駐屯地

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駐屯地(ちゅうとんち、: Camp, Garrison)は、陸軍陸上自衛隊が平時に駐在する[1]軍事基地である。

概説

空軍においては、平時より常設された、飛行場を持つ空軍基地Air base)が作戦行動の拠点となる事が多いのに対し、陸軍は移動した先々が作戦行動の拠点となり、平時の駐屯地が作戦行動時に基地とならない事から、特に区別する。なお、海軍では艦隊が行動の中心であり、港湾・陸上施設などに基地の名称は使わず「海軍施設」「軍港」と称するが、航空機を常設する部隊では「航空基地(Naval air station)」の名称を用いる場合がある。

ローマ帝国における駐屯地

ローマ帝国ではイベリア半島やアルプス以北の地域にある属州に都市が建設されたが、それらの都市の多くは軍隊の駐屯地から発達したと考えられている[2]

軍隊の駐屯地には付随して商人や職人の集落が形成され都市の核となった[2]。これらの地は道路や河川といった交通路への近接性から、軍事拠点として好適であっただけでなく都市としての立地条件にも優れていたため、後の時代に政治的あるいは宗教的な中心都市として発展した例が多い[2]

イギリスのランカスターウインチェスターなどの地名はラテン語で駐屯地を意味する接尾語castraに由来する[2]

日本における駐屯地

大日本帝国陸軍(帝国陸軍)軍隊が永久に一つの地に配備駐屯する場合は衛戍地と言った[3][4]。日本の法令上での表記は、帝国陸軍、警察予備隊では「駐屯地」であったが、保安隊発足時に当用漢字の制限から「駐とん地」となり陸上自衛隊に継承、1982年4月30日政令・総理府令改正で再び「駐屯地」となった。なお、陸上自衛隊では訓令で定められている駐屯地の略号はStaである。

陸上自衛隊では、陸上自衛隊の部隊または機関が所在する施設を「駐屯地」と称し、通常一つの駐屯地に複数の部隊・機関が所在する。各駐屯地には、その駐屯地の警備及び管理、駐屯地における隊員の規律の統一等を司る職として駐屯地司令が置かれる。駐屯地司令は通常その駐屯地に駐屯する部隊の中の最上位者が充てられるが、師団旅団等の主要司令部所在駐屯地においては原則を厳格に適用すると最高位の陸将が担当することになってしまうため、一部例外も存在する。(詳細は駐屯地司令を参照)。2022年(令和4年)3月17日現在、分屯地(駐屯地とは別の場所に所在するが駐屯地の一部となる施設)も含めた駐屯地の総数は163(駐屯地134[5]、分屯地29[6])である。

隊員が課業(業務)を行う場である以外に、各駐屯地司令が定める細則等に基づき営外居住を許可された者を除いた独身陸曹以下にとっては生活の場である為、隊舎や日々の訓練を行う営庭(グラウンド)、体育館、射撃場、車両倉庫など以外に、営内舎()、食堂売店、医務室、浴場など生活に必要な施設が整備されている。

中隊内で営内班を組織し、班ごとに営内での居住区が割り当てられる。営内班長たるは営内士の教育、指導に当たる。

売店は通常“PX”(Post Exchange)と呼ばれ、被服装備品、食料品、衣類、文具などの生活雑貨、自衛隊グッズなどが販売されている。売店には民間委託の書店、菓子屋、薬局、電器店、食堂なども含まれ、駐屯地によっては、ゲームセンターパチンコ店、営舎内での飲酒は禁じられているので居酒屋なども設けられている。また近年では大手チェーン系コンビニエンスストアが続々参入している駐屯地(主に総監部・師団等司令部所在や連隊規模が複数駐屯する駐屯地)も散見される。これら売店を総括して厚生センターと言う。

陸上自衛隊の各駐屯地では、大災害有事[注 1]の勃発に備え、常に一定人数の隊員が寝泊りをしながらスクランブル体制で待機している。陸上自衛隊の場合、防衛出動治安出動もしくは災害派遣命令が下ってから1時間以内に一定の規模の部隊が駐屯地を出発できる状態をスクランブル体制と規定している。佐藤正久(参議院議員、元陸上自衛官)によれば、日本国内の殆どの地域には出発から4時間以内に派遣隊員が到着可能とされる[注 2]

基本的に駐屯地内における写真撮影は原則禁止となる事が多く(駐屯地開放日でも式典会場周辺や会食会場等に限られる)、特に駐屯地正門等で広報への事前申請等で許可を受けた取材等の正当な理由がない写真撮影は適時必要に応じて所轄警察署・公安委員会への通報の原因に繋がるため注意が必要である[注 3][注 4][注 5]

