24.7秒 東経139度41分56.8秒 / 北緯35.690194度 東経139.699111度 / 35.690194; 139.699111 (京王百貨店新宿店)
開業日 1964年(昭和39年)11月1日
正式名称 京王百貨店新宿店
建物名称 京王ビル[2]
施設所有者 京王電鉄
施設管理者 京王百貨店
敷地面積 7,559[1] m²
商業施設面積 41,294 m²[3]
営業時間 10:00 - 20:30(一部深夜営業)
前身 京王帝都電鉄新宿駅
最寄駅 新宿駅
最寄IC 新宿出入口
外部リンク https://www.keionet.com/info/shinjuku/
Keio
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京王百貨店新宿店(けいおうひゃっかてんしんじゅくてん)は、東京都新宿区にある京王百貨店が運営する百貨店である。

概要[編集]

戦後、新宿はいわゆる盛り場として娯楽とショピングの街に成長を遂げていくが、昭和30年代に入ると、新宿駅西口一帯を新しいビジネスセンターに育てようという機運が出てきた[4]。東京都が「新宿副都心建設計画」を発表したのは1960年(昭和35年)6月だが、すでにこの考えは、東京都をはじめ、新宿に拠点を持つ企業に芽生えており、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)もその一つだった[4]

京王帝都電鉄は、新宿駅の増改築を図るにあたって、新宿の新しいまちづくりに沿う抜本的な改造を計画した[4]。増大する乗降客ですでに飽和状態に陥っていた新宿駅だが、これをたんに増改築するのではなく、そっくり地下に移すという構想であった。駅を地下1・2階とする地上8階建ての駅ビル(京王ビル)を建設するというものである[4][2]。京王ビルは、地上8階・塔屋4階・敷地面積7,559平方メートル、延べ建築面積約8万平方メートルで、総工費90億円、3年半の月日を費やし、1964年(昭和39年)10月竣工した[1]

建物に入居する京王百貨店は、1961年(昭和36年)3月に設立され[1]、京王ビルの建設の進行に伴って、1964年(昭和39年)4月に地下食品部がまず開業し、11月1日に全館開業した。全館開店当日は来店客約45万人、売上約7,000万円を記録した[1]。京王百貨店における1号店で本店格の店舗であり[5]、現在も登記上の本店である。

開業に際しては、髙島屋と資本・業務提携を結び、従業員教育や仕入れなどの百貨店経営のノウハウを導入[6]。開業翌年には売場面積を約80パーセント拡大し、1967年(昭和42年)には、さらに売場面積を広げて4万平方メートルとした。これによって売上は年商200億円に迫り、この売上高は、銀座松屋を抜いて都内8位に位置するものだった[1]

1976年(昭和51年)3月10日に開業した「京王モール」とは[5]、地下フロアで繋がり、京王モール経由で都営地下鉄新宿線・大江戸線新宿駅や小田急エースなどとも接続する[7]

高島屋からの自立[編集]

1996年(平成8年)10月のタカシマヤタイムズスクエア(新宿高島屋)の新宿進出に伴って、高島屋から自立し、中高年顧客を重視する[8]と共に一般市民の日常生活に対応した「新・大衆百貨店」をコンセプトとして1994年(平成6年)6月に改装を行って[9]、独自色を打ち出し始めた[10]。この「新・大衆百貨店」としてセーターやブラウス及びパンツといった品目別の構成を行った[8]「スタイルブック」などの平場と呼ばれる単品編集売り場[11]や自社で運営するセルフサービス方式の総菜売場「デリカ亭」[9] など独自の売場作りを展開している。

また、日本の百貨店では初となる耐震補強[12] や4階の中高年女性向けの婦人服フロアは一角に休憩室を設置しただけでなく売場の壁沿いにも椅子を並べて疲れたときに休憩が採りやすいようにしたり[8]、手すりや鞄を置ける棚が設置された他店よりもやや大きめの試着室も設置しているほか[8]、全身が映る鏡があってパウダーコーナーや家族連れで来店する客を想定して男児を想定した男子トイレも設置した女子トイレを設置するなど細かな配慮をして[8] 、ユニバーサル化を進めた。

