高田美和

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たかだ みわ
高田 美和
高田 美和
デビュー作『青葉城の鬼』(1962年)のスチール写真
本名 梶浦 美知子
生年月日 (1947-01-05) 1947年1月5日(77歳)
出生地 日本の旗 日本, 京都府京都市左京区下鴨
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
血液型 A型
職業 女優歌手
活動期間 1962年 - 現在
活動内容 映画テレビドラマ舞台
著名な家族 父:高田浩吉(俳優、歌手)
母:宏橋照子(元女優)
甥:大浦龍宇一(俳優)
兄:高田由紀夫(元俳優)
妹:高田瞳(元女優)
事務所 オフィス天童
公式サイト オフィス天童公式プロフィール
 
受賞
エランドール賞新人賞(1963年度)
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高田 美和(たかだ みわ、本名:梶浦 美知子(かじうら みちこ)、1947年1月5日 - )は、京都府京都市出身の日本女優歌手血液型はA型。所属事務所オフィス天童[1]日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業。父は往年の時代劇スター・高田浩吉。俳優の大浦龍宇一は甥にあたる。

来歴・人物

同志社女子中学校卒業後、京都女子高校に入学。その後、日本大学鶴ヶ丘高等学校に転校。高校1年生だった1962年、大映に入社し、同年三隅研次監督『青葉城の鬼』でデビュー。以後、『座頭市兇状旅』『舞妓と暗殺者』『大魔神』『眠狂四郎勝負』などの時代劇で可憐な娘役として活躍する一方、『高校三年生』『青いくちづけ』『十七才は一度だけ』『わが愛を星に祈りて』『限りある日を愛に生きて』などの映画にも清楚な現代娘の役で多数主演。姿美千子とともに1960年代の大映の清純派スターとして世の男性達の人気を二分した。

1966年10月には、エジプト(当時はアラブ連合共和国)で開催された「日本映画見本市」に出席のため、女優の中真千子進千賀子らと共にエジプトを訪れている。

1968年の大映退社後はテレビ舞台に仕事の場を移し、『一の糸』『女系家族』『おんなみち』などのテレビドラマに出演した他、「2時のワイドショー」の司会者としても活躍。舞台作品では『雲霧仁左衛門』などがある。1982年、久しぶりの映画出演となったにっかつロマン・ポルノ大作『軽井沢夫人』に主演。大胆なベッドシーンに挑戦し、「清純派からの破格の大変身」と話題を呼んだ。

歌舞伎俳優片岡秀太郎と結婚したが、後に離婚。

2014年1月9日放送の『木曜8時のコンサート』(テレビ東京)に出演し、梶光夫と「わが愛を星に祈りて」を歌唱した。

主な出演

映画

テレビドラマ

舞台

  • 浪速女
  • 雲霧仁左衛門

歌番組

バラエティー番組

その他

  • 「第38回日本歌手協会歌謡祭」(2011年11月10日、ゆうぽうと
  • 「秋の歌謡フェスティバル」(2012年10月11日、ゆうぽうと)
  • 「日本歌手協会創立50周年記念 歌謡フェスティバル」(2013年11月22日、ゆうぽうと)

ディスコグラフィー

  • 「十七才は一度だけ」(1964年 日本コロムビア SAS-400)
  • 「アロンスイー雨の街」(1965年 日本コロムビア SAS-492)
  • 「涙とキッス」(1965年 日本コロムビア SAS-565)
  • 「わが愛を星に祈りて」(梶光夫とのデュエット)
  • 「サザンカの花咲く町」(1965年 日本コロムビア SAS-613)
  • 「アキとマキ/空と海と白い船」(梶光夫とのデュエット)
  • 「夕陽に手を振ろう」(1966年 日本コロムビア SAS-672)
  • 「黒髪のひとすじに」(1966年6月 日本コロムビア SAS-721)
  • 「愛の手紙は幾歳月」(梶光夫とのデュエット)
    • 作詞:西沢爽、作曲:山本丈晴(1966年7月 日本コロムビア SAS-760)
  • 「はたちの夜」
    • 作詞:若木香、作曲:山本丈晴(1966年12月 日本コロムビア SAS-808)
  • 「限りある日を愛に生きて」

関連項目

外部リンク

出典

  1. ^ オフィス天童. “オフィス天童 office-TENDO トップページ”. 2016年1月15日閲覧。