妖怪百物語

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妖怪百物語』(ようかいひゃくものがたり)は、1968年3月20日に公開された大映京都撮影所製作の時代劇特撮映画。併映は『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』。カラー、大映スコープ、79分。

目次

[編集] 概要

妖怪大戦争』、『東海道お化け道中』と並び、京都大映の妖怪三部作と称される。

この年初頭からテレビで放映開始された『ゲゲゲの鬼太郎(白黒版)』(東映動画フジテレビ)は、子供たちの間で「妖怪ブーム」と呼ばれる社会現象を起こしていた。その中で大映東京撮影所制作の『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(湯浅憲明監督)と併せて春休み興行として公開された本作は、観客の子供たちの反応も良く、大映側は同年暮れの冬休み興行で、『妖怪大戦争』(1968年)へとシリーズ化を続けることとなった。

「妖怪百物語」の起源は、江戸時代の落語家林家正蔵が盛んにしたもので、江戸の町民が涼を求めて行った怪談話である[1]。物語はこれを基にし、全体として怪談仕立てであるが、少し頭の弱い但馬屋のせがれ新吉が傘のお化けと戯れるユーモラスなシーン[2]もあり、夭逝した上方芸人ルーキー新一の往時の芸風を窺い知ることができる。

「油すまし」など本作の妖怪たちは、主に水木しげるの妖怪キャラクターを原デザインとしている。「からかさ」など妖怪の一部は、のちにニットーからジオラマ風プラモデルが発売されている。

[編集] あらすじ

豪商・但馬屋利右衛門は寺社奉行の堀田豊前守や町内の権力者を抱き込んで、貧しいながらもつつましく暮らしている人々の住む長屋を無理やり取り壊し、岡場所を作って利益を上げようと目論んだ。そして、余興として豊前守らを招いて、百物語の会を催す。これは、百話の怪談をひとつ語り終る度に百本の灯りを一つずつ消していくもので、最後の灯りが消えたとき、妖怪が出ると言われていた。そのため、百物語の終りには必ず、憑き物落しの呪い(まじない)を行う作法になっていた。

だが利右衛門は、百物語が終っても呪いを施さず、客たちに土産の小判を渡してさっさと帰してしまったのである。怪異はすぐに現れた。帰途についた客たちは置行堀の不気味な声に脅されて、小判をすべて堀の中に吸い込まれてしまったのだ。

一方、豊前守らは百物語の会に潜り込んでいた若い浪人を警戒する。自分たちの不正を探っているのではないかというのである。また、但馬屋は長屋の取り壊し中止を求める住民の嘆願を握りつぶし、やってきた甚兵衛を殺害、強引に工事を始め、長屋の敷地に祭られていた古い社もつぶしてしまった。たちまち怪異が起こり、妖怪が出現、指揮していた但馬屋の手代の重助は店に逃げ帰る。但馬屋利右衛門は重助と共に様子を見に行くが、再び妖怪が現われ、狂乱して重助と刺し違えて死んだ。

堀田豊前守の前にも大勢の妖怪が姿を現した。屋敷の門が音も無く開く。実は、人の目に見えないだけで、妖怪たちが入って来たのである。豊前守は妖怪の群れに取り巻かれ、翻弄され、正気を失う。そこに入ってきたのは例の若い浪人。実は豊前守の不正を探っていた隠密であった。それを見て一瞬正気に戻った奉行は腹を切って果てる。それを見届けた妖怪たちは、深夜の町を歓喜に騒ぎ狂いながら百鬼夜行を行い、夜明けと共に消えていった。

[編集] スタッフ

[編集] キャスト

[編集] 登場妖怪

水木しげるの妖怪画を元に、エキスプロダクションが造型した。一部に同じ大映京都作品の『赤胴鈴之助』シリーズに登場する、敵方の仮面の造形物(造形は大橋史典)を改造流用した為、青坊主などのように水木及び江戸時代の伝承と異なる風貌のものや、百鬼夜行の絵の名称不明の妖怪に命名した、とんずらのようなものもある。

