たかの友梨

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たかの ゆり
髙野 友梨
生誕 1948年1月22日
新潟県南魚沼郡湯沢町
別名 たかの友梨
職業 実業家、エステティシャン、美容研究家

たかの友梨(たかの ゆり、本名:髙野 友梨1948年1月22日 - )は、エステティシャン、アンチエイジング美容研究家。

一般社団法人エステティックセラピスト協会会長、厚生労働大臣指定学校法人たかの友梨学園たかの友梨美容専門学校理事長、日本肥満学会員、ミス・ユニバース審査員。フジテレビ系列「ビューティー・コロシアム」などのメディアに美容家として多数出演中。

NPO法人地球こどもクラブ副会長、児童養護施設鐘の鳴る丘少年の家」および社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」後援会長。ボランティア寄付などの社会貢献活動も積極的に行っている。

矢沢永吉の「成り上がり」と藤田田の「ユダヤの商法」が愛読書。矢沢の大ファンで、矢沢のポスターやグッズを集めた専用の矢沢部屋がある[1]。矢沢にCMのオファーを出したことがあるが「イメージと違う」と断られたという[1]

生みの母親は群馬県沼田市保健婦となり、地域医療への貢献が認められ、黄綬褒章を受勲している[2]

履歴[編集]

生い立ち[編集]

医師の父と看護師の母との間の不義の子として生まれ、3歳のとき鉄道員の家へ養子に出される[3]

学生時代[編集]

中学卒業後、昼は理容師の学校へ、夜は高校の定時制[4]に通いながら、住み込みのインターン1998年に廃止)を経て20歳で上京[3]

東京では理容師として働きながら夜は皿洗いのアルバイト、帰宅後も美容学校通信教育の勉強をこなすが、やがて過労による目の隈ニキビだらけの顔に悩まされるようになる。

会社員時代[編集]

美容師免許取得に協力的でない理容所を辞め免許を取得。外資系化粧品会社の美容部員になる[5]

エステ業界へ[編集]

1972年エステティックを学ぶため単身渡仏。8ヶ月間の修行を経て帰国後、たかの友梨ビューティクリニックを設立。

略歴[編集]

著書[編集]

「アーユルヴェーダ美人道」「大成功できる人のちいさな心づかい」「レッドビューティ」「運が悪くってよかった」「なぜか、人とお金がついてくる50の習慣」他多数。

その他、DVD「言葉があなたの人生を変える たかの友梨」「アーユルヴェータ美人道」等。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 2014年2月4日放送『ライオンのごきげんよう』より
  2. ^ たかの友梨『運が悪くってよかった!』IN通信社46頁,47頁を参照
  3. ^ a b “たかの友梨 - ぴいぷる:ZAKZAK”. 夕刊フジ. (2006年3月23日). http://www.zakzak.co.jp/people/archive/20060323.html 2014年10月5日閲覧。 
  4. ^ 群馬県立前橋女子高等学校と群馬県立前橋高等学校の定時制過程は1966年に統廃合され、現在の群馬県立前橋清陵高等学校移管されている。
  5. ^ “株式会社不二ビューティ 代表取締役 たかの友梨さん”. 美容経済新聞. http://bhn.jp/interview/147 2014年10月5日閲覧。 
  6. ^ “群馬の「人」”. 東京群馬県人会. http://www.gunmaken.org/discover/discover_hito.html 2014年8月22日閲覧。 


外部リンク[編集]