駐屯部隊

陸上自衛隊では、駐屯地の形態は多岐にわたるが、一般的な駐屯地の場合、次のような部隊も同時に置かれる。規模はほとんどが大隊

方面総監部所在駐屯地には方面会計隊本部が置かれ、管内の駐屯地に会計隊または同隊派遣隊が分遣される(学校・補給処等が所在する駐屯地・分屯地には置かれない場合がある。市ヶ谷駐屯地中央会計隊が担当)。
方面総監部所在駐屯地は方面警務隊本部が分遣される。師団・旅団司令部所在の駐屯地には地区警務隊本部が置かれ、他の駐屯地には規模に応じ派遣隊または連絡班が(師団・旅団司令部ではないが富士、習志野、久里浜の各駐屯地にも地区警務隊本部が置かれる。市ヶ谷駐屯地は中央警務隊が担当)。
方面総監部所在駐屯地に基地システム通信中隊が、師団等司令部所在駐屯地には基地通信中隊本部が置かれる。担当区域の駐屯地には派遣隊が分遣される(市ヶ谷駐屯地は中央基地システム通信隊が担当)。

これ以外に、陸上自衛隊の編成ではないが、駐屯部隊の持ち回りで、警衛隊(敷地内守衛と警備。当直制)、消防隊(班)などが構成される[注 6]

当直勤務等

駐屯部隊には不測の事態(主として執務時間外に飛び込む災害派遣要請)に備え、待機要員と当直が置かれる。駐屯地当直司令及び部隊当直司令には補佐役として当直副官(駐屯部隊の人員の掌握・鍵の管理等)と当直伝令(主に当直司令のベッド取りや電話番、運転手等。軍で言う当番兵、従卒)が設けられる。

当直腕章(名寄駐屯地展示品 旧型で廃止済み)
駐屯地当直副官の腕章。部隊当直の物と違って布地が白ではなく濃紺となっている。同じ3本の赤線で示す当直幹部と違い、赤線は全て腕章の内側に縫い付けられている

駐屯地当直

  • 司令は駐屯地所在部隊長(主に中隊長職や科長職等3佐~1尉の自衛官、1個中隊程度の小規模部隊が駐屯する場合は当該の当直幹部が兼務する場合もあり、状況によっては尉官・准尉・曹長~2曹)が上番する。主に駐屯部隊の当直を統括し、駐屯地司令に命ぜられた事項を行う。1尉の自衛官が駐屯地当直司令に上番する際は、駐屯する部隊の部隊当直は駐屯地当直司令よりも下位の自衛官が上番する。また、当直副官は1曹~2曹の自衛官が上番する。司令の腕章は紺色地に外側2本内側2本の赤線4本、副官は赤線が内側3本線、伝令は陸曹が内側2本線、陸士は1本線。

部隊当直

  • 隷下に中隊等の部隊を保有する連隊・大隊・それに準ずる「隊」に設置され、部隊当直司令は隷下部隊の当直を統括する。所属部隊長から命ぜられた事項を行う。1尉~3尉若しくは部隊によっては准尉や曹長(ただし最先任上級曹長の職若しくは補職が幹部職を指定された曹に限る)の階級を指定された自衛官が上番を行う。なお、小規模駐屯地等基幹部隊(連隊等)以外の駐屯部隊が1個中隊程度(業務隊等を除く)の駐屯地では基幹部隊の隷下外部隊等所属の自衛官が駐屯地当直司令に上番する場合を除き設置されない場合もある。ただし、設置された場合は担当する部隊当直司令は所属中隊等の当直幹部を兼務する場合がほとんどである。当直副官・伝令の指定階級は基本的に駐屯地当直副官・伝令と同じであり、装着する腕章も白地の物を使用する以外は同一である。

大隊・中隊等部隊当直

  • 当直幹部は、大隊・中隊若しくはそれに準ずる「隊」の人員や武器などの管理・掌握などの責任者として勤務を行う(簡単に言えば電話番みたいな存在)。上番する自衛官は部隊等によるが1尉(部隊規模は中隊に準ずるが、部隊の特性上大隊規模として運用される偵察隊や後方支援隊補給隊等)~2曹(但し、2曹上番者は中級陸曹特技課程修了者に限る)が主に上番する。なお、所属部隊の人員の掌握等を受け持つ当直陸曹(2曹~3曹)や電話番や操縦手を担う当直士長(士長ないし1士)など2ないし3名で中隊等部隊当直は運用される。連隊・群等の隷下大隊に設置される当直幹部は1名で運用し、大隊隷下の中隊等に設置される当直は当直陸曹×2名ないし当直陸曹1名と当直士長×1で運用される。当直幹部は白地に赤線3本(どちらかというと「赤地に白帯2本」に見える)、当直陸曹は腕寄りに赤線2本、伝令は腕寄りに赤線1本の腕章を着用する。

