トマス西
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| 聖トマス西 | |
|---|---|
| ドミニコ会司祭 | |
| 教会 | カトリック教会 |
| 聖職 | |
| 司祭叙階 | 1626年 |
| 個人情報 | |
| 出生 |
1590年 肥前国松浦郡生月島 |
| 死去 |
1634年11月17日 肥前国長崎 西坂 |
| 両親 |
父:ガスパル西 母:ウルスラ・トイ |
| 聖人 | |
| 記念日 | 9月28日 |
| 崇敬教派 | カトリック教会 |
| 称号 | 殉教者 |
| 列福 |
1981年2月18日 マニラ |
| 列福決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
| 列聖 |
1987年10月18日 サン・ピエトロ広場 |
| 列聖決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 - 1634年11月17日(寛永11年9月17日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリスト教(カトリック)の司祭。1987年に「聖トマス西と15殉教者」の一人としてカトリック教会の聖人に列せられた。
生涯
[編集]1590年(天正18年)、ガスパル西の次男として肥前国松浦郡生月島(現在の長崎県平戸市)で誕生。母はウルスラ・トイ。両親は敬虔なキリシタンであり、自身もカトリックの幼児洗礼を受けた。幼少のころ有馬(現在の長崎県南島原市)のセミナリオで勉学に励み、同宿(教会や修道院で奉仕する人)になり、1620年にマニラに渡る。1624年、ドミニコ会に入り「ロザリオのトマス」の修道名を授かる。1626年、司祭に叙階され、帰国して迫害に苦しむ信者たちを励まし秘跡を授け、江戸幕府の役人の目から逃れてきた。しかし、ともに司牧にあたっていた同会のジョルダーノ・アンサローネ神父を看病している最中に捕らえられ、長崎に連行された。拷問を受け棄教を迫られたがそれに屈せず信仰を貫き、1634年11月17日(寛永11年9月17日)、西坂の丘で逆さ吊りの刑を受け殉教(死去)した[1]。
同時期に殉教したドミニコ会関係者15人とともに、1981年にマニラでカトリック教会の福者にあげられ、6年後の1987年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された[1]。同時に列聖されたヤコボ朝長、ビセンテ塩塚とともに、日本人司祭として初めての聖人となった。
脚注
[編集]- ^ a b “聖トマス西と15殉教者”. カトリック中央協議会 (1988年8月30日). 2022年11月15日閲覧。
参考文献
[編集]- フーベルト・チースリク『キリストの証し人』 聖母の騎士社
外部リンク
[編集]- “生月の殉教者 ガスパル西玄可とその家族”:カトリック中央協議会
- “生月学講座 No.076「ガスパル西玄可の殉教」”:島の館