リトアニア社会民主党
![]() リトアニア社会民主党 Lietuvos socialdemokratų partija | |
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略称 | LSDP |
党首 | ギンタウタス・パルツカス |
創立 | 1896年5月1日 |
合併先 | リトアニア民主労働党 (LDDP) |
本部所在地 | ヴィリニュス |
機関誌 | Socialdemokratas |
党員・党友数 | 20,389人[1](2017年) |
政治的思想 |
社会民主主義 親欧州主義 |
政治的立場 | 中道左派 |
国際連携 | 社会主義インターナショナル |
欧州連携 | 欧州社会党 |
欧州議会会派 | 社会民主進歩同盟 |
国会 |
7 / 141 |
欧州議会 |
2 / 11 |
公式サイト | |
http://www.lsdp.lt/ | |
リトアニアの政治 リトアニアの政党一覧 リトアニアの選挙 |
リトアニア社会民主党(リトアニア語: Lietuvos socialdemokratų partija、略称: LSDP)は、リトアニアの社会民主主義政党。欧州社会党に参加している。
歴史[編集]
現在のリトアニア社会民主党は、リトアニア民主労働党と(旧)リトアニア社会民主党が合併して誕生した。民主労働党は1990年まではリトアニア共産党 (LKP) として活動していた政党である。
リトアニア民主労働党[編集]
リトアニア民主労働党 (Lietuvos demokratinė darbo partija; LDDP) は、1990年12月にリトアニア共産党の改革独立派を主体に結成され、アルギルダス・ブラザウスカスが党首に就任した。1992年の議会選挙では単独過半数を占め、ブロニスロヴァス・ルビース (Bronislovas Lubys) を首相とする民主労働党単独内閣を発足させた。1993年には党首ブラザウスカスが大統領に就任した。
社会民主主義的な党綱領を掲げ、1996年の議会選挙まで民主労働党単独で3つの内閣を維持・運営した。しかし、経済不況と党執行部内の汚職疑惑に因って1996年議会選挙では大敗した。
旧・リトアニア社会民主党[編集]
旧・リトアニア社会民主党 (LSDP) は、帝政ロシア時代の1880年に結成された政党を「復活」する形で1989年[2]に結成された。経済的左派と大きな政府を志向した。その一方で、ソ連編入による抑圧の経験から同じ左派政党である民主労働党を敵視し、民族主義的側面も持ち合わせていた。1992年議会選挙では8議席、1996年議会選挙でも12議席に留まり、党内では民主労働党への接近論が強まった。そして1999年にヴィーテニス・アンドリュカイティス (Vytenis P. Andriukaitis) が新党首に選出されたことで、民主労働党との協調路線に転換した。民主労働党との協調に反対する勢力は党内会派「社会民主主義2000」を結成した。
民主労働党と社会民主党の統合以後[編集]
2000年10月に行われた議会選挙を前にした9月3日、民主労働党と社会民主党は共同党大会を開催した。両党は選挙に向け、1998年に大統領任期満了で政界を引退していたブラザウスカスを擁立し、新民主党 (NDP) とリトアニア・ロシア人連合 (LRS) を加えた選挙連合「アルギルダス・ブラザウスカス社会民主連合」(ABSK) を結成した。選挙連合に反対した党内会派「社会民主主義2000」は社会民主党から分離し、別個の政党となった(2003年にリトアニア社会民主連合に改称)。
ブラザウスカスの選挙連合は選挙で51議席を獲得し、第1勢力となった。選挙直後に発足したリトアニア自由連合 (LLS) など中道諸政党による連立政権が2001年6月に瓦解した後、新同盟とともに第1次ブラザウスカス内閣を発足させた。連立政権発足前の同年1月27日に民主労働党と社会民主党は完全合併を達成し、ブラザウスカスを党首とする新・リトアニア社会民主党が発足した。
2004年の議会選挙でも社会民主党は勝利し、第2次ブラザウスカス内閣を発足させた。この内閣は与党内における汚職や党内抗争が原因で2006年6月に退陣したが、新政権も社会民主党のゲディミナス・キルキラスを首相とする政権となった。キルキラス政権は少数政権であったが、最大野党である祖国同盟=リトアニア保守党 (TS-LK) の非公式な協力関係を築けたことで安定した政権運営を行うことができた。しかし、エネルギー政策を巡って袂を分かち、2008年の議会選挙では祖国同盟=リトアニア・キリスト教民主党 (TS-LKD) を中心とした右派勢力に敗北した。