裾を切ることによってシルエットが変わってしまうことや試着室でサイズ調整して修理の手間が掛かることを避けるために2センチ刻みで商品化した中から選べる[8]「レングスパンツ」[13]や20~30歳の女性をバイヤーとデザイナーに起用して自分の母親に着てもらいたい感覚の商品開発をコンセプトに若い世代の流行を採り入れながら年代による体型変化も考慮して40から50代を対象に設定した「トライアングル」[8]、「オンリーアット京王」[14]などのプライベートブランド(PB)も日本の百貨店としてはいち早く導入して展開している[15]

また、阪神百貨店との提携により2002年(平成14年)7月に新宿店7階玩具売場に首都圏で唯一の「阪神タイガース公式ショップ」を開設した[16]ほか、2007年(平成19年)4月にラスクのガトーフェスタハラダの直営店[17]2009年(平成21年)10月にオットージャパン初の実店舗「オットー・コレクション」[18]2011年(平成23年)10月に「通販生活」のブランドで知られるカタログハウス初の実店舗である「カタログハウスの店 セレクト」を開設させる[19]など他の百貨店に導入されていない独自のインショップの導入による集客力向上も図っている。

こうした様々な対応の結果2004年(平成16年)9月時点で全国百貨店平均38.5%とほぼ同じ39.2%を衣料品で売上げつつ4階の中高年女性向けの婦人服フロアでは65歳以上が63%で50歳以上86.5%とすると同時に全店売上の約70%を50歳以上の顧客が占めるなど目標通り中高年層の支持を獲得することに成功し[8]、新宿店は店舗面積が41,294m2伊勢丹新宿店の64,296m2小田急百貨店新宿店の57,316m2高島屋新宿店の51,913m2という競合店を下回る[3] にもかかわらず、「新宿百貨店戦争」と称された激しい顧客争奪戦[20]を勝ち抜き、2008年(平成20年)度の百貨店店舗別売上高ランキングで伊勢丹新宿本店の約2460.03億円と小田急百貨店新宿店の約1047.84億円に次ぐ約926.34億円で新宿地区で3位となり[21]、高島屋新宿店を上回る売上を上げた[22]

リーマンショック後[編集]

リーマンショック後に発生した消費不況を受けて、2009年(平成21年)度から約15億円を投じて行う予定をしていた新宿店レストラン街の全面改装を中止したが[23]、他店に比べて早くから年齢の高い客層に特化した戦略を採ってきた影響で顧客の中心となる年齢層が高齢化し過ぎて消費意欲が衰えがちとなる70代以上が多くなってしまったことから、40~50代を取り込んで顧客の年齢層を引き下げて45~69歳の顧客の構成比を従来の約30%から2012年(平成24年)度中に約40%に引上げることを目指す方針を掲げた[10]。この方針に沿って多くのことに興味・関心を持ち[10]、自分らしい個性を重視する傾向にある40~50代を取り込む戦略として売り場をブランド別から「ファッション」「美・健康」「食」「趣味」「暮らし」の6つを中心とする生活場面別に衣料品や生活雑貨、キッチン用品などを編集したライフスタイル提案型に切替えて展開するほか[10]、この世代向けに旬の雑貨や衣料品などを提案する「こだわりコレクション」を展開するなど新商材の導入や売場の改装を進めていくことにしている[10]

近年の不況や東日本大震災の影響などもあり、2011年(平成23年)度の売上高は前年比4.4%減の798億円に落ち込んでいる[10]

新宿店は新宿グランドターミナルの再編事業の一つである新宿駅西南口地区開発事業により、ルミネ1とともに解体される予定となっている。着工時期は未定[24]。なお、再開発後の新ビルに京王百貨店が再度入店するかは未定となっている。

季節の催事[編集]

1966年(昭和41年)から毎年1月に行っている「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」は全国各地の駅弁を集めるだけでなく「駅弁対決」から「廃線駅弁の復刻」や「海外の駅弁」などの企画も行って人気を博し[25]2000年(平成12年)に売上5億円を突破して2010年(平成22年)に7億円の大台に乗せるなど年々規模が拡大し[26]2010年(平成22年)には約42.6万個を販売して売上高約7.11億円を上げる一大イベントとなり[27]、「駅弁の甲子園」と呼ばれている[28]

