ユーシン渓谷
| ユーシン渓谷 | |
|---|---|
| 地理 | |
| 場所 | 神奈川県足柄上郡山北町玄倉 |
| 河川 | 玄倉川(酒匂川水系) |
ユーシン渓谷(ユーシンけいこく)は、神奈川県足柄上郡山北町を流れる玄倉川の渓谷である[1]。丹沢大山国定公園に属し、「丹沢の秘境」と呼ばれる[2][3]。 新緑や紅葉の名所として知られていたが、2010年代に「ユーシンブルー」が話題となり、注目を集めた。
概要
[編集]玄倉川は、塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳・檜洞丸など、丹沢山地の主要な山々から水を集めて流下する河川である。 その上流部では、かつて林業関係者が居住していた。 「ユーシン」とは、当時「ユウシン休泊所」があった場所の地名であり、今は休業中のユーシンロッジが残る[4][5][6] [引用 1] (→ユーシンの名の由来)。
中流部では、河川の侵食作用が著しく、地盤の隆起に伴って穿入蛇行が発達し、深い峡谷地形を呈する[7][8]。 また、玄倉川本流の下刻に支沢の侵食速度が追い付かず、合流部に滝が生じる懸谷地形も見られる[7][9]。 この区間は、その険しい地形から、かつて渓流遡行者から「丹沢黒部」とも呼ばれた[10]。
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境隧道出口付近から
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新青崩隧道出口から
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玄倉ダムの貯水に滝が注ぐ懸谷地形
ユーシンブルー
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ユーシンブルーとは、玄倉ダムの貯水に見られる、鮮やかな青色の通称である。ただし実際の色相は、エメラルドグリーンやターコイズブルーといった青緑色に近い。玄倉ダムが開門されて水位が低い場合には、ユーシンブルーを見られないこともある[11]。 いつからユーシンブルーと呼ばれるようになったかは不明であるが、2016年夏ごろにSNSなどで認知度が高まり、来訪者が急増した[12]。山北町は商標登録を出願し、地域ブランドとして観光振興に活用している[13]。
ユーシンブルーが青い理由は、水そのものが青いからである。水は一般に赤色の光を吸収し、残った透過光が青色を呈する(→ 水の青)。これは海や十二湖青池[14][15]が青い理由と同じである。 蒸留水を用いた実験では、2 mの経路長で青く見え始める[16]。 貯水を上から見る場合、光の経路は往復で2倍となるため、必要な水深は約1 mである[注釈 1]。 こうした水の特性は、十分な水深があるときにのみ見られるユーシンブルーの特徴と合致する。 また、玄倉ダム付近には白っぽいユーシン型トーナル岩が分布しており[17][18]、その明るい色もユーシンブルーの鮮やかさを際立たせる要因と考えられる。
一方、ウェブ上には科学的根拠の乏しい説も多く、 「微粒子」や「チンダル現象」とする説が見られる[注釈 2]。 しかし、チンダル現象は微細なコロイド粒子によって光が散乱される現象である。光の散乱が起きると、物質は一般に透明度が下がり、濁って見える。ユーシンブルーは水底が見えるほど透明であることから、微粒子やチンダル現象が要因である可能性は低い。
林道・作業路
[編集]一般のハイカーがユーシン渓谷にアクセスできる唯一の経路が玄倉林道である。
玄倉林道
[編集]玄倉林道は、神奈川県県西地域県政総合センターが管理する全長8,105 m[19]の林道であり、県営林道玄倉線とも呼ばれる。 丹沢湖の玄倉川橋付近にある神奈川県道710号との分岐から始まり、7号隧道の手前を終点とする[20]。
玄倉林道の開通年は1954年(昭和29年)である[21][6]。 それ以前は玄倉川の峡谷を避けて山神峠を越えていたが[6][引用 2]、林道の開通によりユーシンへのアクセスは容易になった。 ※ユーシン渓谷の過去記事には、1947年に玄倉林道が開通[22][23]と記されていたが、これは誤りである[注釈 3]。
