ジュリオ・アンドレオッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
イタリアの旗 イタリアの政治家
ジュリオ・アンドレオッティ
Giulio Andreotti
Andreotti 1991.jpg
アンドレオッティ(1991年)
生年月日 1919年1月14日
出生地 イタリア王国の旗 イタリア王国ラツィオ州ローマ県ローマ
没年月日 2013年5月6日(満94歳没)
死没地 イタリアの旗 イタリア、ラツィオ州ローマ県、ローマ
所属政党 無所属(1994 - 2013)
キリスト教民主主義(1946 - 1994)
配偶者 リビア・ダネーセ

イタリアの旗 第27・28・33・34・35・47・48代
閣僚評議会議長(首相)
内閣 第1次アンドレオッティ内閣
第2次アンドレオッティ内閣
第3次アンドレオッティ内閣
第4次アンドレオッティ内閣
第5次アンドレオッティ内閣
第6次アンドレオッティ内閣
第7次アンドレオッティ内閣
任期 (第27・28代)1989年7月22日 - 1992年4月24日
(第33・34・35代)1976年7月29日 - 1979年8月4日
(第47・48代)1972年2月17日 - 1973年7月26日
大統領 (第27・28代)フランチェスコ・コッシガ
(第33・34・35代)ジョヴァンニ・レオーネ
アレッサンドロ・ペルティーニ
(第47・48代)ジョヴァンニ・レオーネ

内閣 第1次クラクシ内閣
第2次クラクシ内閣
第6次ファンファーニ内閣
ゴリーア内閣
デ・ミータ内閣
任期 1983年8月4日 - 1989年7月22日

内閣 第2次セーニ内閣
タンブロニ内閣
第3次ファンファーニ内閣
第4次ファンファーニ内閣
第1次レオーネ内閣
第1次モーロ内閣
第2次モーロ内閣
第3次モーロ内閣
ルモール内閣
任期 1959年2月15日 - 1966年2月23日
1974年3月14日 - 1974年11月23日

その他の職歴
イタリアの旗 元老院(上院)議員(終身)
1991年 - 2013年
イタリアの旗 代議院(下院)議員(11期)
(1946年 - 1991年)
テンプレートを表示
Andreotti.jpg

ジュリオ・アンドレオッティイタリア語: Giulio Andreotti, 1919年1月14日 - 2013年5月6日)は、イタリア政治家

首相(第27・28・33・34・35・47・48代)、外相国防相内相、金融相、国庫相、通商産業工業相、公営企業相、文化財・文化活動相上院議員(終身)、下院議員(11期)を歴任。

略歴[編集]

政界へ[編集]

ラツィオ州ローマで生まれ、ローマ大学法律を学んだ。卒業後の第二次世界大戦後キリスト教民主主義に入党し、1946年に下院議員に当選した。

19回の入閣[編集]

下院議員当選の翌年の1947年に、アルチーデ・デ・ガスペリ内閣の首相府の副長官となって以来、冷戦下におけるイタリア最大の反共保守政党であるキリスト教民主主義の実力者として頭角を現し、1954年1月にはアミントレ・ファンファーニ内閣の内相として初入閣し、以降外相国防相などの要職を兼任(入閣回数は19回)した。

3回の首相[編集]

1978年サミット時(左端)

さらに、1972年2月-1973年7月、1976年7月-1979年8月と1988年7月-1992年4月の3回、合計7期にわたり首相を勤めた。3回目の首相在任中の1991年6月に、国家への貢献が認められて終身上院議員となる。

なお、入閣および首相在任中はキリスト教民主主義の他のメンバー同様一貫して親西側諸国、反東側諸国(反共)の姿勢をつらぬき、特にアメリカと深い関係を保っていたと言われている。

マフィアとの関係[編集]

首相就任前のみならず首相在任当時も、国内外においてアンドレオッティとマフィアをはじめとする犯罪組織との親密な関係が半ば「公然たる事実」として扱われていた。マフィアの構成員はアンドレオッティのことを親しげに「ジュリオおじさん」というニックネームで呼んでいたといわれる。実際に、シチリアマフィア(コーザ・ノストラ)のドンのサルヴァトーレ・リイナと抱擁しキス(頬へのキスは同志に行う所作)をしている所を目撃されている。

首相在任当時から、イタリアの現代史に残る数々のマフィアがらみの犯罪や暗殺事件への関与が疑われ、殺人罪で有罪判決を受けたこともあるものの、不可解な理由でその判決が覆されたこともあり実刑判決を受けることはなかった(詳細は後述)。

