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ブルートーンズ

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ザ・ブルートーンズ
タイ・バンコクにて。1996年撮影。
基本情報
出身地 イギリスの旗 イギリス
ロンドン・ハウンズロー
ジャンル インディー・ロック
ギターポップ
ブリットポップ
活動期間 1993年 - 2011年
2015年 -
レーベル A&Mレコード
スペリアー・クォリティ・レコーディング
クッキング・ヴァイナル
ユニバーサル・ミュージック
公式サイト http://bluetones.band/
メンバー マーク・モリス
アダム・デヴリン
スコット・モリス
エズ・チェスターズ
旧メンバー リチャード・ペイン

ザ・ブルートーンズ (The Bluetones) は、イギリスロンドン出身のロックバンド

概要

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1993年結成、ブリットポップ・ムーブメント全盛の1995年にデビュー。繊細なギターポップを持ち味として、1996年のシングル「Slight Return」やデビュー・アルバム『Expecting to Fly』のヒットで一躍人気を集めた。ブリットポップ終焉後も地道に活動を続けていたが、2011年をもって解散することを発表。同年秋に日本公演を締めくくりとするフェアウェル・ツアーを行い、18年間の活動に一旦幕を下ろした。デビュー20周年を迎えた2015年に再結成を発表。その後も断続的にツアーを継続し、2020年5月には8年半ぶりとなる来日公演を行うことを発表。

メンバーと主な担当楽器

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バンドのフロントマン。バンド解散後も、ソロ・アーティストとして活動を行っている。
ザ・スミスオレンジ・ジュースアズテック・カメラの影響を受けてギターを始める。デビュー当時、憧れのヒーローとしてエドウィン・コリンズジョニー・マースコット・ウォーカーラヴのアーサー・リーなどを挙げている。
マークの弟。ブルートーンズのアルバムやシングルのジャケットを手がけており、バンドがインディーに転じてからはPVの制作も自ら手がけた。バンド解散後は、フリーのアニメーション作家に転向している。
ブルートーンズ加入前は、「Hippy Chick」のヒットで知られるポップ・ユニット「Soho」に在籍していた。バンド解散後は、オステオパシー(整骨療法の一種)に転身している[1]
元メンバー
ドッジーのサポート・メンバー。1998年から2002年まで在籍。ブルートーンズ脱退後はオーストラリアに移住していたが、2011年9月に本国で行われたフェアウェル・ツアーに参加するため、久々にバンドに復帰した。

来歴

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バンド結成

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ザ・スミスストーン・ローゼズの音楽に触発されたマーク・モリス(ボーカル)とアダム・デヴリン(ギター)、マークの弟のスコット・モリス(ベース)により「The Bottlegarden」というバンドを結成。後にエズ・チェスターズ(ドラムス)も加入し、1993年に「The Bluetones」としてライヴ活動を開始。4人は大ロンドンのハウンズローという町で、同郷のドッジーのメンバーと同じ一軒家に住み込みながら、リハーサルに明け暮れる下積み時代を過ごした。

デビュー、 一躍人気の頂点へ

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1994年、新人バンドの登竜門的存在であるフィアース・パンダ・レコードのコンピレーション盤で「No. 11」という曲を発表(これは彼らが11番目に作った曲ということで名づけられ、後に「Bluetonic」として発表された)。その後、スーパーグラスシェッド・セヴンなどのオープニングアクトとして全英各地を回り、1995年2月には自主制作シングル「Slight Return/The Fountainhead」をリリースするなどして、クリエイションやフード・レコードをはじめ、数多くのレコード会社からオファーを受けることになった。

バンドはその中からA&Mレコードと契約を結び、1995年6月に1stシングル「Are You Blue or Are You Blind?」を発表。これはインディーチャートで1位を獲得し、全英チャートでも31位に入った。さらに、同年9月発表の2ndシングル「Bluetonic」は全英19位を記録。また日本でもミニアルバム「A Bluetones Companion」を発表し、同年11月にはシャーラタンズのオープニングアクトとして初来日を果たす。

