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ゲディミナス・キルキラス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲディミナス・キルキラス
Gediminas Kirkilas
生年月日 (1951-08-30) 1951年8月30日
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
リトアニア・ソビエト社会主義共和国の国旗 リトアニア・ソビエト社会主義共和国ヴィリニュス
没年月日 2024年4月20日(2024-04-20)(72歳没)
所属政党リトアニア共産党→)
リトアニア民主労働党→)
リトアニア社会民主党→)
リトアニア社会民主労働党
配偶者 リュドミラ・キルキリエネ

在任期間 2006年7月4日 - 2008年12月9日
大統領 ヴァルダス・アダムクス

在任期間 2004年12月14日 - 2006年7月18日
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ゲディミナス・キルキラスリトアニア語: Gediminas Kirkilas Gediminas Kirkilas.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]1951年8月30日 - 2024年4月20日)は、リトアニア政治家。第13代リトアニア首相

生涯

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リトアニア・ソビエト社会主義共和国下の首都ヴィリニュスに生まれた。兵役を終えると、1972年から78年にかけて教会やヴェルケイ宮殿金メッキなどの修復に携わった。1978年から82年にかけて政治学の学校に通い、卒業後はリトアニア共産党に入党、さまざまな党職を務めた。アルギルダス・ブラザウスカスが党書記になると、報道官に就任した。

1990年5月11日の独立宣言後、キルキラスは1992年、1996年、2000年、2004年、2008年、2012年と6期続けてリトアニア社会民主党 (LSDP) からセイマス(国会)議員に当選した。2004年12月7日には国防相に就任した。2006年7月4日、国会議員の推薦人集めができなかったジグマンタス・バルチーティス暫定首相に代わり首相に任命された。2008年リトアニア議会選挙で社会民主党が敗北し首相を退陣、祖国同盟アンドリュス・クビリュスが後任に就いた。2012年に社会民主党が与党に返り咲くと、キルキラスはセイマス副議長に就任した。

2017年、LSDP のギンタウタス・パルツカスリトアニア語版党首らが社会民主党の連立からの離脱を決定すると、キルキラスは同党を離党した。翌年、キルキラスらを中心にリトアニア社会民主労働党 (LSDDP) が結党され、キルキラスはその党首に就任した。

2004年、彼はヴィリニュス大学国際ビジネススクールからMBAを授かった。

2008年7月1日、アメリカのロバート・ゲーツ国防長官と

2007年にはエコノミスト誌から「少数政権はすべてにおいて期待を上回っている」として縁の下の力持ちと称賛された[1]

2024年4月20日の朝に死去。73歳没[2]

脚注

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  1. ^ Stars and soggy bottoms A new-year salvo of bouquets and brickbats”. The Economists (2007年1月4日). 2011年5月23日閲覧。
  2. ^ Mirė politikas, buvęs Lietuvos premjeras Gediminas Kirkilas” (リトアニア語). lrt.lt (2024年4月20日). 2024年4月20日閲覧。
公職
先代
ジグマンタス・バルチーティス
リトアニアの旗 リトアニア共和国首相
第13代:2006年 – 2008年
次代
アンドリュス・クビリュス
先代
リナス・リンケヴィチュス
リトアニアの旗 リトアニア共和国国防大臣
2004年 – 2006年
次代
ユオザス・オレカス
党職
先代
アルギルダス・ブラザウスカス
リトアニア社会民主党党首
2007年 – 2009年
次代
アルギルダス・ブトケヴィチュス
先代
(結党)
リトアニア社会民主労働党党首
2018年 – 2021年
次代
ヨナス・ピンスクスリトアニア語版