玄倉林道を含む県営林道は、一般車両(自転車を含む)の通行が禁止されており、徒歩での通行に限られている[24]。 また、新青崩隧道(しんあおざれずいどう[25])の通行には懐中電灯やヘッドライトが必須である[引用 3]。
玄倉林道は現在も落石・倒木・補修工事により通行止めとなることがあるため、事前に県西地域県政総合センターが発する通行情報[24]を確認する必要がある。 過去には、数年間にわたり全面通行止めとなった事例もある(詳細は長期通行止めを参照)。
最新通行止め
[編集]玄倉林道は、2025年12月8日から2026年3月31日まで、石崩隧道から先は工事のため歩行者も含め通行止めである[24]。
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新青崩隧道
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昭和27年開通と記した旧青崩隧道の標柱
玄倉治山運搬路
[編集]玄倉治山運搬路は、林野庁関東森林管理局東京神奈川森林管理署[26]が管理する作業路である。 7号隧道手前の玄倉林道終点を始点、尊仏ノ土平にある箒杉沢と鍋割沢の出合付近を終点とする[27]。
玄倉林道は神奈川県が管理しているが、玄倉治山運搬路は林野庁の管轄であり、担当区間の通行情報をそれぞれが発信している。 玄倉林道が通行可能でも、玄倉治山運搬路が通行止めとなる場合がある[28]ため、注意が必要である。
登山道
[編集]神奈川県自然環境保全センターが管理する以下の登山道(自然公園歩道)がユーシンへ通じているが、いずれも2025年現在、登山道の安全を確認中のため通行止めとなっている[29]。
隧道一覧
[編集]玄倉林道と玄倉治山運搬路には以下の9つの隧道(トンネル)が設けられている。
| 隧道番号 | 隧道名/地点 | よみ/分岐先 | 所要時間[注釈 4] | 道路区分 |
|---|---|---|---|---|
| 玄倉第1発電所 | 玄倉林道 | |||
| 分岐 | →仲ノ沢林道 | 35分 | ||
| 林道ゲート | 1時間 | |||
| 1号隧道 | 境隧道 | さかいずいどう | ||
| 2号隧道 | 新青崩隧道 | しんあおざれずいどう | ||
| 3号隧道 | 石崩隧道 | いしくずれずいどう | 2時間5分 | |
| 玄倉ダム | くろくらだむ | |||
| 玄倉第2発電所 | ||||
| 4号隧道 | ヘビ小屋隧道 | へびごやずいどう | 2時間30分 | |
| 5号隧道 | ||||
| 6号隧道 | 洞角隧道 | どうかくずいどう | 3時間 | |
| 7号隧道 | 玄倉治山運搬路 | |||
| 8号隧道 | ||||
| 雨山橋 | →寄ユーシン線・雨山峠 | 3時間15分 | ||
| 諸士平 | しょしだいら | |||
| 幽神線分岐 | →ユーシンロッジ・同角山稜線 | 3時間30分 | ||
| 9号隧道 | ||||
| 熊木ダム | くまきだむ | |||
| 熊木沢出合 | →弁当沢ノ頭・棚沢ノ頭 | 4時間10分 | ||
| 尊仏ノ土平 | そんぶつのどたいら | 4時間40分 |
長期通行止め
[編集]玄倉林道は急峻な地形に位置するため、隧道の損傷や大規模崩落などにより、長期にわたり全面通行止めとなった事例がある。
- 2006年–2011年
2006年7月から2007年2月の安全調査で、青崩隧道(2号隧道)内部にひび割れが見つかり、落盤の危険性から歩行者を含め完全通行止めとなった。その後、新青崩隧道が開通し、2011年11月に歩行者のみ通行止めが解除された[30]。
- 2018年–2022年
2018年1月17日、玄倉第2発電所付近の林道で大規模な斜面崩落が発生[31]。 石崩隧道(3号隧道)から洞角隧道(6号隧道)までの区間を全面通行止めとし、大規模な対策工事が実施された[32]。 2022年3月末に歩行者の通行止めが解除された[33]が、同年4月からは7号隧道より先の玄倉治山運搬路が通行止めとなっている[27]。
