酒井通子
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(久邇通子から転送)
酒井 通子 (通子女王) | |
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続柄 | 久邇宮朝融王第3王女子 |
全名 | 酒井 通子(さかい みちこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
お印 | 鈴[1] |
出生 |
1933年9月4日(91歳) 日本・東京府東京市渋谷区 (現:東京都渋谷区広尾)久邇宮邸 |
配偶者 | 永岡義久 |
酒井省吾 | |
父親 | 久邇宮朝融王 |
母親 | 朝融王妃知子女王 |
酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子。旧名、通子女王(みちこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。今上天皇の従伯母にあたる。
略歴
[編集]1933年(昭和8年)9月4日、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子として誕生。御七夜の9月10日に「通子」と命名された。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 通子(くに みちこ)」と名乗った。その後は、大協石油(現・コスモ石油)に勤務。学習院大学時代の同級生だった永岡義久と結婚するも4年で離婚。その後、酒井省吾と知り合い結婚[2][3]。一連の結婚は"駆け落ち婚"と巷間を賑わせたが、河原敏明著『昭和の皇室を揺るがせた女たち』の中で、「人間の幸福が、金や権力だけにあるなら、上流階級の人たちは、皆、幸福いっぱいのはずですが、現実はむしろ逆。私は贅沢したいと思わないから、夫との平和で精神にも満ちた生活は、最高の幸福です。心から満足しています」と述べている[4]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
血縁
[編集]脚注
[編集]- ^ “【ボンボニエールの物語vol.48】続・皇族 お印の物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2021年7月14日). 2022年12月13日閲覧。
- ^ 2万坪の豪邸から、新居は飯田橋の2部屋アパート! “主婦”になったプリンセスの結婚・離婚・再婚のお相手男性(全4ページ)談・堀江宏樹 サイゾーウーマン
- ^ 眞子さまと酷似…62年前に“駆け落ち婚”した元皇族がいた! 『女性自身』2021年7月27日・8月3日合併号
- ^ 河原敏明『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』講談社、2004年。ISBN 978-4062126052。[要ページ番号]
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。