ローラン・プティ
ローラン・プティ(Roland Petit, 1924年1月13日 - 2011年7月10日) は、フランスのバレエダンサー・振付家。ヴィルモンブル生まれ。
母はミラノ出身でビストロ経営者のローズ・レペット。(息子の勧めで1947年にバレエシューズの工房を設立。バレエ用品メーカー、レペットの創業者である。)
プロフィール[編集]
パリ・オペラ座付属学校に入学し、1940年にオペラ座に入団。在団中から振付を始め注目を浴びる。プティは好きだったアメリカの映画やジャズ、ミュージックホールのレビュー的要素を振付に取り込むようになり、それが彼の評判を高めた[1]。
1944年、ディアギレフの友人であったコクノ、バレエ批評家のイレーヌ・リドヴァとともに、バレエ・デ・シャンゼリゼを結成するためにオペラ座を退団。
1945年、バレエ・デ・シャンゼリゼを発足。バレエ・ダンサー兼振り付け師として活躍。
1948年、バレエ・デ・シャンゼリゼを脱退し、バレエ・ド・パリを結成。
1952年、映画『アンデルセン物語』の振付を担当。
1954年、バレエ・デ・シャンゼリゼ以来彼の作品で踊っているバレエダンサーのジジ・ジャンメールと結婚。
1955年、フレッド・アステア主演映画『足ながおじさん』の振付を担当。
1966年、バレエ・ド・パリは活動を停止。
1972年、マルセイユ・バレエ団の創立と共に招かれる。同バレエ団はのちにローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団、そしてマルセイユ国立バレエ団に改称。
1993年、自伝を発表。
2011年7月10日、スイスのジュネーヴで死去。87歳没[2]。
代表作[編集]
- 『ランデヴー』(1945年)
- 『若者と死』(1946年)
- 『夜の淑女たち』(1948年)
- 『カルメン』(1949年)
- 『ダイアモンドをかむ女』(1950年)
- 『ノートルダム・ド・パリ』(1965年)
- 『ピンク・フロイド・バレエ』(1972年)
- 『アルルの女』(1974年)
- 『プルースト 失われた時を求めて』(1974年)
- 『コッペリア』(1975年)
- 『こうもり』(1979年)
- 『恋する悪魔』(1989年)
- 『ダンシング・チャップリン』(1991年)
- 『パッカサリア』(1994年)
- 『ボレロ』(1996年)
- 『デューク・エリントン・バレエ』(2001年)
- 『スペードの女王・バレエ』
脚注[編集]
- ^ バレエ・デ・シャンゼリゼの誕生 : <<旅芸人>> と <<ランデヴー>> (1945) を中心に深澤南土実、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学論叢 15, 123-132, 2013-03-31
- ^ “世界的振付家、ローラン・プティ氏が死去”. 読売新聞. (2011年7月11日) 2011年7月11日閲覧。
- ^ ダンスマガジン 『コリオグラファーは語る』新書館、1998年、136-137頁。ISBN 4403320074。
- ^ 渡辺真弓 『ビジュアル版 世界の名門バレエ団 頂点に輝くバレエ・カンパニーとバレエ学校』世界文化社、2018年、155頁。ISBN 9784418182558。
関連項目[編集]
- ダンシング・チャップリン - プティの同名作品を題材とした日本映画(周防正行監督、2011年)。
- ルイジ・ボニーノ - バレエダンサー。プティ作品の振付指導に当たっている。