- 2022年–2024年
2022年10月11日には、仲ノ沢林道分岐から400 mほどの地点で土砂崩れが発生し[34]、全面通行止めとなった。 2024年4月には歩行者の通行止めが解除された[35]が、同年5月からヘビ小屋隧道(4号隧道)より先が通行止めとなった[36]。 2024年11月にユーシンまでの歩行者の通行規制が解除された[37]。
ユーシンロッジ
[編集]ユーシンロッジは、1970年に神奈川県が設置した県営宿泊施設である[38]。 玄倉治山運搬路から県営林道幽神線に分岐して橋を渡った先にある。 かつては丹沢登山のベースとして賑わっていたが、前述の隧道ひび割れによる通行止めの影響で、2007年4月から営業休止となった[39]。 避難設備としては現在も活用可能である[40]。
2014年7月に神奈川県緊急財政対策として民間移譲が検討された[41][42]が、引き受け手は見つからなった[39]。 2015年7月には利活用に関する提案を公募することになり[38][39]、 「西丹沢安全登山協力会」が事業候補者に選定された[43][44]。 その後、トイレ改修などが進められたものの[45]、 2018年以降の林道通行止めや新型コロナの影響により、2022年時点で関係者間の調整が中断しており[46]、 営業再開には至っていない。
ユーシンロッジ付近に、「かながわの美林50選 西丹沢ユーシンの森」の碑柱がある。
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ユーシンロッジ付近の玄倉川
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ユーシンロッジ
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かながわの美林50選の碑
ユーシンの名の由来
[編集]1928年(昭和3年)の大水害により、「諸士平」「諸子平」(しょしだいら)の集落が壊滅したため、人の住んでいなかったユーシン地区に移ったという[引用 4][引用 5][6]。
ユーシンの名称の由来については諸説ある。
- 明治時代に旧小田原藩士で組織された「有信会」に由来するという説[引用 6]。小木 2001による推測であり、「元サムライの入植」に有信会が関わったとする史料は確認されていない。
- 友信(とものぶ)という人が入った沢が友信沢と名付けられたという説[引用 7]。玄倉出身の猟師である諸星梅吉から聞いた言い伝えに基づく[引用 8]。
- 大正から昭和にかけて森林管理人を務めた小宮兵太郎が、「谷深くして、水勢勇まし」という意味より湧津と名付けたという説[49][引用 9]。
- 1951年の三保村公史には、涌深と記載されている[51]が、その由来は不明。
- 幽神の名称は、1955年神奈川国体の準備の際、当時の内山岩太郎知事が命名したという説がある[引用 11]
アクセス
[編集]小田急線新松田駅またはJR御殿場線谷峨駅から松62系統「西丹沢ビジターセンター」行きの富士急モビリティ路線バスに乗車。「玄倉」で下車。
自動車の場合、東名高速大井松田ICまたは御殿場ICから国道246号を経由し、「清水橋」交差点から神奈川県道76号を中川・丹沢湖方面に進む。神縄トンネル手前で神奈川県道710号に分岐し、玄倉方面へ向かう。玄倉バス停付近の小菅沢沿いに無料駐車場が設置されている。
玄倉バス停からは玄倉林道を歩いてユーシン渓谷へ。県営林道は一般車両(二輪車および自転車を含む)の通行を禁止している[24]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 光の経路が斜めであれば、水中経路が伸びるため、青く見える水深はより浅くなる。川底に届く入射光は、真上だけではなく斜めからも来ている。また、川底から目に届く経路は、見下ろす角度に依存する。
