レイ・マンザレク

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レイ・マンザレク
Ray Manzarek.JPG
Ray Manzarek
基本情報
出生名 レイモンド・ダニエル・マンザレク
生誕 1939年2月12日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没 (2013-05-20) 2013年5月20日(満74歳没)
ジャンル ブルースロック, ブルース, サイケデリック・ロック, ロック
職業 ミュージシャン
オルガニスト
映画作家
活動期間 1965年2013年
レーベル エレクトラ・レコード
共同作業者 ドアーズ, ライダーズ・オン・ザ・ストーム
公式サイト TheDoors.com
The Official Site of Ray Manzarek

レイモンド・ダニエル・マンザレクRaymond Daniel Manzarek, 1939年2月12日 - 2013年5月20日)は、アメリカロックバンドザ・ドアーズオルガニスト。1967年にジム・モリソンとパメラ・カーソンを立会人として日系アメリカ人ドロシー・フジカワと結婚し、親日家としても知られていた。

人物[編集]

レイモンド・ダニエル・マンチャレク(Raymond Daniel Manczarek)の名で1939年にシカゴで生まれる。ポーランド系アメリカ人であり、1965年にUCLA映画を専攻しているときにジム・モリソンと出会い、ドアーズを結成。ドアーズではオルガンピアノを担当し、「ハートに火をつけて」では印象的な導入部を創り上げた。左手でローズ・ピアノベースを弾き、右手でVOXコンチネンタル・オルガンを演奏するのが印象的である。ブルース、ジャズ、クラシックの影響が強いが、一聴すれば直ぐにマンザレクと分かる個性を持っている[要出典]

ジム・モリソンの死後マンザレクはロビー・クリーガージョン・デンスモアと共にドアーズの活動を継続。2枚のアルバムを残し、最も多くの曲を歌うが、1972年に解散する。 1983年にはカール・オルフ作曲『カルミナ・ブラーナ』(プロデュースはフィリップ・グラス)をシンセサイザー演奏したソロアルバムを発表。そのほか70年代に2枚のソロ・アルバム(「The Golden Scarab」「The Whole Thing Started with Rock & Roll Now It's Out of Control」)をリリースしている。 1977年には、後にブロンディに入るナイジェル・ハリソンとともに、ナイト・シティを結成し、2枚のアルバム(「Nite City」「Golden Days Diamond Nights」)を残した。

マンザレクはモリソンを神格化する傾向が強く、1991年のオリバー・ストーン監督の映画『ドアーズ』では、モリソンの人物造形がひどいとしていっさいの協力を拒んだ。

1998年に発表された彼の自叙伝『Light my fire』はその生涯でもっとも輝いた時代、ドアーズでの活動が多々著述されている。しかし、レイよりも先に1990年に自叙伝『Riders on the storm』(邦題『ドアーズ』早川書房)を発表してベストセラーになったジョン・デンスモアは、レイの著書に見られる思い込みの事実誤認を指摘し、そのため二人の仲が一時的に険悪になった。レイは、そのほか小説も2作発表している。

2000年公開の映画『Love Her Madly』の監督を務め、同名のサウンドトラックも発表した。この映画はジム・モリソンの持っていたアイデアを脚本家したものだという。

2002年からはドアーズのギタリストだったロビー・クリーガーとともに「21世紀のドアーズ」という名前で演奏活動をはじめた。しかし、ドラマーのジョン・デンスモアがドアーズの名称使用に関する裁判を起こし、「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」、「マンザレク・クリーガー」などと名前を変える。活動は死の直前まで続けられた。

2013年5月20日、肝外胆管がんにより、ドイツローゼンハイムで死去[1]。74歳没。ロビー・クリーガーはその死を悼んで次のようなメッセージをウェブサイトに掲載した。「レイは私の人生の大きな一部であり、これからもずっと心に残る相手だ。レイとジムは私が知るなかで最も人並み外れた二人だった。ジムについてはすぐにそれがわかった。彼は明らかに天才だったし、人と違ったことをしようと努力して、それに成功していた。一方、レイは遅咲きの花だった。おそらく彼の(そして私たちの)エネルギーがジムを抑えるのに使われていたからだ。本当のレイはジムが死去するまで表れなかった。彼はいつもさまざまな人とプロジェクトを行い、プロデュースを行い、さまざまな詩人と一緒に演奏した。彼はいつも人の良い面を見ていた。それが彼の才能だ。彼はUCLAでジムの中に良い点を見出した唯一の人物だった。他の人はジムをにせものか無価値だと思った。彼だけがジムの言葉の才能を見抜き、その後のことはご存じのとおりだ。レイは私の人生に影響を与えた。あなたにとってもそうであればいいと思う。」

文献資料[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]