師団・旅団・団等部隊当直

  • 当直長は司令部(本部)勤務の幹部が上番、所属長から命ぜられた事項を行い隷下部隊当直を統括する。腕章等は特別な規則等は存在せず、各司令部ごとに異なる。

駐屯地の公開

板妻駐屯地の開設記念行事(2009年)

基本的には関係者以外[注 7]立入りできないが、多くの駐屯地で広報や地域住民との交流などを目的として年に1~2回一般公開を実施している。一般公開の際は装備品展示・試乗、資料館開放、観閲式音楽隊の演奏、訓練展示、業者や隊員による模擬店・グッズ売店の設置などが行われる。

特に訓練展示ではその駐屯地に駐屯する部隊の特色を活かした展示がおこなわれる。基本的には偵察火砲による敵陣地射撃~戦車普通科部隊協同での敵陣地への攻撃奪取という流れで行われるが施設科部隊の駐屯地では架橋や地雷除去、航空科部隊の駐屯地では空中消火の展示などが行われることもある。

一般公開時以外にも、地方協力本部等に申し込む等すれば体験入隊や見学が可能で、休日に駐屯地内のグランドを近隣住民に開放[注 8]していることもある。また、近隣の中学・高等学校の職業・職場体験学習を積極的に受け入れている駐屯地もあり、施設、装備品、用途廃止装備等の見学、車両装備等への体験乗車、徒歩行進訓練やレンジャー訓練、高さ15メートル(人間が一番恐怖心を持つ高さ)のタワーから命綱を付けて飛び降りる降下訓練等の体験等が行われる。

沿革

警察予備隊

  • 1950年(昭和25年)
    • 8月25日:
      1. 舞鶴駐屯地が開設。
      2. 久留米訓練所が開設。
    • 9月4日:針尾駐屯地が開設。
    • 9月17日:警察予備隊久里浜部隊が創設。
    • 9月:警察予備隊八戸駐屯地が開設。
    • 10月15日:函館駐屯地が開設。
    • 11月13日:宇都宮営舎が創設。
    • 11月14日:高田駐屯地が開設。
    • 12月4日:豊川営舎が開設。
  • 1951年(昭和26年)
    • 時期不明:旧立川駐屯地が開設。 
    • 2月15日:宇治駐屯地が開設。
    • 5月1日:勝田駐屯地部隊が発足。
    • 8月20日:新町駐屯地が開設。
    • 12月1日:札幌駐屯地が開設(旧札幌駐屯地は苗穂駐屯地(現苗穂分屯地)に改称)。
    • 12月15日:練馬駐屯地が開設。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月20日:前川原駐屯地の久留米分屯地が開設。
    • 5月20日:練馬駐屯地の豊島分屯地が開設。
    • 7月10日:久居駐屯地が開設。
    • 10月1日:旭川部隊が新設[7]

保安隊

  • 1952年(昭和27年)
    • 10月15日:
      1. 保安隊恵庭駐とん地に改称される。
      2. 保安隊八戸駐とん地に改称される。
      3. 相馬原駐屯地が開設。
    • 12月1日:
      1. 恵庭駐とん地が北恵庭駐とん地に改称。
      2. 南恵庭駐駐とん地が新設。
      3. 島松駐とん地が新設。
    • 12月5日:久留米駐とん地が開設。
    • 12月12日:千歳駐とん地が開設。
    • 12月20日:名寄駐とん地が開設。
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月25日:保安隊舞鶴駐とん地が廃止[8]
    • 10月5日:釧路駐とん地が開設。
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月25日:小平駐とん地が開設。
    • 6月10日:富士駐とん地が開設。

