マキノ正幸

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マキノ 正幸(マキノ まさゆき、1941年2月7日 - )は、日本の経営者。沖縄アクターズスクール創業者。京都府出身。

来歴・人物[編集]

牧野省三の孫、マキノ雅弘轟夕起子の子として生まれる。ぼんぼん育ちでまともな就職はしたことがなく、青山学院大学卒業後、従兄の長門裕之が始めた芸能事務所「人間プロ」の専務や六本木で会員制ジャズクラブ「マックスホール」を経営するなどしたのち、経営していた福島のスキー場が倒産したのを契機に、1971年に沖縄を訪れ 亡母の遺産と馬主(最年少個人馬主として10頭以上を所有)の収入で暮らす[1]。1974年に那覇市泊でナイトクラブ「ジュエルパレス」を開店[1]

川地民夫から「平尾昌晃の学校がすごい人気だ」と芸能学校の経営を勧められ、芸能界の人脈を伝手に講師を集め、長門を理事長に1983年4月に沖縄初の芸能学校沖縄アクターズスクールを開校[1]。面接で選んだ生徒100名近くの入学金でスタジオや録音室を借りるなどして運営していたが、元講師らに生徒のほとんどを引き抜かれ、1989年にはナイトクラブも赤字により閉店、競走馬も故障し、収入が絶たれて借金生活となったため、家族を残して上京し、高級石鹸のセールスマンとなりスクール立て直しの資金を作る[1]

スクール設立初期には娘の牧野アンナ早坂好恵里中茶美(『DA PUMPISSAの姉)を本州へアイドルとして送り出している。GWINKO、SUPER MONKEY'S、SPEED山田優の活躍で、一躍芸能人養成プロダクション経営者として脚光を浴びる。

後にSUPER MONKEY'Sのリードボーカルとしてデビューする安室奈美恵の才能をいち早く見出したことでも有名。友人に誘われてスクール見学に来ていた当時小学生の安室を熱心にスカウトし、困惑する安室の母に「授業料は要らない」と、異例の特待生待遇で入学させている。

2000年以降、スクールの勢いが少しずつ縮小に向かうなか、いくつかのプロダクションとの間にいざこざが発生して生徒が激減、不登校児のためのフリースクールに力を入れた[2]。これがもとでスクール運営に携わっていた娘のアンナと対立して絶縁するも、2021年に体調を崩し入院したのをきっかけに再会し、アンナがスクールを再始動することになった[2]

家族[編集]

祖父は日本映画の父である牧野省三。父は映画監督であるマキノ雅弘。母は宝塚歌劇団卒業生で映画女優の轟夕起子。異母妹はマキノ佐代子。叔父にマキノ光雄マキノ真三。息子の牧野彰宏はAKB48グループのプロデューサー(AKSマネジメント製作部部長)。娘は牧野アンナ(元SUPER MONKEY'S)。アンナの下に母違いの娘がいる[2]長門裕之津川雅彦兄弟は従兄弟(父方伯母マキノ智子の子供)にあたる[3]

著作[編集]

  • 『沖縄と歌姫―安室奈美恵を発掘した男の壮絶人生』

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 沖縄アクターズスクール校長・マキノ正幸が語る半生 そして安室奈美恵との衝撃の出会い日刊ゲンダイ、2022/01/17
  2. ^ a b c 牧野アンナ、父・マキノ正幸との“土下座乗っ取り騒動”の末に開けた第2の道フムフムニュース、2023/03/12
  3. ^ マキノ正幸「沖縄アクターズスクール」を生んだ男の光と影田崎健太、現代ビジネス、2020.05.30