ロッジP2[編集]

保守派のイタリア政財界人及び軍人を中心とした秘密結社である「ロッジP2」との関係が深く、「ロッジP2」の代表でマフィアや極右政党、アルゼンチンファン・ペロン大統領などの南アメリカの軍事独裁政権との関係が深く、1980年ボローニャ駅爆破テロ事件や、カルヴィ暗殺事件の主犯格であるリーチオ・ジェッリとの関係が深かった。

さらに、バチカン銀行の主な取引行であるものの、マフィアのマネーロンダリングにかかわった挙句、10億から15億USドルに上るといわれる使途不明金を抱え1982年に破綻したアンブロシアーノ銀行頭取で構成員のロベルト・カルヴィや、ミケーレ・シンドーナとの関係が深かったと言われており、実際に1973年にはシンドーナを「リラの守護神」として表彰している。

このことから、ボローニャ駅爆破テロなどで指名手配されたジェッリの逃亡幇助や、アンブロシアーノ銀行の破綻、更にカルヴィの暗殺事件にも大きくかかわっていたと言われている上、そしてバチカン銀行総裁のポール・マルチンクス大司教やジェッリ、カルヴィが関与していたと噂されるヨハネ・パウロ1世教皇の「暗殺」にも関与していたとも言われている。なお、アンドレオッティ自身は、「ロッジP2」の会員ではなかった。

首相退任[編集]

アンドレオッティやその側近の相次ぐマフィアとの関係や汚職の疑惑を受けて、アンドレオッティは1992年4月に首相の座を追われ、さらにアンドレオッティが長年事実上の最高権力者として君臨したキリスト教民主主義は、1994年に解党に追い込まれた。次期首相はイタリア社会党ジュリアーノ・アマートとなった。

裁判[編集]

首相の座を追われたアンドレオッティはその後も終身上院議員として無所属で国政での活動を続けたものの、首相退任直後には、退任の原因となった複数のマフィアがらみの犯罪について起訴されることとなった。

「ファルコーネ判事暗殺事件」[編集]

首相退任の翌年の1993年5月には、贈賄とマフィアとの癒着の容疑で検察より捜査通告が出され、かねてから親密な関係が噂されていたシチリアマフィアのドンであるサルヴァトーレ・リイナなどとの親密な関係が暴露された。なお、リイナの裁判の過程において、アンドレオッティはリイナが指名手配を受け逃亡中にもかかわらず、数回に渡り密会していたことが明らかになっている。

このことからアンドレオッティは、リイナをはじめとするマフィアと政界の癒着を解明しようと捜査を行っていたジョヴァンニ・ファルコーネ裁判官1992年にリイナによってパレルモで暗殺された事件の「黒幕」と目されている。しかし、2003年5月に控訴審は「マフィアとの関係は確認されたものの、時効が成立している」との理由で無罪を言い渡した。

「モーロ元首相誘拐事件」[編集]

アルド・モーロ元首相

さらに、1978年に起きたアルド・モーロ元首相誘拐事件へのアンドレオッティの関与を暴こうとした雑誌編集者で、「ロッジP2」のメンバーでもあるミーノ・ペコレッリの殺害をマフィアに依頼したとして、アンドレオッティの事件への関与を多数の元マフィアが証言したため、2002年11月に殺人罪で懲役24年の有罪判決を受けた。しかし翌年の10月には「証拠不十分」として逆転無罪の判決が出た。

なおこの誘拐事件においては、ローマ教皇を含めたイタリア政界上層部と誘拐犯である「赤い旅団」との間で数度にわたる交渉が行われたものの、モーロと当時対立関係にあったアンドレオッティ率いる当時の内閣は「赤い旅団」の逮捕者の釈放要求を拒否したため、結果的にモーロは殺害された。

さらに、モーロが当時イタリア共産党の議会への復活を画策していたことから、モーロが解放されることにより、冷戦下のイタリアにおいて共産党勢力が勢いをつける(当時イタリアにおいて共産党は2番目の支持率を誇っていた)ことを嫌ったCIAが、アンドレオッティにモーロを解放させぬように圧力をかけた疑いも取りざたされた。

晩年[編集]

上記の裁判における無罪を勝ち取ったアンドレオッティは、その強大な影響力こそ失ったものの、その後も終身国会議員として活動を続けた。2009年には90歳となり、前年の2008年11月2日には、テレビの生放送のインタビューを受けている最中に突然硬直状態に陥るなど、健康不安がささやかれるようにもなったが、最晩年も「コリエーレ・デラ・セラ」紙への定期連載を続けたほか、テレビ雑誌などのインタビューに答えるなど活動を続けた。2013年5月6日、ローマの自宅で死去した[1]。94歳没。