- ^ “山の奥、エメラルドの奇跡…☆”. 4travel.jp (2013年5月24日). 2025年11月11日閲覧。 確認できる古い記事であり、これが微粒子説の由来となった可能性がある。 同記事には「これ(ユーシンブルー)は中国の九寨溝や美瑛のいわゆる青い池などと同じ、チンダル現象によって生まれた光景なのだろうか。 水中に含まれる微粒子とそこに差し込む光の関係で、こんな不思議な色になるのかもしれない。」 とあり、科学的根拠はなく他の池からの類推にとどまる。また、玄倉川と美瑛の青い池では透明度が大きく異なる。
- ^ 根拠としては、旧青崩隧道の標柱に「昭和二十七年開通」と書かれていること、昭和28年測量の2万5千分1地形図「中川」には、3号隧道の手前までしか林道が書かれていないことが挙げられる。
- ^ YAMAPによる玄倉バス停からの標準コースタイム
出典
[編集]- ^ “ユーシン渓谷”. 山北町観光協会. 2025年9月18日閲覧。
- ^ 『神奈川県の山』原田 & 白井 2004, p. 25 見出しが「丹沢の秘境、ユーシン渓谷を歩く」
- ^ 朝日新聞 2015年1月13日朝刊 横浜地方版 29面
- ^ とよた時『丹沢・山ものがたり』山と渓谷社、1991年10月1日、54頁。ISBN 4-635-17055-1。
- ^ 丹沢渓谷調査団 著、株式会社地平線 編『丹沢の谷 110ルート』山と渓谷社、1995年9月1日、176頁。ISBN 978-4635180016。
- ^ a b c d 『丹沢今昔』奥野 2004, pp. 80–81
- ^ a b “日本の地形千景 神奈川県:玄倉川の峡谷群”. 地形・地質情報ポータルサイト. 2025年10月7日閲覧。
- ^ “4.河川の作用による地形>穿入蛇行”. 国土地理院. 2025年10月8日閲覧。
- ^ “4.河川の作用による地形>懸谷”. 国土地理院. 2025年10月8日閲覧。
- ^ 風見武秀; 天野誠吉「グラフイック 丹澤黑部 玄倉川本谷溯行」『山と渓谷』第143号、山と渓谷社、66-69頁、1951年4月。
- ^ “ユーシンブルーについて Q&A”. 神奈川県. 酒匂川水系ダム管理事務所 (2025年11月25日). 2025年11月25日閲覧。 ※玄倉ダムの放流予定を掲載
- ^ “青の絶景ブランドに 「ユーシンブルー」商標登録 山北町”. カナロコ. 神奈川新聞 (2017年3月23日). 2025年9月15日閲覧。
- ^ “山北町商標「ユーシンブルー」について”. 山北町 (2018年3月29日). 2025年9月15日閲覧。
- ^ “十二湖青池はなぜ青いのか?”. 青森県. 青森環境管理事務所 (2025年2月21日). 2025年11月15日閲覧。
- ^ “びっくりするほど青い!ミステリアスな青い湖を見に行こう”. Honda公式サイト. 2025年11月15日閲覧。
- ^ 宮﨑唯、安心院翼、喜多雅一「長光路セルとしてプラスチックパイプを用いた水の色に関する教材開発」『兵庫教育大学 教育実践学論集』第19号、兵庫教育大学、2018年3月、191-196頁。
- ^ “玄倉川のトーナル岩とユーシンブルー”. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 2025年9月18日閲覧。
- ^ “石ころ図鑑 火成岩の仲間(丹沢火成岩類4)”. 平塚市博物館 (2005年3月). 2025年10月8日閲覧。
- ^ “管内県営林道一覧”. 神奈川県. 県西地域県政総合センター. 2025年9月24日閲覧。
- ^ “kurokurarinndou.pdf”. 神奈川県. 県西地域県政総合センター (2024年4月10日). 2024年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月26日閲覧。
- ^ 『続丹沢夜話』シュトルテ 1991, p. 98
- ^ 「玄倉史話」 池谷 1989, p. 77「昭和二十二年ごろ、神奈川県が玄倉林道新設工事の施工にあたり、」という記述があるが、開通とは書かれていない。
- ^ 『神奈川県の山』原田 & 白井 2004, p. 29 に「昭和22年に玄倉からの林道ができるまで、」という記述があるが、これは誤り。
