麻生町 (札幌市)

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帝国製麻琴似製線工場跡

麻生町(あさぶちょう)は北海道札幌市北区にある町名。正式には「あさぶ」であるが、地元民の多くは「あざぶ」と呼んでおり、「あざぶ」と記載のある看板なども多い。

北海道道277号琴似停車場新琴似線(琴似栄町通)、国道231号(創成川幹線、石狩街道)、および札幌市道新琴似4番線(北38条西2丁目 - 北40条西6丁目間)の3路線で囲まれた三角形の内側の地帯で、南側の1丁目からはじまり、北側の9丁目までで終わる。

もともとこの地域は、新琴似番外地であったことから、麻生町には小中学校がなく新琴似屯田兵中隊本部隣の札幌市立新琴似小学校札幌市立新琴似中学校が校区である。

なお、麻生町の他、新琴似の東部、概ね北34条以北を併せた、地下鉄麻生駅を中心とした地域の総称として「麻生」という名称が使われる場合がある。

町名の由来

1891年からこの地で操業していた帝国製麻 琴似工場が、化学繊維の普及を受け、1957年10月31日をもって閉鎖された。跡地は北海道住宅供給公社により住宅団地として開発されることとなり、これに際して地名変更の相談を受けた最後の工場長である黒川修策が、北海道の亜麻発祥地として「麻」の字をこの地の地名に残したいということで「麻生」を提言し、住民920名の署名をもって市議会に請願。1958年9月の市議会定例会で地名変更を決定され、翌1959年3月27日付「北海道広報(第7857号)」で告示、1959年4月1日付で正式に「札幌市麻生町」が誕生した。

周辺施設

交通機関

歴史

  • 7世紀から13世紀ごろ(擦文時代)の住居跡が、現在の北大植物園付近から、麻生を通って篠路まで蛇行して下る旧琴似川沿いに800件ほど見つかっている。
  • 1887年から1888年にかけてこの付近に屯田兵が入植。「新琴似」と呼ばれるようになる。
  • 1891年、北海道製麻(後の帝国繊維、帝国製麻)琴似工場が札幌郡琴似村新琴似番外地(現在の麻生町域)に置かれ、操業を開始。入植3年で官給が切れた屯田兵たちを従業員として雇用した。
  • 1911年6月、創成川東岸に沿って札北馬車鉄道(札幌軌道)が開通。
  • 1934年11月、国鉄札沼南線が開通し、新琴似駅開業。
  • 1935年2月、札幌軌道廃止。
  • 1942年、琴似村が町制施行し「札幌郡琴似町新琴似」に。
  • 1955年3月1日、琴似町が札幌市に編入され「札幌市琴似町新琴似」に。
  • 1957年、帝国製麻工場が閉鎖。
  • 1959年4月1日、町名変更され「札幌市琴似町字新琴似番外地」から「札幌市麻生町」に(麻生の誕生)。
  • 1963年11月、札幌市電鉄北線が北27条から麻生まで延伸される(但し、路面電車ではなく路面ディーゼルカー
  • 1964年、市電(路面ディーゼルカー)を麻生から新琴似駅前まで延伸。
  • 1967年、市電が新琴似駅前まで全線電化。
  • 1972年4月1日、札幌市が政令指定都市に移行。区制が敷かれ、「札幌市北区麻生町」となる。
  • 1974年、市電鉄北線全線廃止。
  • 1978年3月16日、地下鉄南北線が北24条から麻生まで延伸開通し、北34条駅と麻生駅が開業。

外部リンク