なさみ型掃海母艇

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なさみ型掃海母艇
フィリピン海軍の「マンギャン」として運用されている「みほ」
フィリピン海軍の「マンギャン」として運用されている「みほ」
基本情報
艦種 掃海母艇
運用者  海上自衛隊
就役期間 1955年 - 1976年
同型艦 2隻
次級 はやとも
要目
基準排水量 700 トン[1]
満載排水量 780トン[1]
全長 54.0 m[1]
最大幅 9.8 m[1]
深さ 4.4 m[1]
吃水 2,4 m[1]
主機 クリーブランド・ディーゼルエンジン部門英語版6-278A 6サイクル V6 ディーゼルエンジン×2基[2]
推進器 スクリュープロペラ×2軸[2]
出力 1,000 hp[1]
最大速力 12 ノット[1]
乗員 20 人[1]
兵装 固定武装無し[3]
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なさみ型掃海母艇(なさみがたそうかいぼてい、英語: Nasami-class Minesweeper Tender)は、海上自衛隊の掃海母艇(掃海母艦)の艦級である。

概要[編集]

前身は、アメリカ陸軍第二次世界大戦中に太平洋の島嶼部で物資輸送に用いるために建造した大型貨物補給船(FS = Freight and Supply Vessel)。日米相互防衛援助協定に基づき、1955年3月31日に「なさみ」(元:FS-408)と「みほ英語版」(元:FS-524)の2隻が供与された[1]。両艇ともフィリピンマニラで引き渡し後、日本へ回航された[3]

1番艇「なさみ」は回航後に呉地方隊へ編入されて掃海母艇(MST)としての改装を受け、煙突後部に大型甲板室を設置したほか、船倉の一部を居住区に変更している。改装完了後は第1掃海隊群母艇、次いで第2掃海隊群母艇となり1970年まで務めた。「なさみ」は1970年3月2日に実用実験隊へ移籍して各種試験の支援任務にあたった[3]1971年に特務船籍の「掃海船51号」(YAS-51)に類別変更され[3]佐世保地方隊隷下で主に対馬などへの輸送任務に用いられた後、1976年3月31日除籍、返還された[1]

2番艇「みほ」は回航後に横須賀地方隊の特務艇(ASS)として輸送任務に従事後、1959年5月に「なさみ」同様に掃海母艇への改装が実施された[1]。ただし、改装内容は「なさみ」と異なり、甲板室を艇体中央部上甲板に設けて第2船倉を居住区とする大規模なものであった。そのため、「なさみ」「みほ」両艇は外観上大きく異なる姿となった。改装完了後は掃海艇1号型で編成された第101掃海隊の母艇として活動した。「みほ」は1972年3月31日付で「特務船59号」(YAS-59)となり、第12輸送隊でLCMの母艇任務に従事した[3]1974年9月30日、同隊の解隊に合わせて除籍、返還された[1]

返還された「みほ」はその後1979年フィリピン海軍へ再供与されて特務艇「マンギャン」(BRP Mangyan, AS-71)となった[2]。建造から80年近くが経過しているが、当初2021年に予定されていた退役が延期となったため2023年現在も現役で運用されている[4]

艦番号 艦名 建造所 竣工 供与 除籍
MST-471 なさみ ヒッキンボサム・ブラザーズ英語版[5] 1944年
(昭和19年)[5]
1955年
(昭和30年)
3月31日[1]
1976年
(昭和51年)
3月31日[1]
MST-472 みほ英語版 カルメット造船所[2] 1944年
(昭和19年)[2]
1955年
(昭和30年)
3月31日[1]
1974年
(昭和49年)
9月30日[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 高田泰光 他「海上自衛隊全艦艇史」『世界の艦船 11月号増刊』第869号、海人社、2017年10月、46、51、ASIN B075YP4PHS 
  2. ^ a b c d e USAV FS-524”. NavSource Online (2021年11月19日). 2023年2月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e 梅野和夫 他「海上自衛隊艦艇シリーズ 機雷艦艇I」『スペシャル』第72号、潮書房、1983年2月、20-27頁。 
  4. ^ Frances Mangosing (2021年12月10日). “PH Navy retires 2 ships in service for 44 years”. INQUIRER.NET. 2023年2月21日閲覧。
  5. ^ a b USAV FS-408”. NavSource Online (2020年12月18日). 2023年2月22日閲覧。

関連項目[編集]