パオロ・ジェンティローニ
パオロ・ジェンティローニ | |
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第64代イタリア共和国閣僚評議会議長 | |
任期 2016年12月12日 – 2018年6月1日 | |
大統領 | セルジョ・マッタレッラ |
前任者 | マッテオ・レンツィ |
後任者 | ジュゼッペ・コンテ |
外相 | |
任期 2014年10月31日 – 2016年12月12日 | |
首相 | マッテオ・レンツィ |
前任者 | フェデリカ・モゲリーニ |
後任者 | アンジェリーノ・アルファノ |
通信相 | |
任期 2006年5月17日 – 2008年5月8日 | |
首相 | ロマーノ・プローディ |
前任者 | マリオ・ランドルフィ |
後任者 | クラウディオ・スカヨーラ (経済発展相) |
代議院議員 | |
就任 2001年5月30日 | |
選挙区 |
ピエモンテ2区 (2001年 – 2006年) ラツィオ1区 (2006年 - 現在) |
個人情報 | |
生誕 |
パオロ・ジェンティローニ・シルヴェーリ 1954年11月22日(64歳) イタリア、ローマ |
政党 |
マルゲリータ (2002年 – 2007年) 民主党 (2007年 – 現在) |
配偶者 | エマヌエーラ・マウーロ |
出身校 | ローマ・ラ・サピエンツァ大学 |
専業 |
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署名 |
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パオロ・ジェンティローニ・シルヴェーリ[1](イタリア語: Paolo Gentiloni Silveri、イタリア語発音: [ˈpaːolo dʒentiˈloːni]、1954年11月22日 - )は、イタリアの政治家。民主党所属。これまでに同国閣僚評議会議長(首相、第64代)[2]や通信相(2006年 - 2008年)、外相(2014年 - 2016年)を歴任した。
生い立ち[編集]
ジェンティローニ・シルヴェーリ伯爵家の末裔で、著名な親族には保守派のカトリック選挙連合の党首であったヴィンチェンツォ・オットリーノ・ジェンティローニがいる。ヴィンチェンツォは、長年首相を務めたジョヴァンニ・ジョリッティの盟友であった(ジェンティローニ協定も参照)。
ローマに生まれ、同市内のトルクァート・タッソ文科高校を卒業後、ローマ・ラ・サピエンツァ大学で政治学を修めた。ジャーナリストでもある。
政治活動[編集]
ジェンティローニは、マリオ・カパンナが旗揚げした極左青年組織「学生運動」のメンバーであった[3]。しかし、カパンナが新たにプロレタリア民主党を設立したとき、ジェンティローニはこれに追随せず、社会主義を掲げる労働運動に合流した。このときシッコ・テスタと親友になり、その力添えによって、環境団体レガンビエンテの機関紙「ラ・ヌオーバ・エコロジア」(新たな生態系)の編集長となった。エコロジスト系新聞の編集長として、当時緑の連盟の若き指導者であったフランチェスコ・ルテッリと会見することもあった。
1993年、ジェンティローニはローマ市長選挙に立候補したルテッリのスポークスマンとなった。ルテッリは右派のジャンフランコ・フィーニに大勝を収め当選し、ジェンティローニはローマ市議会の宝飾品・観光評議員に任命された。
国会議員[編集]
2001年の総選挙で、ジェンティローニは国会議員に当選し、国政に進出した。2002年には新党「マルゲリータ」に合流し、同党のスポークスマンを5年間務めた[4]。
2005年から2006年には、国営放送局であるイタリア放送協会の活動を監督する放送事業監視委員会の委員長を務めた[5] 。
2006年の総選挙ではロマーノ・プローディの政党連合「オリーブの木」から立候補し、再選された。2006年から2008年の第2次ロマーノ・プローディ内閣では通信相を務めた[6]。
2007年に民主社会主義の左翼民主主義者とキリスト教左派の「マルゲリータ」が合流して民主党が結成された際には、全国結党委員会の委員を務めた。
2008年の総選挙ではシルヴィオ・ベルルスコーニの保守陣営が勝利したが、このときもジェンティローニは再選された。
2013年4月6日、ジェンティローニはローマ市長選挙に向けた中道左派陣営の予備選挙に立候補したが、イニャツィオ・マリーノ(市長に当選)とジャーナリストのダヴィド・サッソーリに次ぐ3位に終わった[7]。
2013年の総選挙ではピエル・ルイジ・ベルサーニ民主党書記長を代表とする中道左派連合「イタリア・ベーネ・コムーネ」から立候補し、代議院議員に当選した。同年、民主党書記長を辞任したベルサーニの後継を決める選挙が行われたが、このときには当時フィレンツェ市長であったマッテオ・レンツィを支持した。
外相[編集]

