カスバートは高校生の時から短距離をはじめた。父親は農園を所有しており、カスバートは子供の頃から畑の中をはだしで走るのが大好きであった。18歳のとき、地元で行われたメルボルンオリンピックに出場する。オリンピック直前の1956年9月に200mで23.2秒の世界新記録を樹立。この種目の優勝候補と目されるようになった。カスバートはまず100mで決勝に進出する。期待されていた同僚のシャーリー・ストリックランド・デ・ラ・ハンティ(Shirley Strickland de la Hunty)は予選で敗退していたので、カスバートに期待が集まった。その中で見事金メダルを獲得する。ついで大本命と見られていた200mでも地元の期待に答え金メダルを獲得。さらに、4×100mリレーでも、アンカーを務め、世界新記録で見事3冠を達成した。