多数の妖怪を、大阪の児童劇団の子役が演じている。妖怪のとんぼ返りは専門のトランポリン技術者を呼んで撮影された。映画公開に合わせ、エキスプロによってより派手な色彩のアトラクション用の妖怪が多数作られ、宣伝興行に使われている。

但馬屋主催の料亭での百物語のシーンでは、合計4枚の妖怪屏風絵が作られ、大和絵の地獄絵図、土佐光信の百鬼夜行図を基に、本作登場の妖怪たちが描き込まれた。撮入前に、撮影所に妖怪の作り物を供え、制作者全員が一堂に会し、撮影中の安全とヒットを祈願して、仏僧によるお祓いが行われた。

「本所七不思議」のひとつ。
ぬいぐるみは次作『妖怪大戦争』(1968年)のものよりも細部が細かく、リアルなものとなっている。
  • うしおに
牛頭の鬼。普段は四足だが、直立歩行も出来る。堀田邸内をうろつく。
当時小学六年生の、子役の大川淳が演じた。
子役が演じている。
演じたのは子役の河内保人。
「左近の桜」に位置する妖婆。「吹き消し婆」とは逆の力を持つ化け猫妖怪。
子役が演じている。
「右近の橘」に位置する妖怪忍者。『赤胴鈴之助 鬼面党退治』(1957年)に登場した「山犬神」の面を改造したもの。
地獄の獄卒。
地獄の獄卒。土佐光信の「百鬼夜行図」から採ったキャラクター。
子役が入って演じた。
赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』に登場した「鳥人」の被り物を『釈迦』(1961年)で再利用し、さらに今回改造したもの。
地獄の獄卒。土佐光信の「百鬼夜行図」から採ったキャラクター。
ラストシーンで棺桶を担いだ一人。
ピアノ線による人形操演によって表現。劇場パンフレットによると、制作には30日かかり、50本のピアノ線を使って、6人がかりで操った。
ぬいぐるみの中に演技者が3人入って動かした。劇場パンフレットによると「毛は、マニラ麻を染めて植えつけた苦心作」。
「置いてけ掘」でたたりに遭った浪人や、氏神社殿を取り壊した重助親分の目の前に、次々に知人たちが眼も鼻もない顔になって現れる。
毛利郁子が演じた。毛利は次作『妖怪大戦争』(1968年)でも「ろくろ首」を演じている。「ブラックシアター」方式で撮影された。
妖怪の近習頭。火吹き婆と共に人間に化けて堀田邸に現れる。
但馬屋と重助親分を、甚兵衛殺しの場の掘割に足止めするために現れる。
人形の操演で表現した。三角布を額に着けており、次作『妖怪大戦争』よりもリアルな髑髏表現になっている。『妖怪大戦争』、『東海道お化け道中』の映画ポスターにはこの『妖怪百物語』版の写真が使われている。
画面いっぱいに迫る大首の合成シーンは、『大魔神』で京都撮影所に導入されたアメリカ製のブルーバックシステムを活用したもの。
頭だけの作り物が用意された。

[編集] 漫画化

水木しげるによる漫画化作品『妖怪百物語』が映画館で配られた。登場する妖怪軍は、実写映画に忠実な絵柄となっている。この『妖怪百物語』は一部手直しされて『妖怪長屋』として単行本収録されている。

[編集] 脚注

  1. ^ 本作公開時の劇場パンフレットより
  2. ^ このシーンのアニメーションはピープロが担当した

[編集] 参考文献

  • 『大映特撮コレクション 大魔神』(徳間書店)
  • 『ガメラ画報』(竹書房)
  • 『僕らが大好きだった特撮ヒーローBESTマガジン』(講談社)
  • 『大映特撮映画大全』(角川書店)

[編集] 関連項目

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