高畠勉

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高畠 勉
名前
愛称 ツトさん
カタカナ タカハタ ツトム
ラテン文字 TAKAHATA Tsutomu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-06-16) 1968年6月16日(55歳)
出身地 大阪府
身長 173cm[1]
体重 65kg[1]
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 富士通サッカー部
監督歴
2008
2010
川崎フロンターレ
川崎フロンターレ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高畠 勉(たかはた つとむ、1968年6月16日 - )は、日本サッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ大阪府高槻市出身。

来歴

北陽高校から大阪体育大学を経て、1991年に富士通に入社。当時日本サッカーリーグ2部に所属していた富士通サッカー部で選手としてプレーした。

1995年に引退し、翌年よりチーム名を変更した富士通川崎フットボールクラブのコーチに就任。以降、富士通、さらにプロ化した川崎フロンターレのコーチを長年務めており、選手時代から現在に至るまで川崎(富士通)一筋である。

2008年4月、監督の関塚隆が健康不安を理由に辞任。後任として川崎の監督に昇格した。急な監督就任であったため連携面の熟成には至らず、多分に外国人選手の個人技に頼ったサッカーではあったものの、長年3バックを用いてきた川崎に4バックを採用するなど、関塚前監督のサッカーを引き継ぎつつも独自の戦術で優勝争いを展開し、チームは最終的に2位まで躍進した。

2009年には体調が回復した関塚の監督復帰に伴い、一度はヘッドコーチ職に復帰。シーズン終了後、タイトルを逃した事を理由に契約更新を断って辞任した関塚に代わり、2010年シーズンから再度川崎の監督に就任した。しかし、シーズン途中に川島永嗣鄭大世レナチーニョらの主力が相次いで海外移籍した影響もあって苦戦。タイトルは獲得できず、リーグ戦順位も5位に終わってAFCチャンピオンズリーグ出場権を逃し、同年限りで退任した。

2011年からは、川崎の下部組織を統括指導する、アカデミーテクニカルダイレクターに就任。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1991-92 富士通 17 JSL2部 17 2 0 0
1992 富士通 旧J1 -
1993 富士通 旧J1 -
1994 富士通 旧JFL -
1995 富士通 旧JFL -
通算 日本 JSL2部 17 2 0 0
日本 旧JFL -
総通算

経歴

指導歴

  • 1996年 富士通川崎フットボールクラブ コーチ
  • 1997年 - 1999年 川崎フロンターレ コーチ
  • 2000年 川崎フロンターレ 育成部コーチ
  • 2001年 - 2008年 川崎フロンターレ コーチ
  • 2008年 川崎フロンターレ 監督
  • 2009年 川崎フロンターレ ヘッドコーチ
  • 2010年 川崎フロンターレ 監督
  • 2011年 川崎フロンターレ アカデミーテクニカルダイレクター

監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 ナビスコ杯 天皇杯
2008 J1 川崎 2位 27 52 16 4 7 予選リーグ 5回戦
2010 J1 川崎 5位 34 54 15 9 10 ベスト4 4回戦
  • 2008年は4月より指揮(順位は最終順位)。

関連項目

外部リンク

参考文献

脚注

  1. ^ a b 『1991-1992JSLイヤーブック』p74