評価[編集]

「イタリア政界の硬直化の象徴」[編集]

アメリカのリチャード・ニクソン大統領(右端)とフランク・シナトラ(中央)とともに(1973年)

第二次世界大戦直後より永くイタリア政界の実力者として君臨しており、その権力の影響は政界のみならず、財界、法曹界、カトリック教会、はては労働組合からマフィアまで幅広く及んでいると言われる。

あまりにも長くに渡って実力者の地位を占めたことから、国内外で「イタリア政界の硬直化の象徴」という見方をされることも多かった。また、自らの経験を基にした「権力は、それを持たないものを消耗させる」という発言がある。

「魔王」[編集]

1990年代初頭の冷戦崩壊後に、アメリカ合衆国キリスト教会の支援の下に生きながらえていた世界各国の反共保守政権が、その存在意義を失い崩壊していく中で、自らの利権と反共保守体制を守るためにマフィアとの関係を続けていたアンドレオッティ(とキリスト教民主主義)もその実態を暴かれ没落することとなった。

その後数々の裁判で有罪判決を受けたものの、自らの影響力を巧みに使い、実刑判決を受けることなく終身上院議員として活動を続けていたことから、イタリアでは「魔王ジュリオ(Divo Giulio)」とも称されていた。

エピソード[編集]

  • 1989年に公開されたイタリア系マフィアとイタリア政界、さらにバチカンとの癒着(とカルヴィ暗殺事件及びヨハネ・パウロ1世の「暗殺」)を扱ったアメリカ映画『ゴッドファーザーPARTIII』では、マフィアとバチカンと親密な関係がある政治家「ドン・ルケージ」の原型となった。
  • 毎日教会でのミサを欠かさず、修道士へ多額の寄付をしていた。4人の歴代ローマ教皇と親密な友人でもあった。
  • モーロ元首相は、「赤い旅団」に監禁されていた時に書いた手紙で「アンドレオッティは悪事を行うために生まれてきた男」と指摘した。
  • 2008年にアンドレオッティの生涯をもとにした映画『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男(原題:Il Divo)』(パオロ・ソレンティーノ監督)が制作され、同年のカンヌ国際映画祭 審査員賞を獲得した。

脚注[編集]

  1. ^ イタリア元首相・アンドレオッティ氏が死去 読売新聞 2013年5月6日

関連項目[編集]

公職
先代:
エミリオ・コロンボ
アルド・モーロ
チリアーコ・デ・ミータ
イタリアの旗 イタリア共和国閣僚評議会議長
第27・28代:1972年 - 1973年
第33・34・35代:1976年 - 1979年
第47・48代:1989年 - 1992年
次代:
マリアーノ・ルモール
フランチェスコ・コッシガ
ジュリアーノ・アマート
先代:
アミントレ・ファンファーニ
フランチェスコ・コッシガ
イタリアの旗 イタリア共和国内相
1954年
1978年
次代:
マリオ・スケルバ
ヴァージニオ・ログノーニ
先代:
ロベルト・トレメローニ
イタリアの旗 イタリア共和国金融相
1955年 - 1958年
次代:
Luigi Preti
先代:
Giuseppe Medici
イタリアの旗 イタリア共和国国庫相
1958年 - 1959年
次代:
フェルナンド・タンブロニ
先代:
アントニオ・セーニ
マリオ・タナッシ
イタリアの旗 イタリア共和国国防相
1959年 - 1966年
1974年
次代:
ロベルト・トレメローニ
アルナルド・フォルラーニ
先代:
Edgardo Lami Starnuti
イタリアの旗 イタリア共和国通商産業工業相
1966年 - 1968年
次代:
Mario Tanassi
先代:
Antonio Giolitti
イタリアの旗 イタリア共和国予算相
1974年 - 1976年
次代:
Tommaso Morlino
先代:
エミリオ・コロンボ
イタリアの旗 イタリア共和国外相
1983年 - 1989年
次代:
ジアンニ・デ・ミケリス
先代:
Franco Piga
イタリアの旗 イタリア共和国公営企業相
1990年 - 1992年
次代:
Giuseppe Guarino
先代:
Ferdinando Facchiano
イタリアの旗 イタリア共和国文化財・文化活動相
1991年 - 1992年
次代:
Alberto Ronchey