2014年10月31日、ジェンティローニは首相のレンツィから、フェデリカ・モゲリーニ(欧州連合外務・安全保障政策上級代表に転出)の後任の外相に任命された[8]。当時、イタリアは欧州連合理事会の議長国であったため、同年12月の期間満了まで、ジェンティローニはその議長国の外相の地位にあった[5]。
当初、ジェンティローニは政界関係者から後継候補とみられていなかった。レンツィは男女の閣僚数の均衡を保つため、女性を後任にあてようとしたとの報道もある。ジェンティローニもまた、外交の専門家として有名ではなかった[5]。
2015年2月13日、ジェンティローニはニュース専門チャンネル Sky TG24 とのインタビューで「要請があれば、イタリアはリビアでISIL(「イスラム国」)に対して空爆を行う用意がある。イタリアから船でたった数時間のところに、活発なテロリストの脅威があることを、イタリア政府は容認できないからだ」と述べた[9]。その翌日、ジェンティローニはイスラム国から名指しで十字軍や敵国の大臣などと非難され、脅迫を受けた[10]。
2015年3月にはメキシコとキューバを訪問した。キューバではラウル・カストロ国家評議会議長と会談し、キューバとアメリカ合衆国の関係正常化に対するイタリアの支持を改めて表明した[11]。
2015年7月11日には、エジプトのカイロで発生したテロ事件に関連して「イタリアは怯まない」と述べ、テロとの戦いを続ける意思を明らかにした[12]。同日のテロ事件ではカイロのイタリア総領事館の外で自動車爆弾が爆発し、少なくとも1人が死亡、4人が負傷した[13][14][15]。
2015年12月、ジェンティローニは内戦が続くリビアの2つの政府と国際連合、アメリカ合衆国、ロシアの代表者からなる和平会議をローマで主催した[16]。
外相在任中、ジェンティローニは数多くのイタリア市民の拉致事件に対処した。2015年1月には、シリアのテロリストに168日間拘束されていた2名のイタリア人の解放交渉にあたった[17]。しかし、2016年1月25日には、ケンブリッジ大学に在籍していたイタリア人学生がエジプトのカイロで拉致され、殺害された[18]。
2016年に国際連合総会で行われた、2017年から翌年の国際連合安全保障理事会非常任理事国をめぐる選挙では、イタリアとオランダが最後の枠をめぐって争い、5回の投票を経ても決まらなかった。そのため、ジェンティローニはオランダのベルト・クンデルス外相と会談し、2年の任期を両国が折半することで合意した[19]。
首相[編集]
2016年12月7日、レンツィは国民投票で自らの提案が否決されたことを受けて、首相職を辞すると表明した。セルジョ・マッタレッラ大統領は12月11日、ジェンティローニに新政権の組閣を要請し[20]、翌日にジェンティローニ内閣が発足した[21]。
ジェンティローニ内閣は、ジェンティローニの所属する民主党とキリスト教民主主義の政党連合「アレア・ポポラーレ」(新中道右派とイタリアのための中道の2党からなる)の連立政権である。レンツィ前政権でも、これらの政治勢力は政権与党であった[22]。しかし、デニス・ヴェルディーニの中道政党、自由人民同盟 (ALA) は、1人の入閣も実現しなかったことから新政権の支持を見送った[23]。
12月13日、ジェンティローニ内閣は代議院において、368票対105票で信任された。五つ星運動と北部同盟の議員は議場から退出した[24]。元老院でも、その翌日に169票対99票で信任された[25]。
首相就任1ヶ月後の2017年1月10日、フランスからの帰国途中に心臓の動脈の詰まりが原因で体調を崩し、帰国後ローマ市内の病院にて血管を拡張する緊急手術を受けた[26]。その後体調は順調に回復し、退院直後に閣議を開き職務に復帰した[27]。同年にイタリアのタオルミーナで開催された先進国首脳会議では議長を務めた。7月19日にエンリコ・コスタが無任所の地域自治体担当大臣を辞任したため、同日より代行。
脚注[編集]
- ^ “Camera dei Deputati- Paolo Gentiloni Silveri”. Camera dei Deputati - Paolo Gentiloni Silveri. 2016年12月17日閲覧。
- ^ Rovelli, Michela (2016年12月11日). “Governo, Gentiloni accetta l'incarico di governo: «Un grande onore»”. Corriere della Sera 2016年12月11日閲覧。
- ^ Trocino, Alessandro (2016年12月13日). “Gentiloni, Mario Capanna: «Negli anni 70 Paolo era con noi ma neanche mi accorsi di lui»” (Italian). Corriere della Sera 2016年12月14日閲覧。
- ^ Profilo personale. Archived 2014年10月31日, at the Wayback Machine.
