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アロハ・フロム・ハワイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アロハ・フロム・ハワイ英語: Aloha from Hawaii via Satellite)は、歌手であるエルヴィス・プレスリー1973年1月14日0時30分、ハワイのホノルル・インターナショナル・センター(現ブレイズデル・センター)で行なった慈善コンサートである。報道番組だけに使われていた人工衛星を使い、世界同時生中継された史上初で最後の巨大ショーである。

概要

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日本からの来日公演の求めに応じて、ハワイで開かれた。クイ・リー癌基金の慈善コンサートのため入場料はなく、任意の金額を寄付するという形となった。エルヴィスとパーカー大佐はそれぞれ1000ドルを寄付している。[1]

約38カ国で放送され[2]、視聴者数は10億人以上[2]とも、 15億人[3]とも言われている。日本では7時というゴールデンタイムで中継され、視聴率37.8パーセントを叩き出した。アメリカでは33.8%。フィリピン91~92%、香港70~80%、韓国70~80%を記録した。[2]当時はまだ、長時間の衛星生中継技術が未熟であり、NBC-TVは本放送時の映像の送受信トラブル対策のため、本番さながらに行なわれた前々日のリハーサル・コンサートが収録された。

本国アメリカではマネージャーのパーカー大佐が1972年公開のドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ツアー」との競合を避けるために[2]、4月4日に拡張版(といってもコンサート自体は短くなり、合間にハワイの情景などを加えた「ブルー・ハワイ」などが挿入されたもの)が放送された。

エルヴィスは公演5日前の1月9日、ホノルルに入り、空港から宿泊先のヒルトン・ハワイアン・ビレッジまでヘリコプターで移動。(到着シーンがアメリカ国内放送時の冒頭に使用された。)⇒エルヴィスの顔色が若干悪いようにも見える。1956年に飛行機事故を体験後、飛行機は苦手であった。ハリウッドでの映画撮影を行っていた1960年代はトレーラーバスを購入し、メンフィスとハリウッドの移動手段に利用した。後年は、飛行機嫌いを克服し、ツアーの移動用に自家用ジェットのコンベア880を購入。

このショーでエルヴィスは23曲を熱唱。その大半は他人の曲で、ロックンロールは軽く流し、バラードに力を入れている。ゴスペル調の張り上げる歌唱スタイルで感動を呼んだ。

取り上げた曲

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サウンド・トラック

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  • エルヴィス・イン・ハワイ - Aloha from Hawaii: Via Satellite(1973年)

14日のコンサートを収録。コンサートのわずか一週間後に発売された。2枚組アルバムとしては初のゴールドレコードを獲得。

  • アロハ・リハーサル・ショウ - Alternate Aloha(1988年)

12日のリハーサルショウを収録。「ジョニー・B.グッド」「愛さずにはいられない」「のっぽのサリー~陽気にやろうぜ(メドレー)」は歌われなかった。

  • アロハ・フロム・ハワイ - Aloha From Hawaii Via Satellite(1998年)

14日のコンサートにアメリカのTV放送版に使われた5曲を加え、リミックス、リマスターが施されたアップグレイド盤。

  • アロハ・フロム・ハワイ・レガシー・エディション - Aloha from Hawaii Via Satellite (Legacy Edition)(2013年)

Disc1がアロハ・フロム・ハワイのリマスター盤。Disc2がアロハ・リハーサル・ショウのリミックス、リマスター盤。ボーナス・トラックはDisc2に収録。

製作の裏話

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エルヴィスはこの企画が決定した際、新しく曲を取り入れるには時間が無さ過ぎたので「It's Over」や「What Now My Love」などのスタンダードナンバーを歌うことにした。

エルヴィスは当時、プリシラとの離婚調停中であり、その悲しみと傷つけられたプライドが、「You Gave Me A Mountain」や「It's Over」、「I'm So Lonesome I Could Cry」などに表れている。

エルヴィスはこの公演を心から喜び、誇りに思い、アメリカの象徴であるイーグルを刺繍したジャンプスーツを作った。 しかし、前日のリハーサルでケープとベルトを観客席に投げてしまい、衣装担当のビルは大急ぎで、同じものを作成した。本放送でも、エルヴィスはケープとベルトを観客席に投げてしまった。⇒ツアー用に再度、作成したことは言うまでもない。   ショーの売り上げは7万5000ドルに上ったが、ショーの準備費は150万ドルに上ったと言われている。

エルヴィスは公演前から期待と不安が交互に訪れ、過度のプレッシャーを感じていた。公演後は無事に終えた安堵感から、吐きどおしだったという。

このイーグルを施したジャンプスーツの重量はケープを合わせて25kg前後あったという。

脚注

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  1. ^ エルヴィス伝 復活後の軌跡1958-1977 496P
  2. ^ a b c d アロハ・フロム・ハワイ(BVCM-31011) ライナーノーツ
  3. ^ https://www.sonymusic.co.jp/artist/elvispresley/discography/SICP-3804