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エンリコ・レッタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エンリコ・レッタ
Enrico Letta
エンリコ・レッタ(2024年)
生年月日 (1966-08-20) 1966年8月20日(58歳)
出生地 イタリアの旗 イタリア トスカーナ州ピサ県ピサ
出身校 ピサ大学
サンタンナ大学院
所属政党 キリスト教民主主義(- 1994年)
イタリア人民党(1994年 – 2002年)
マルゲリータ(2002年 – 2007年)
民主党(2007年 -)
配偶者 ジャンナ・フレゴナーラ
公式サイト Enrico Letta

内閣 レッタ内閣
在任期間 2013年4月28日 - 2014年2月22日
大統領 ジョルジョ・ナポリターノ

イタリアの旗 欧州問題担当相
在任期間 1998年10月21日 - 1999年12月22日
首相 マッシモ・ダレマ

イタリアの旗 通商産業技術相
在任期間 1999年12月22日 - 2001年6月11日
首相 マッシモ・ダレマ
ジュリアノ・アマート

イタリアの旗 首相府次官
在任期間 2006年5月17日 - 2008年5月8日
首相 ロマーノ・プロディ

イタリアの旗 代議院議員
選挙区 ピエモンテ第1選挙区
マルケ第1選挙区
ロンバルディア選挙区
在任期間 2001年5月30日 - 2004年6月14日
2006年4月10日 -

その他の職歴
欧州連合の旗 欧州議会議員
2004年6月14日 - 2006年4月10日
イタリアの旗 農林食品政策相
2014年1月27日 - 2月22日
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エンリコ・レッタイタリア語: Enrico Letta, 発音 [enˌriːko ˈlɛtːa]1966年8月20日 - )は、イタリア政治家代議院(下院)議員(4期)。

第83代閣僚評議会議長(首相)、通商産業技術相、欧州問題担当相、首相府次官(官房長官)、欧州議会議員(1期)などを歴任した。2015年9月より、パリ政治学院 Paris School of International Affairs学部長[1]

経歴

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トスカーナ州ピサ出身。父のジョルジオは数学者ピサ大学数学科教授(専門は確率論)。高校時代はフランスストラスブールで過ごし、ピサ大学政治学国際法を専攻。サンタンナ大学院でEU法を専攻し博士号を取得。キリスト教民主主義に入党し、1994年の解党後はイタリア人民党、2002年からはマルゲリータに所属した。1998年マッシモ・ダレマ政権で欧州問題担当相として初入閣。イタリアでは戦後最年少の閣僚となる。以後、通商産業技術相、欧州議会議員を経てロマーノ・プロディ政権で首相府次官(日本の内閣官房長官に相当)を務めた。

2007年には民主党の結党に参加した。2009年、地方選挙敗北の責任を取って党書記長を辞任したワルテル・ヴェルトローニの後継となったダリオ・フランチェスキーニ体制で副書記長に就任した。書記長選挙でフランチェスキーニを破ったピエル・ルイジ・ベルサーニの下でも副書記長を務めた。

2013年、民主党を軸とする中道左派連合が下院選挙で勝利するものの、上院選では過半数獲得に失敗。その後の大統領選挙で党内に造反が続出したことより、ベルサーニと共に執行部を退任する。

しかし、大統領に再選したジョルジョ・ナポリターノより首班指名され[2]、4月27日に閣僚名簿を提出。翌28日に就任宣誓を行い、戦後3番目に若い首相となった[3][4]

2014年2月、自らが所属している民主党から政権運営への批判が起こり、党内の支持を失ったことから辞任を決意し、2月14日にナポリターノ大統領に辞表を提出[5][6]、大統領もこれを受理して僅か10ヶ月で首相を退任することとなった[7]。2014年2月17日、ナポリターノ大統領は、レッタの後任として民主党のマッテオ・レンツィ書記長を次期首相に指名、組閣を要請した[8]

人物

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シルヴィオ・ベルルスコーニの側近であるジャンニ・レッタは叔父にあたる。

仕事で訪日する事が多く、歴代首相の中で日本での知名度は高い。

著作

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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公職
先代
マリオ・モンティ
イタリアの旗 イタリア閣僚評議会議長
第83代:2013年 - 2014年
次代
マッテオ・レンツィ
先代
ピエル・ルイジ・ベルサーニ
イタリアの旗 イタリア
通商産業技術相

1999年 - 2001年
次代
アントニオ・マルツァーノ英語版
先代
ランベルト・ディーニ
イタリアの旗 イタリア
欧州問題担当相

1998年 - 1999年
次代
パトリツィア・トイア英語版