- ^ a b c d “管内林道の通行止め等のお知らせ”. 神奈川県県西地域県政総合センター. 2025年9月15日閲覧。「車両(二輪車および自転車を含む)の通行を禁止しています。」
- ^ 「あおくずれずいどう」の表記も見られる。(『神奈川県の山』原田 & 白井 2004, p. 25)
- ^ “東京神奈川森林管理署”. 関東森林管理局. 2025年9月16日閲覧。
- ^ a b “玄倉治山運搬路の歩行者を含めた通行止めについて(令和4年4月)”. 東京神奈川森林管理署 (2022年4月). 2025年9月16日閲覧。
- ^ “玄倉川沿い「下山できません」林野庁、丹沢登山者に注意”. カナロコ. 神奈川新聞 (2022年4月29日). 2025年9月16日閲覧。
- ^ “丹沢大山エリアの登山道通行情報”. 神奈川県. 自然環境保全センター (2025年6月5日). 2025年9月13日閲覧。
- ^ 朝日新聞 2013年11月19日 朝刊横浜版 29面
- ^ “県営林道玄倉線の一部 斜面崩落で通行止め「ユーシンブルー」秘境から幻に”. タウンニュース (2018年1月27日). 2025年9月15日閲覧。
- ^ “玄倉林道の歩行者を含めた通行止めについて”. 県西地域県政総合センター (2022年2月2日). 2022年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月18日閲覧。
- ^ “管内林道の通行止め等のお知らせ”. 県西地域県政総合センター (2022年3月31日). 2022年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月16日閲覧。※3月31日には通行止めの記載が削除→通行止めが解除された
- ^ “玄倉林道で土砂崩落 県「当面の間、通行止め」”. タウンニュース (2022年10月22日). 2025年9月15日閲覧。
- ^ “玄倉林道通行止め”. 県西地域県政総合センター (2024年4月17日). 2024年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月18日閲覧。※4月17日時点で歩行者通行止めの記載がない→通行可能になった
- ^ “管内林道の通行止め等のお知らせ”. 県西地域県政総合センター (2024年7月3日). 2024年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月16日閲覧。
- ^ “ユーシン渓谷へ続く道の通行について”. 山北町観光協会 (2024年11月22日). 2025年9月15日閲覧。
- ^ a b “ユーシンロッジの利活用に関する提案を募集します”. 神奈川県産業労働局観光部観光企画課 (2015年7月28日). 2019年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月13日閲覧。
- ^ a b c “西丹沢・ユーシンロッジ 利活用策の提案を公募”. カナロコ. 神奈川新聞 (2015年8月15日). 2015年8月13日閲覧。
- ^ “ユーシンロッジを利用するには”. 神奈川県観光課 (2016年4月7日). 2018年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月13日閲覧。
- ^ “神奈川県緊急財政対策本部”. 神奈川県総務局財政部財政課 (2014年2月7日). 2020年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月13日閲覧。
- ^ “県民利用施設の見直しに関する説明資料”. 神奈川県総務局財政部財政課. 2015年8月13日閲覧。
- ^ “ユーシンロッジの利活用に関する事業候補者の選定について”. 神奈川県産業労働局観光部観光企画課 (2016年1月15日). 2016年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月19日閲覧。