2009年にアルギルダス・ブトケヴィチュスが党首に就任したことで旧社会民主党出身者が初めて、新社会民主党の党首となった(ブラザウスカスとキルキラスは民主労働党出身)。
2012年10月、議会の任期満了によって行われた議会選挙の結果、与党である祖国同盟=リトアニア・キリスト教民主党を上回って第1党となった。なお議会選挙と同時にヴィサギナス原子力発電所建設の是非を問う国民投票が行われたが、社会民主党は費用対効果の観点から原発建設計画見直しを求めており、ヴィサギナス原子力発電所建設計画は見直しを迫られる可能性が出ている[3]。11月22日、議会がブトケヴィチュス党首を新首相に承認したことで、社会民主党を中心とした連立政権が発足した[4]。
2016年リトアニア議会選挙ではリトアニア農民・緑の連合、祖国同盟=リトアニア・キリスト教民主党に次ぐ第3党となり、農民・緑の連合との連立政権に加わった。2017年、党幹部は農民・緑の連合との連立から離脱することを決定。これに反対した社会民主党党員は離党し、翌年リトアニア社会民主労働党 (LSDDP) を結党した。
歴代党首[編集]
- 1989年 - 1991年:カジミエラス・アンタナヴィチュス
- 1991年 - 1999年:アロイザス・サカラス
- 1999年 - 2001年:ヴィーテニス・アンドリュカイティス
- 2001年 - 2007年:アルギルダス・ブラザウスカス
- 2007年 - 2009年:ゲディミナス・キルキラス
- 2009年 - 2017年:アルギルダス・ブトケヴィチュス
- 2017年 - :ギンタウタス・パルツカス
2004年以降の選挙における党勢推移[編集]
議席 | 比例 得票率 |
備考 | |||
---|---|---|---|---|---|
合計 | 小選 挙区 |
比例 代表 | |||
2004年10月10日・24日(詳細) | 20 | 11 | 9 | 20.65% | 得票率は新同盟との政党連合「リトアニアのための労働のために」 |
2008年10月12日・26日(詳細) | 25 | 15 | 10 | 11.72% | |
2012年10月14日・28日(詳細) | 38 | 23 | 15 | 18.37% | |
2016年10月9日・23日(詳細) | 17 | 4 | 13 | 14.42% |
年月日 | 候補者 | 得票率 | 当落 |
---|---|---|---|
2004年6月13日(詳細) | チェスロヴァス・ユルシェーナス | 11.85% | 落選(第5位) |
2009年5月17日(詳細) | アルギルダス・ブトケヴィチュス | 11.82% | 落選(第2位) |
年月日 | 得票率 | 議席 |
---|---|---|
2004年6月13日(詳細) | 14.43% | 2 |
2009年6月7日(詳細) | 18.60% | 3 |
2014年5月25日(詳細) | 17.26% | 2 |
年月日 | 議席数 | 得票率 |
---|---|---|
2007年2月25日(詳細) | 302 | 16.31% |
2011年2月27日(詳細) | 328 | 16.3 | %
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ [1]
- ^ LSDP istorija(LSDPの歴史)。社会民主党公式ホームページ(2012年7月21日閲覧)
- ^ “日立製原発建設計画は見直しか リトアニア議会選挙、与党敗北で”. MSN産経ニュース. (2012年10月29日) 2012年10月30日閲覧。
- ^ “リトアニア国会 原発計画見直し発言の新首相を承認 日立が建設事業権”. MSN産経ニュース. (2012年11月23日) 2012年11月24日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- ポスト社会主義諸国の政党・選挙データベース作成研究会編『ポスト社会主義諸国 政党・選挙ハンドブックⅡ』 (PDF) -京都大学地域研究統合情報センター
- 中東欧・旧ソ連諸国の選挙データ-スラブ研究センター