高山文彦 (アニメ監督)

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高山 文彦(たかやま ふみひこ、1953年[1] - )は、日本アニメ制作者。主にアニメ監督映画監督脚本演出を手がける。関係作品は少ないうえ露出を嫌うのでアニメ界では奇人仙人扱いされている。

概要

大阪大学に通っていたがドロップアウトして映画三昧の生活を送っていた。東京に行くことを思いつき正式に退学、東京でも映画三昧の生活を送っていたが友人から「トップクラフトというアニメ会社でバイトを探している」ことを聞きつけアニメ制作スタジオのトップクラフト(後のスタジオジブリ)へ、そこで原徹に才能を見出される、その後アートランドを経てフリー[1]。1989年『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で監督デビュー[1]

アニメに関わる年数は長く作品自体も著しく評価されているのにもかかわらず参加した作品は少ない。そのためかカルトなファンも多い。謎が多い人物であり、顔写真はめったに出てこない。競馬場に住んでいるとの噂すらあった。アニメは宮崎駿高畑勲しかちゃんと見ていない趣旨の発言後に押井守庵野秀明の作品における映像手法を論評している。映画ばかり見ていたので自然と映画オタクになった。中村錦之助のファンである。あまりに仕事が少ないので生活費をどう稼いでいるか謎とされる。窪岡俊之からは「奇人」、林原めぐみからは「仙人様」、彼を知る業界人からは「知恵のついたオランウータン」と評されている。

彼が関わった作品は、見る人に美しい余韻を残す、切なく、はかないエンディングを迎える事が多い。

演出の特徴

カメラを登場人物だけではなく、その周辺の建物や看板、内装に向ける。 顔の表情をとめて(一部パーツを動かす場合もある。)セリフを述べない事により鑑賞者に役者の心理変化に注目させる。 実写を意識した演出。

過去の作品に関する出来事

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

  • 企画の段階ではクリスが死亡する予定だったが、変更した方がおもしろいという事で変更させた[要出典]。インタビューにおいて「ラストはカルヴィーノの『まっぷたつの子爵』を意識していた」と答えたが後に「ヘミングウェイの『老人と海』におけるカジキマグロのシーンの模倣であった」と気付いた。バーニーがジオン兵とばれるシーンは大脱走が元ネタだと発言している。

WXIII 機動警察パトレイバー

  • 新OVA時代よりパトレイバーシリーズ参加を押井守出渕裕などから要請を受けていたが参加しなかった。この作品でパトレイバーシリーズについに参加となったが、結局アニメ製作の遅れから監督から総監督に変更させられ、監督は遠藤卓司が後任となり自身は指揮をとる形となったため高山による完全パッケージ作品とはならなかった。

ラーゼフォン

  • 出渕裕は高山を大変評価しており、自身が監督を務めた『ラーゼフォン』に脚本家として招いた。特に第19楽章「ブルーフレンド」は、構成を考える段階で、高山に脚本を書いてもらうことに決めていた。出渕裕曰く、「もっと非道くて、いい話にしてくれるから。」この回では期待に応え、じつに彼らしい仕事をしている。

青い花

  • 『青い花』の脚本を書き始めた頃、偶然読んだ上田敏の『花の教え』という詩に「この時、百合は追風に」というフレーズがあった。そのとき、「そうか、世界が俺にやれと言っているんだ」と思ったと発言している[2]

作品リスト

脚注

注釈

出典