- ^ “「ユーシン」をブランドに 登山者グループ ロッジ再建へ名乗り”. タウンニュース (2016年1月30日). 2025年9月19日閲覧。
- ^ “西丹沢安全登山協力会の投稿”. Facebook (2017年3月20日). 2025年9月19日閲覧。
- ^ “県有施設の見直しに係る整理について”. 神奈川県政策局・総務局 (2022年3月1日). 2025年9月19日閲覧。
- ^ “5万地形図「秦野」1929”. 地図・空中写真閲覧サービス. 国土地理院. 2025年10月2日閲覧。
- ^ “5万地形図「秦野」1927”. 地図・空中写真閲覧サービス. 国土地理院. 2025年10月2日閲覧。
- ^ 高柴武雄「熊木澤」『ハイキング』第40号、ハイキング、46-49頁、1935年。
- ^ 戸澤英一; 藤島敏男「丹澤山塊」『山岳』第13巻、第3号、日本山岳会、324-335頁、1919年10月。
- ^ 『神奈川県の山』原田 & 白井 2004, p. 27
- ^ “山行記録: ユーシンで野営”. ヤマレコ. 2025年7月31日閲覧。
- ^ “神奈川県営林道一覧”. 神奈川県. 環境農政局 緑政部森林再生課. 2025年9月24日閲覧。
引用
[編集]- ^ 「西丹沢拾い話」小木 2001, p. 78「五万分の一地形図、秦野を開くと、ほぼ中央部の玄倉川中流に「ユウシン休泊所」の記載がある。↲ 休泊所は登山者を宿泊させる施設ではなく、昔この辺一帯が帝室御料林で天皇家の財産だった頃に、維持管理のために時折出張してくる帝室林野局の林務官や、林業に従事する山林労務者のための宿泊施設であった。↲ その呼名が県有林や国有林になっても引継がれて地図に記載されている。現在は昭和四十六年に神奈川県が建てたユウシンロッジが登山者を迎えている。」
- ^ 「玄倉史話」 池谷 1989, p. 80「昔、塔ノ岳に登るには玄倉川を遡るか、山神峠を越え逆木(さかさぎ)から玄倉川を右岸に渡った諸子平(ユウシン)を経て、さらに上流に遡ったものと考えられるが、玄倉川の両岸は断崖絶壁のうえ急流で石栅が多く、一般の人が遡上することは困難であるので、塔ノ平から山神峠を越えたものと思います。」
- ^ 『神奈川県の山』原田 & 白井 2004, p. 25「次の
青崩 隧道は、トンネル内部で曲がっているので、中央部付近は入口からの光が届かず、真っ暗だ。短い距離だが、油断していると水たまりや石につまずき、冷や汗をかく。トンネルに入る前に懐中電灯を用意したほうがよい。」 - ^ a b 『続丹沢夜話』シュトルテ 1991, p. 47「香川さんは佐藤勝之氏を自宅に訪ねたそうだ。氏の話によれば、一九二八年の大水害の時、諸士平にあった御料林の管理人宅や製板施設がすべて流失してしまったので、現在のユーシンに新しく建てられた。当時の管理人の小宮氏がユーシン沢の名をとってこの地をユーシンと命名し、湧津と書いた。」※佐藤氏は小宮氏の子息。※小宮以前にも1918年や1921年の記録があるという反論に対して、著者は、小宮が1916年(別資料では1911年)からユーシンに勤務しており、その際に書き方を教えたのではないかと推測している。
- ^ 「西丹沢拾い話」小木 2001, p. 78「休泊所は昭和三年までは、すぐ下流の諸士平にあったが水害を蒙って現地に移った。それまでのユウシンの地は一面すすきの原で、玄倉では「萱山の平」(かやまのたいら)と呼ぶ人もあったが、小田原藩の所領当時から正式の名称はなかった。」
- ^ 「西丹沢拾い話」小木 2001, pp. 87–88「 あとがき↲ 先輩の漆原俊さんの情報で、「旧小田原藩士の人達で組織している有信会、又は、有信会という会があるが、ユウシンとは関係はないのか。」と会報を見せられた。↲ 有信会事務所の佐藤会長を通じて、元重臣の家柄である有浦章さんから、「有信会は明治十二年に元小田原藩士の生活救済と、三百年仕えた大久保家に報恩感謝する会として出発、明治二十一年に共同会と名づけられ、明治二十六年、有信会と改称された。名称は論語の予朋交言而有信(友と交わりて信有り)つまり仲間同志信頼しあって仲良くやっていこうの意がこめられている。」