また、夏には屋上で「京王アサヒスカイビアガーデン」も開催している[29]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 京王帝都電鉄30年史 1978, p. 100.
  2. ^ a b 関東> BELCA賞 ロングライフ部門 受賞建築物一覧 - ロングライフビル推進協会
  3. ^ a b 国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) (Report). 国土審議会調査改革部会. 2000.
  4. ^ a b c d 京王帝都電鉄30年史 1978, p. 85.
  5. ^ a b 京王電鉄五十年史 1998.
  6. ^ “RJ ESSENTIAL 繁昌する「デパートの駅弁大会」”. 鉄道ジャーナル 2002年4月号 (鉄道ジャーナル社). (2002-4). 
  7. ^ 屋内測位普及発展に関する調査研究報告書 (Report). 財団法人ニューメディア開発協会. March 2009.
  8. ^ a b c d e f g h 高齢者市場の活性化に関する調査研究報告書 シルバーマーケットにおけるファッション産業の在り方 (Report). 財団法人岐阜県産業経済振興センター. March 2005.
  9. ^ a b “新宿第2次弁当 戦争・百貨店惣菜売場の再編成(3)京王百貨店新宿店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年11月18日) 
  10. ^ a b c d e f “京王百、40~50代取り込み、生活シーン別の売り場、衣料など専用ブランド”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2012年5月25日) 
  11. ^ “ボイス/逆手”. 繊研新聞 (繊研新聞社). (2008年8月6日) 
  12. ^ “制振装置で耐震補強 京王ビル 大規模商業施設で初”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1997年2月12日) 
  13. ^ “め・て・みみ”. 繊研新聞 (繊研新聞社). (2009年9月24日) 
  14. ^ “上顧客にきめ細かく 京王百貨店 対象別アプローチ強める”. 繊研新聞 (繊研新聞社). (2009年5月13日) 
  15. ^ “情報スクランブル アウトレット食品で注目される京王百貨店”. エルネオス 2011年2月号 (エルネオス出版社). (2011-2-1). 
  16. ^ “京王百貨店、阪神タイガース食品コーナー常設 優勝セールも検討”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年8月25日) 
  17. ^ “銀座に進出【ガトーフェスタハラダ】”. ぐんま経済新聞 (群馬経済新聞社). (2007年2月15日) 
  18. ^ “オットージャパン、百貨店などに出店加速”. 通販新聞 (通販新聞社). (2010年9月16日) 
  19. ^ “カタログ通販出店を強化、ベルーナ、茨城に1号店、ニッセン、「大型サイズ」全国に”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2011年11月23日) 
  20. ^ “新宿百貨店競争、第2幕へ”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年4月18日) 
  21. ^ “2008年度百貨店店舗別売上ランキング”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2009年8月13日) 
  22. ^ 小熊敦郎 (2009年11月1日). “【ドラマ・企業攻防“大阪最終決戦”ジュクの仇はキタで討つ 高島屋vs伊勢丹”. 産経新聞 (産経新聞社) 
  23. ^ “百貨店の改装延期、京王など中堅にも拡大、小田急・東武も”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2009年4月6日) 
  24. ^ (仮称)新宿駅西南口地区開発事業』(PDF)(プレスリリース)新宿区https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000345695.pdf2023年8月4日閲覧 
  25. ^ 京王百貨店駅弁チーム『駅弁大会 光文社新書』光文社、2001年10月。ISBN 4334031048 
  26. ^ “全国から200種 新宿・京王百貨店25日まで駅弁大会”. 交通新聞 (交通新聞社). (2011年1月17日) 
  27. ^ “進化する物産展”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2011年1月11日) 
  28. ^ “「讃岐たいらぎ弁当」が東京の駅弁大会に登場”. 四国新聞 (四国新聞社). (2011年1月21日) 
  29. ^ “女性歓迎のビアガーデン”. 読売新聞 (読売新聞社). (2012年7月11日) 

参考文献[編集]

  • 京王帝都電鉄株式会社総務部 編『京王帝都電鉄30年史』京王帝都電鉄総務部、1978年6月。 
  • 京王電鉄広報部 編『京王電鉄五十年史』京王電鉄、1998年12月。 

外部リンク[編集]