フィリップ・ベイリー
フィリップ・ベイリー Philip Bailey | |
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![]() フィリップ・ベイリー(2000年) | |
基本情報 | |
出生名 | Philip James Bailey |
生誕 | 1951年5月8日(69歳) |
出身地 |
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ジャンル | R&B、ゴスペル、ファンク |
職業 | 歌手、シンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー |
担当楽器 | 歌、ギター、ベース、キーボード、ドラムス |
活動期間 | 1969年 - |
共同作業者 | アース・ウィンド・アンド・ファイアー |
公式サイト | PHILLIPBAILEY.COM |
フィリップ・ジェームズ・ベイリー(英: Philip James Bailey、1951年5月8日 - )は、アメリカのコロラド州デンヴァー出身のR&B、ソウル、ゴスペル、ファンクの歌手、ソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー。ファルセットヴォイスが特徴で、特にアース・ウィンド・アンド・ファイアー(EWF)のメンバーとして知られ、敬虔なクリスチャンでもある。
概要[編集]

1951年に、父エドワード・アルバーナ・ベイリーと母エリザベス・クロスランドとの間の子として生まれた。
少年時代からアート・ブレイキーとマックス・ローチとサラ・ヴォーンなどに憧れて、イースト・ハイスクール在学中に音楽を始め、後にともにEWFのメンバーとなる後輩のラリー・ダンとともにミスティック・ムーズを結成して、ソウル・ミュージックとジャズを演奏した。その後、メトロポリタン大学デンヴァー校とコロラド大学に合格して、コロラド大学に進学した。在学中の1969年から1971年に、地元のバンドのフェニックス・ホーンズのヴォーカリストとドラムスをしていた。
大学卒業後の1972年にロサンジェルスに移り、EWFのリーダーのモーリス・ホワイトにスカウトされて、ラルフ・ジョンソン、ラリー・ダン(後に脱退)とともにEWFに加入した。フィリップはモーリスとともにツイン・ヴォーカリストとして、活躍した。1990年代後半にモーリスがパーキンソン病に罹り、一線を退いてからは彼がEWFの2代目のリーダーとして、モーリスの弟のヴァーダイン・ホワイトとラルフ・ジョンソンとともに、現在に至るステージで統制を執っている。
ソリストとしても活躍しており、イギリスの元ジェネシスのフィル・コリンズやエリック・ベネイらとデュエットしている。特に、1984年に発表されたフィル・コリンズとのデュエット曲、"Easy Lover"(Chinese Wall収録)は全英1位[1]・全米2位の大ヒットを記録した[2]。また、1986年のソロ・アルバムTriumphでグラミー賞最優秀男性ゴスペル・パフォーマンス章を受章した[2]。その他にスティーヴィー・ワンダー、ホール&オーツとも交流がある。
2回の結婚歴があり、最初は同業のジャネット・ハッチソンと結婚して、後にEWFのバック・ヴォーカリストのクリスタル・ベイリーと結婚するも、2回も離婚した。なお、ジャネットとの間に父とおなじミュージシャンで、現在のEWFのメンバーである息子のフィリップ・ベイリー・ジュニア(ドロン)など、7人の子供を儲けている。娘のピリ・ベイリーも音楽業界で働いている。
現在は、シンガーソングライターのヴァレリー・デイヴィスと3回目の結婚をしている。
ディスコグラフィ[編集]
アルバム[編集]
タイトル | 発売年 | レーベル | |
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Continuation | 1983 | Columbia Records | |
Chinese Wall | 1985 | Columbia Records | |
The Wonders of His Love | 1985 | Word Records | |
Triumph | 1986 | Word Records | |
Inside Out | 1986 | Columbia Records | |
Family Affair | 1989 | Word Records | |
Philip Bailey | 1994 | Zoo | |
Dreams | 1999 | Heads Up | |
Life and Love | 2002 | Import | |
Soul on Jazz | 2002 | Heads Up |
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト (英語)
- Philip Bailey (@PhilipBaileyEWF) - Twitter (英語)
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