との回答をいただいた。↲ 有信会とユウシン沢との直接の関係はわからないが、これが命名の語源になっていても不思議はないだろう。↲ 坂本光雄さんによると、昔諸星梅吉さんから、「明治何年頃かわからないが、ユウシン沢付近へ開拓のために入植した元サムライの一団が住みついたことがあった。」と聞いたことがあるという。↲ 坂本さんは、この一団が有信会の人達で有信、或いは友信の沢と呼ぶようになったのではないかと語っている。↲ 有信や、友信などはサムライの名前にはあっても、農民には滅多にない。この説が有力な語源だとすれば、諸士平の語源ともなりうるので、二地点の語源問題が片付いてしまうわけである。」
- ^ 坂本光雄「丹澤玄倉川と周圍の山々」『山と溪谷』第28号、山と溪谷社、73頁、1934年11月。「休泊所の少し下で右岸へ、
友信 澤が合流する 友信澤の名稱は、友信 と云われし者が此の澤に入りてより友信 澤と名稱されたと云い傳へられてゐる。」 - ^ 「西丹沢拾い話」小木 2001, p. 81「友信説について坂本光雄さんに尋ねると「(略)友信(とものぶ)の沢のことは諸星梅吉さんから聞いたものだ。父親の作太郎さんも息子の勇さんも、三代にわたって丹沢の奥山の精通者であり、友信(とものぶ)の沢の呼称を代々伝えていた。勇さんは学校の先生で歌人であり”とものぶの沢”をよみこんだ歌もあった。」」
- ^ 「西丹沢拾い話」小木 2001, p. 80「昭和十年発行の「ハイキング」(第四〇号)に掲載されている高柴武雄さんの「熊木沢」を紹介しよう。↲ 「夜になると囲爐の側で、丹沢の主 小宮さんはドッカリあぐらをかき、先程取って来た兎を鍋でグダグダ煮ながらヤドリギ部落から買ってきた取って置きの酒で顔を紅潮させながらひどく機嫌が良い。そしてポツリポツリと丹沢を語って行く。明日遡行すべき熊木沢と箒杉沢との出合で二~三日程前に三〇貫もある熊が捕れたことや、湧津沢はオレが命名した谷で、その名の起源は―谷深くして水勢勇まし―という意味から採ったと語り、尚湧津谷は、この小屋の前の杉林の中を谷の右したをからんでいけば桧洞丸に取りつけるなど、(略)」「谷深くして、水勢勇まし」ユウシン沢の特色をみごとにつかんだ命名である。」
- ^ “『山岳』第13年第3號 p.328 (1919)”. 日本山岳会. 2025年10月3日閲覧。「諸士平から北に出てゐる
湧津 澤を渡り、再び本谷の獨木橋をすぎ、官宅からの使の者を返へして、銀砂子の様な星夜を、かすかな提灯の光をたよりにして無意識に歩いた。」 - ^ 「西丹沢拾い話」小木 2001, p. 82「友信、有信、有神、幽神のうちで、「幽神」の地名は、神奈川国体を準備していた頃、神奈川県庁内で生まれたようだ。当時の内山岩太郎知事が命名したという説がある。」
参考文献
[編集]- 原田征史、白井源三『神奈川県の山』山と溪谷社、2004年9月20日。ISBN 4-635-02313-3。
- 池谷嘉徳 著、山北町地方史研究会 編「玄倉史話」『足柄乃文化』第18号、68-83頁、1989年2月25日。
- 小木満 著、山北町地方史研究会 編「西丹沢拾い話」『足柄乃文化』第28号、75-88頁、2001年3月。 (元は丹沢自然保護協会の会報「丹沢だより」(第295号~第300号、1994年)に連載された「ユウシン地名考あれこれ」をまとめたもの)
- 奥野幸道『丹沢今昔 : 山と沢に魅せられて』有隣堂、2004年7月20日。ISBN 4-89660-186-6。
- ハンス・シュトルテ『続丹沢夜話』有隣堂、1991年1月30日。ISBN 4-89660-096-7。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ユーシン渓谷(山北町観光協会)
- 管内林道の通行止め等のお知らせ(県西地域県政総合センター)- 玄倉林道の通行情報を発信
- ユーシンブルーについて Q&A(酒匂川水系ダム管理事務所)- 玄倉ダムの放流予定を掲載
座標: 北緯35度26分47.7秒 東経139度7分1.4秒 / 北緯35.446583度 東経139.117056度
