シカゴ・ソウル

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カーティス・メイフィールド
シカゴ市

シカゴ・ソウル(Chicago soul)はソウル音楽のスタイルの一つ。1960年代にシカゴで発祥した。デトロイト(モータウン)やメンフィス(スタックス)と並び、シカゴは1970年代初頭のアルバム中心のソウル革命の舞台となった。

黒人ゴスペルの豊かな影響を受けたサザン・ソウルと同じく、シカゴ・サウンドも明らかにゴスペルをふくむが、いくらか軽く・繊細微妙なアプローチを持つ。シカゴのヴォーカル・グループは甘く落ち着いたハーモニーを歌い、ソロ歌手は高度に旋律的でポップである傾向がある。

管楽器に強いジョニー・ペイト英語版、弦楽器専門のライリー・ハンプトン英語版などの編曲家が洗練されたオーケストレーションを行った。ゴスペルの要素が強く激しい雰囲気を持つ「ハード・ソウル」と対比して「ソフト・ソウル」と呼ばれることもある。

主要レーベル[編集]

さまざまなレーベルが1960年代・1970年代に活躍した。

ヴィージェイ(Vee-Jay)[編集]

ジミー・リードのシングル・ラベル
1963年のビートルズ

1958年、シカゴでの最初のソウル・ヒットと目されるジェリー・バトラーインプレッションズ『For Your Precious Love』を録音。A&R担当のカルビン・カーター英語版が多くの歌手を育てあげ、バトラー『He Will Break Your Heart』、ベティー・エヴェレット『The Shoop Shoop Song (It's in His Kiss)』、Dee Clark『Raindrops』、ジーン・チャンドラー『Duke of Earl』などがヒットした。

1962年にビートルズがアメリカで最初に契約したレーベルとしても有名である。1963年7月にビートルズの米国初アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』を発売。資金繰りがきつくプロモーションもできなかったのでビートルズを手放すことになり、1966年に破産処理した。

チェス(Chess Records)[編集]

チェスのスタジオ2012年

チェス・レコードはかつてブルースを専門に扱っていたが、A&Rのロッケル・ビリー・デイビス英語版

などを育てた。エタ・ジェームスはソフトな『At Last』、ハードな『Tell Mama』の両方を歌った。

オーケー(OKeh)[編集]

ソフィー・タッカーのシングル

コロムビア・レコード傘下にあるこのレーベルは、古くはルイ・アームストロング1920年代の初期音源で知られる。A&Rはカール・デイヴィス。カーティス・メイフィールドが多くの曲を書き、シカゴ・ソウル象徴となった。メジャー・ランス(『モンキー・タイム』), Walter Jackson ("It’s All Over"), ジェリーの弟ビリー・バトラー ("Right Track"), Artistics ("Get My Hands on Some Lovin'")などがヒット。

ABCパラマウント(ABC-Paramount)[編集]

ギター・作曲のカーティスが率いたインプレッションズが所属。後にブルース・スプリングスティーンがカバーした"Gypsy Woman"、ジェフ・ベックロッド・スチュアートボブ・マーリーがカバーした"People Get Ready"などがヒット。ほかにマーベロウズ英語版 ("I Do")がいた。

コンステレーション(Constellation Records)[編集]

1963年8月にエワート・アブナー英語版, Bill "Bunky" Sheppard, Art Sheridanが設立。アブナーはヴィージェイから飛び出した人物で、プロデューサーのBill "Bunky" Sheppardと、ジーン・チャンドラーとDee Clarkを引き抜いていた。Art Sheridanは1950年代初頭にチャンス・レコード英語版を経営していて、ヴィージェイに投資していた。

チャンドラーは次の3年で飛躍し、"Just Be True"や"Nothing Can Stop Me"が全国ヒットになった。一方、Dee Clarkは"Warm Summer Breezes"や"Heartbreak"の地元ヒットに終わった。ほかに、ホリー・マクスウェル英語版の"Only When Your Lonely", "One Thin Dime", "Suffer"などが地域ヒットとなった。

ワン・ダーフル(One-derful)[編集]

One-derful, M-Pac, Mar-V-lus, Midasの四つのレーベルの複合体で、はげしいゴスペル的スタイルを取った。オーティス・クレイ ("That’s How It Is"), Harold Burrage ("Got to Find A Way")、マッキニー・ミッチェル英語版 ("The Town I Live In"), ハロルド・バラージュ英語版 ("Shake a Tail Feather")などがいた。アルビン・キャッシュ英語版とthe Crawlersの"Twine Time"がダンス・ヒット。

ブランズヴィック:Brunswick[編集]

ブランズヴィック・ラベル

若いころのビリー・ホリデーの音源で有名な、ニューヨークが本拠のレーベル。A&RのCarl Davisがシカゴで活躍し、シカゴ・サウンドの大きな部分となった。

まずは1966年にジャッキー・ウィルソンが録音を開始し、『ハイヤー・アンド・ハイヤー英語版』といったヒット曲を世に送った。

ほかにシャイ・ライツ(『オー・ガール英語版』『have you seen her』), アーティスティックス英語版 ("I'm Gonna Miss You"), Barbara Acklin ("Love Makes A Woman"), タイロン・デイビス英語版 ("Turn Back the Hands of Time"), ジーン・チャンドラー英語版 ("The Girl Don't Care")がいた。

カートム(Curtom)[編集]

カーティス・メイフィールドの会社。1968年録音開始。ポスト・ソウル時代にファンク、ディスコ音楽をつくり、黒人映画音楽の主要な制作者となった。

メイフィールドはこのレーベルでソロ活動を開始し、映画『スーパーフライ』のサウンドトラック(1972)が最も売れた。

他にLinda Clifford ("Runaway Love"), the Natural Four ("Can This Be Real"『count on me』), Staple Singers ("Let's Do It Again")などがヒット。

メイフィールドはカートム以前にWindy C (Five Stairsteps, Holly Maxwell, June Conquest), Mayfield (Fascinations, The Mayfield Singers)を経営しており、Mayfieldには後のスター:ダニー・ハサウェイとリロイ・ハトソン、とHolly Maxwellがいた。

1980年にメイフィールドはカートムを閉鎖しアトランタへ引っ越した。ほどなくしてブランズウィックも閉鎖。時代はディスコ全盛で、シカゴ・ソウルは終わった。

シャイサウンド(Chi-Sound)[編集]

ふたたびCarl Davisの会社。シャイ・ライツ、デルズ、チャンドラーなどのほか、1976年から1982年までにウィンディ・シティ・オーケストラエボニー・リズム・ファンク・キャンペーン、マグナム・フォース、Sidney Joe Qualls、マンチャイルド、シャイサウンド・オーケストラらがディスコ・ヒットを量産した。

主な関連人物[編集]

参照[編集]

  1. ^ Wynn, Ron (1955年3月29日). “Willie Clayton - Music Biography, Credits and Discography”. AllMusic. 2013年3月27日閲覧。

出典および参考資料[編集]

  • Pruter, Robert (1991). Chicago Soul. Urbana, IL: University of Illinois Press.

外部リンク[編集]