1996年1月、3rdシングル「Slight Return」が全英2位と大ヒットし、ついにブレイクを果たす。同年2月、1stアルバム『Expecting to Fly』を発表。アルバムは、当時モンスターヒットとなっていたオアシスの『(What's the Story) Morning Glory?』を蹴落として、全英1位を獲得。売り上げはプラチナ・ディスクにまで達する成功を収めた。同年4月にはシングル「Cut Some Rug」も全英7位とヒットし、ブリット・アウォーズのベスト・ニュー・バンド部門にノミネートされた。また同年9月に発表された新曲「Marblehead Johnson」(全英7位)は、メンバーが特殊メイクでデブに扮したミュージック・ビデオも話題となった。

ブリットポップ後、メジャーでの活動

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1998年2月に先行シングル「Solomon Bites the Worm」(全英10位)、同年3月に2ndアルバム『Return to the Last Chance Saloon』を発表。アルバムは全英10位と前作の成功には及ばなかったが、ゴールド・ディスクを獲得。また日本でもオリコンチャートのトップ40入りしている。アルバムからは、「If...」(全英13位)、「Sleazy Bed Track」(全英35位)、「4-Day Weekend」(日本人アニメーターの森本晃司ミュージック・ビデオを制作した)がシングルカットされた。

2000年2月に先行シングル「Keep the Home Fires Burning」(全英13位)、同年5月にシングル「Autophilia」(全英18位)と3rdアルバム『Science & Nature』(全英7位)を発表。新メンバーとしてキーボード担当のリチャード・ペイン(元ドッジー)が加入した。このアルバムはA&Mレコードが吸収合併されたことからマーキュリー・レコードからのリリースとなっているが、より大きなレーベルに移ったことで十分なプロモーションがされなくなってしまったと、マークは後に振り返っている(アルバムからカットされた「Mudslide」のPVはそのことを皮肉ったような内容となっている)。また同年8月には第1回のサマーソニックに出演、11月にレーベルメイトのムーヴァーを引き連れての来日公演も果たしている。

2002年3月に新曲「After Hours」(全英26位)、同年4月にそれまでのシングル曲と新曲を集めた『The Singles』(全英14位)を発表。このアルバムの発表後、リチャードはバンドを脱退。さらにバンドはマーキュリー・レコードを離れることとなり、以後はインディーで活動することになった。

インディーでの活動

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2003年4月に両A面シングル「Fast Boy/Liquid Lips」(全英25位)、同年5月に4thアルバム『Luxembourg』(全英49位)を自主レーベルから発表。マークが「これまでの僕達の作品とはまったく異なる」[2]と語った通り、それまでバンドが多用してきたアコギを一切使用せず、パンク・ロックガレージロックニュー・ウェイヴに強く影響を受けたアルバムだった。またシングルカットされた「Never Going Nowhere」は全英チャートでは最後のトップ40入りを記録した。

しばらくバンドは充電期間をおいた後、2005年11月にEPSerenity Now」を自主リリースして活動を再開。それと前後してインディーレーベルのクッキング・ヴァイナルと契約を結ぶ。

2006年2月、マーク・モリスが「The Fi-Lo Beddow EP」をリリース。これ以後もマークはバンドと並行してソロ活動を行うようになっていく。また同年3月、それまでのバンドのシングル曲を集めた3枚組ベストアルバム『A Rough Outline: The Singles & B-Sides 95–03』(全英156位)を発表している。

2006年9月に先行シングル「My Neighbour's House」(全英68位)、同年10月に5thアルバム『The Bluetones』を発表。アルバムからはさらに「Head on a Spike」、「Surrendered」がシングルカットされた。また2007年3月、ブリティッシュ・アンセムズに出演するために来日を果たした。

