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* [http://www.streetvoice.com.tw/faye2009/ 王菲] |
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2010年1月12日 (火) 22:04時点における版
フェイ・ウォン | |||||||||||||
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![]() 2003年のコンサート | |||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||
中国語 | 王菲 | ||||||||||||
漢語拼音 | Wáng Fēi | ||||||||||||
粤拼 | Wong4 Fei1 | ||||||||||||
出生名 | 夏琳 (Xià Lín) | ||||||||||||
出身地 | 香港 | ||||||||||||
生誕 |
1969年8月8日(54歳)![]() | ||||||||||||
別名 | 王靖雯 | ||||||||||||
英語名 |
Shirley Wong Faye Wong | ||||||||||||
職業 | シンガーソングライター、女優 | ||||||||||||
ジャンル | C-POP、J-POP、ロック | ||||||||||||
レーベル |
Cinepoly (1989-1997) EMI (1997-2001) ソニーBMG (2003-) | ||||||||||||
活動期間 | 1989年 – | ||||||||||||
配偶者 |
竇唯 (1996 – 1999) 李亞鵬 (2005 – ) | ||||||||||||
子供 | 2人 | ||||||||||||
影響者 | テレサ・テン、コクトー・ツインズ | ||||||||||||
受賞
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経歴
1969年8月北京生まれ。生まれた当時は母の姓を取り「夏林(拼音: , シィア・リン)」と名づけられたが、14歳のとき、父の姓を取り「王菲」と改名。高校で歌を始め、北京で数本のカセットテープを発売した。
高校を卒業後香港へ移住。当初は海外へ留学するための経由地として香港へ移住したが、新しくやって来た移民は1年間香港から出国することが出来ない制度があったため、留学を断念し歌を習い始める。その歌の先生に勧められ、シネポリー・レコードのオーディションを受け、合格。1989年に王靖雯(Shirley Wong)の名で歌手デビューを果たす。当時のキャッチフレーズは”北京からやってきた女の子”。3枚のアルバムを発表したが、大きなヒットもなく、香港の音楽業界のシステムに馴染めなかった彼女は1991年から1992年までの約半年間アメリカ合衆国に留学する。
シネポリー・レコードとの契約が1枚残っていた彼女は、1992年香港に戻り、アルバム『Coming Home』を制作、発表。この時、英語名を本名に近いFaye Wongと改名。『Coming Home』の収録曲『容易受傷的女人』(邦題:『傷つきやすい女』、中島みゆきの『ルージュ』のカヴァー)は爆発的ヒットを記録、その年の香港の音楽賞を総なめにした。1994年には初めて母語である北京語のアルバム『’迷(邦題:恋のパズル)』を発表、台湾、東南アジアへの進出を果たした。同年に中文名を本名の王菲にし、それ以降本名で活動している。
主な活動拠点は香港で、ギネスブックにも「広東語のアルバム累計売り上げ」で世界一と認定されている。 中国語圏のみならずアジア圏を代表する歌手の一人ともいわれ、香港では第二のテレサ・テンとも呼ばれる。
日本ではプレイステーション用ゲームソフト『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌『Eyes On Me』を歌った事や、関西方面でJ-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のキャラクターを務めた事、フジテレビ系のテレビドラマ『ウソコイ』に主演と主題歌『Separate Ways』を歌ったことでも知られる。
特に『Eyes On Me』は50万枚の売り上げを記録し、オリコン総合シングルチャート最高位9位(洋楽チャートでは19週連続1位)を記録。また、ジャパン・ソリッド・ゴールド・アワードでは最優秀曲賞を、第14回日本ゴールドディスク大賞では洋楽部門のソング・オブ・ザ・イヤーを、第41回日本レコード大賞ではアジア音楽賞を受賞した。
1999年3月、日本国外を拠点としている中国人アーティストとしては初めて日本武道館でコンサートを行った(大陸中国人以外としては、当時イギリス統治下香港出身のアグネス・チャンが1978年に行っているのが初)。
1996年に中国のロックバンド「黒豹」の元ボーカル、ドウ・ウェイ(竇唯)と結婚し、一女をもうけたが、1999年に離婚。その後香港のアイドル、ニコラス・ツェー(謝霆鋒)と交際していたが破局。2005年に中国の俳優、リー・ヤーポン(李亞鵬)と再婚した。
リー・ヤーポンと再婚した後は仕事をセーブしている。2006年5月に出産した女児が重度の口唇裂であったことを公表、同じ障害に苦しむ貧しい子供たちの為の『嫣然天使基金』を夫と共に立ち上げ、話題になった。
ディスコグラフィー
オリジナルアルバム
Cinepoly Records
- 『王靖雯』(1989年)
- 『Everything』(1990年)
- 『You're the Only One』(1990年)
- 『Coming Home』(1992年)
- 『悔やまぬ心で(執迷不悔)』(1993年)
- 『十万回のなぜ(十萬個為什麼)』(1993年)
- 『恋のパズル(’迷)』(1994年)
- 『夢遊(胡思亂想)』(1994年)
- 『天空』(1994年)
- 『背影(討好自己)』(1994年)
- 『マイ・フェイヴァリット(菲靡靡之音)』 (1995年)- テレサ・テンのトリビュート・アルバム
- 『Di-Dar』(1995年)
- 『アンサイティー(浮躁)』(1996年) - 『胡思亂想』にカバー曲を収録したのが縁で、イギリスのロックバンド、コクトー・ツインズから2曲プロデュースを受けている(「分裂」と「掃興」)。
- 『玩具(ミニアルバム)』(1997年)
- 『自便(EP)』 (1997年)
EMI Records
- 『フェイ・ウォン(王菲)』(1997年)- 収録曲「人間」は中島みゆきが彼女のために提供した楽曲(作詞は林夕)。中島も後に自身のアルバム「わたしの子供になりなさい」で「清流」とタイトルを変え、そして詞も書き直しセルフカバーしている。また「娯樂場」はコクトー・ツインズが彼女のために提供した楽曲である(作詞は林夕)。
- 『チャン・ヨウ~歌あそび~(唱遊)』(1998年)
- 『ラヴァーズ・アンド・ストレンジャーズ(只愛陌生人)』(1999年)
- 『フェイブル(寓言)』(2000年)
- 『光の翼(王菲)』(2001年)
Sony Records
- 『將愛』(2003年)
ライブアルバム
- 『フェイ・ウォン・ライヴ・イン・コンサート(王菲最精彩的演唱會)』 - 1994年12月22日から1995年1月8日に開催したコンサートを収録(Cinepoly Records)
- 『フェイ・ウォン香港シーニック・ツアー(唱遊大世界王菲香港演唱會)』 - 1998年から1999年の年越しコンサートを収録(EMI Records)
- 『菲比尋常LIVE!』 - 2003年のクリスマスコンサートを収録(Sony Records)
ベストアルバム
各地域で、膨大な数のベストアルバムが発売されているため割愛。
出演作品
映画
- 1991年『BEYOND 日記之莫欺少年窮(日本未公開)』
- 1994年『恋する惑星(原題:重慶森林)』 - 彼女はこの作品でストックホルム国際映画祭・最優秀主演女優賞を受賞。全米公開もされた。劇中歌「夢中人」(クランベリーズ「ドリームズ」のカバー)がスマッシュヒット。
- 2000年『恋戦。 OKINAWA Rendez-vous(戀戰沖縄)』
- 2002年『天下無雙(日本未公開)』
- 2004年『2046』
- 2004年『大城小事(日本未公開)』