- ^ a b c Paolo Biondi and Roberto Landucci (October 31, 2014), Italy PM picks Paolo Gentiloni as new foreign minister in surprise choice Reuters.
- ^ Giada Zampano (October 31, 2014), Italy’s Prime Minister Names Paolo Gentiloni as Foreign Minister Wall Street Journal.
- ^ “Primarie Pd, a Roma stravince Marino: secondo Sassoli, terzo Gentiloni”. 2016年10月24日閲覧。
- ^ “Gentiloni giura al Quirinale, è il nuovo ministro degli Esteri: "Governo dev'essere all'altezza"” (2014年10月31日). 2016年10月24日閲覧。
- ^ “Italy "ready to fight" in Libya if needed - foreign minister”. 2016年10月24日閲覧。
- ^ “Terrorismo, radio dello Stato islamico cita Gentiloni: "Ministro dell'Italia crociata"” (2015年2月14日). 2016年10月24日閲覧。
- ^ “Gentiloni incontra Raul Castro a Cuba”. 2016年10月24日閲覧。
- ^ AFP/PTI (2015年7月11日). “Italy not 'intimidated' by Cairo consulate attack: Foreign Minister Paolo Gentiloni”. 2016年10月24日閲覧。
- ^ “ISIS claims responsibility for bomb attack against Italian consulate in Cairo | News , Middle East”. The Daily Star (2015年7月6日). 2015年7月11日閲覧。
- ^ “Islamic State 'behind blast' at Italian consulate in Cairo - BBC News”. Bbc.com. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “1 dead in car bomb blast at Italian Consulate in Egypt - CNN.com”. Edition.cnn.com. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “Heads of rival Libyan parliaments meet in Malta, seek more time for unity government”. Times of Malta. (2015年12月15日) 2015年12月16日閲覧。
- ^ Liam Moloney (January 16, 2015), Italy Says Against Paying Ransom for Hostages Wall Street Journal.
- ^ “Italian student found dead in Cairo 'killed by violent blow to the head'”. The Guardian. 2016年12月17日閲覧。
- ^ Michelle Nichols (June 28, 2016), Italy, Netherlands propose split U.N. Security Council seat for 2017-18 Reuters.
- ^ (Italian) L'ascesa di Paolo Gentiloni, dalla Margherita alla Farnesina. Rome: Gruppo Editoriale L’Espresso. (31 October 2014) 2015年2月20日閲覧。.
- ^ Nasce il governo Gentiloni, ministri confermati tranne Giannini. Alfano agli Esteri. Minniti all'Interno. Boschi sottosegretario
- ^ Governo Gentiloni, il ministro scelto da Mattarella: “Stessa maggioranza, gli altri non ci stanno”. Lunedì la squadra
- ^ http://www.corriere.it/la-crisi-di-governo/notizie/governo-denis-verdini-si-sfila-no-fiducia-governo-fotocopia-ae48522c-c091-11e6-84a3-703e0bacaa0c.shtml
- ^ Governo, Gentiloni ha la fiducia della Camera
- ^ Governo Gentiloni, fiducia al Senato con 169 "sì". Come Renzi alla "prima" a Palazzo Madama
- ^ “イタリア首相、緊急手術 心臓の動脈詰まり取り除く”. 朝日新聞. (2017年1月12日) 2017年1月12日閲覧。
- ^ イタリア首相が退院、職務復帰 産経ニュース 2017年1月14日
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