2007年には『BBC Radio Sessions』、ライブ・アルバム『Once Upon a Time in West Twelve』とそのDVD『Beat About The Bush』、デビュー前のデモ音源集『The Early Garage Years』、それまでのミュージック・ビデオなどをまとめたDVD『Blue Movies』など、レコード会社主導で数多くの編集盤がリリースされた。

2008年5月、マークがソロ・アルバム『Memory Muscle』を発表。アルバムには自作の新曲群のほかに、「The Fi-Lo Beddow EP」の再録バージョンやティーンエイジ・ファンクラブの「Alcoholiday」のカバーなどが収められている。また同年12月には、ブルートーンズとして『Expecting to Fly』を全曲演奏するツアーを行った。

2010年5月、これまでで最も長いブランクとなる3年半ぶりに、6枚目のスタジオ・アルバム『A New Athens』を発表。メンバーにとっても自信作だったがセールス的に成功を収めるまでには至らず、図らずも本作がラストアルバムとなってしまった。

解散を発表、フェアウェル・ツアー

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2011年3月28日、同年秋に行われるツアーを最後に解散することをあきらかにして、以下の声明を発表した。

残念だけど、お別れを言わなきゃいけない時が来たんだ。17年間ツアーして6枚のスタジオ・アルバムを作ってきたけど、ブルートーンズは今秋のツアーを最後にするって決めたよ。僕らの忠実なサポーターたちに感謝の意を表するために、キャリアを総括するようなセットリストを演奏しようと思う。願わくは、盛り上がって終われるといいね。9月にみんなと会えるのを楽しみにしてるよ[3]

当初イギリス以外での公演予定はなかったが、ファンやメンバーらの強い要望を受けて、急遽フェアウェル・ツアーを日本でも開催することを発表した[4]2011年10月1日に行われた大阪公演が、ブルートーンズにとってのラスト・ライヴとなった。

再結成

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解散後、マークは2ndアルバム『ア・フラッシュ・オブ・ダークネス』を発表するなど、ソロ・アーティストとして活動。その他のメンバーは、音楽活動から離れていたが、2015年にブルートーンズがデビューして20周年を迎えることを記念して、オリジナルメンバー4人が集結。同年9月から再結成ツアーを行うことを発表した。

その他のエピソード

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アルバム・ディスコグラフィー

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スタジオ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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ライブ・アルバム

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来日公演

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1995年シャーラタンズオープニングアクト

  • 11月30日 大阪ベイサイドジェニー
  • 12月2日 東京・渋谷CLUB QUATTRO(この日のみ単独公演)
  • 12月2日 東京・新宿LIQUIDROOM(オールナイトライブ)

1996年

1998年

  • 4月20日 東京・恵比寿ザ・ガーデンホール
  • 4月22日 名古屋CLUB QUATTRO
  • 4月23日 大阪・梅田ヒートビート
  • 4月25日 東京・恵比寿ザ・ガーデンホール

2000年

2000年ムーヴァーとのジョイントツアー)

2003年

2004年マーク・モリスのソロ公演)

  • 11月19日 東京・渋谷ライブハウスチェルシーホテル

2007年

2011年

  • 9月30日 東京・渋谷Duo Music Exchange
  • 10月1日 大阪THE LIVE HOUSE soma(ラストライヴ)

脚注

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  1. ^ Nineties pop star to be osteopath」 "Osteopathic Clinic"。
  2. ^ The Bluetones 4作目となるニュー・アルバムをリリース」 VIBE、2003年3月31日。
  3. ^ ブルートーンズが解散」 OOPS!、2011年3月29日。
  4. ^ 解散を発表したTHE BLUETONES、フェアウェル・ツアーを日本でも開催」 TOWER RECORDS ONLINE、2011年5月25日。
  5. ^ Fare thee well, The Bluetones (1993-2011)」 "edgar wright here" 2011年4月1日。

外部リンク

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