陸上自衛隊

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日:陸上自衛隊設置に伴い次の駐とん地が開設される[9]
      • 名寄駐とん地
      • 留萌駐とん地
      • 遠軽駐とん地
      • 旭川駐とん地
      • 美幌駐とん地
      • 釧路駐とん地
      • 岩見沢駐とん地
      • 札幌駐とん地
      • 千歳駐とん地
      • 帯広駐とん地
      • 北恵庭駐とん地
      • 南恵庭駐とん地
      • 島松駐とん地
      • 幌別駐とん地
      • 函館駐とん地
      • 大湊駐とん地
      • 青森駐とん地
      • 船岡駐とん地
      • 秋田駐とん地
      • 福島駐とん地
      • 郡山駐とん地
      • 勝田駐とん地
      • 土浦駐とん地
      • 霞ケ浦駐とん地
      • 北古河駐とん地
      • 南古河駐とん地
      • 宇都宮駐とん地
      • 相馬原駐とん地
      • 新町駐とん地
      • 松戸駐とん地
      • 習志野駐とん地
      • 越中島駐とん地
      • 練馬駐とん地
      • 立川駐とん地
      • 小平駐とん地
      • 久里浜駐とん地
      • 新発田駐とん地
      • 高田駐とん地
      • 金沢駐とん地
      • 松本駐とん地
      • 富士駐とん地
      • 浜松駐とん地
      • 豊川駐とん地
      • 久居駐とん地
      • 今津駐とん地
      • 福知山駐とん地
      • 宇治駐とん地
      • 伊丹駐とん地
      • 千僧駐とん地
      • 姫路駐とん地
      • 米子駐とん地
      • 出雲駐とん地
      • 水島駐とん地
      • 福山駐とん地
      • 海田市駐とん地
      • 小月駐とん地
      • 善通寺駐とん地
      • 松山駐とん地
      • 福岡駐とん地
      • 曾根駐とん地
      • 小郡駐とん地
      • 久留米駐とん地
      • 前川原駐とん地
      • 目達原駐とん地
      • 針尾駐とん地
      • 大村駐とん地
      • 竹松駐とん地
      • 熊本駐とん地
      • 中津駐とん地
      • 都城駐とん地
      • 鹿屋駐とん地
    • 8月25日:
      1. 東千歳駐とん地が開設。
      2. 千歳駐とん地を北千歳駐とん地に改称。
    • 10月15日:相馬原駐とん地が廃止。
    • 10月21日:相浦駐とん地が開設[10]
    • 11月10日:宇治駐とん地の桂分とん地が開設。
  • 1955年(昭和30年)
    • 5月14日:福知山駐屯地の舞鶴分屯地が開設。
    • 7月11日:
      1. 滝川駐屯地が開設。
      2. 三宿駐屯地が開設。
    • 8月1日:明野駐屯地が開設。陸上自衛隊航空学校が浜松駐屯地から移駐。
    • 9月1日:上富良野駐屯地が開設。
    • 11月21日:国分駐屯地が開設。
    • 12月1日:下志津駐屯地が開設。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月15日:横浜駐屯地が開設。
    • 5月31日:八戸駐屯地が開設。
    • 10月25日:名寄駐屯地の稚内分屯地が開設。
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月1日:大久保駐屯地が開設。
    • 9月2日:針尾駐屯地は相浦駐屯地に統合され廃止。
  • 1959年(昭和34年)4月1日:相馬原駐とん地が開設。
  • 1960年(昭和35年)
    • 1月14日:桂分屯地が駐屯地に昇格。
    • 3月15日:
      1. 朝霞駐屯地が開設。
      2. 駒門駐屯地、駒門駐屯地板妻分屯地が開設。
    • 3月25日:川内駐屯地が開設。
    • 4月11日:富士駐屯地の滝ヶ原分屯地が開設。
    • 12月9日:宇治駐屯地の祝園分屯地が開設。
  • 1962年(昭和37年)8月15日:駒門駐屯地板妻分屯地から板妻駐屯地に昇格。
  • 1963年(昭和38年)
    • 1月31日:朝霞駐屯地の分屯地として入間分屯地が開設。
    • 3月31日:立川駐屯地(旧立川駐屯地)が廃止、小平駐屯地に隷属する立川分屯地が開設。
  • 1965年(昭和40年)3月15日:釧路駐屯地の別海分屯地が開設。
  • 1966年(昭和41年)
    • 2月21日:釧路駐屯地の別海分屯地が別海駐屯地に昇格。
    • 4月1日:福知山駐屯地の舞鶴分屯地が廃止。
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月25日:弘前駐屯地が開設。
    • 12月10日:名寄駐屯地の礼文分屯地が開設。
  • 1972年(昭和47年)10月11日:那覇駐屯地が開設。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月13日:
      1. 那覇駐屯地の知念分屯地が開設。
      2. 那覇駐屯地の与座分屯地が開設。
    • 4月16日:那覇駐屯地の南与座分屯地が開設。
    • 5月1日:
      1. 那覇駐屯地の胡差分屯地が開設。
      2. 那覇駐屯地の勝連分屯地が開設。
    • 5月2日:米軍立川基地内に立川駐屯地が開設。
  • 1974年(昭和49年)4月11日:
    1. 滝ヶ原分屯地が滝ヶ原駐屯地に昇格。
    2. 立川分屯地が駐屯地に昇格し、東立川駐屯地が開設。
    3. 那覇駐屯地の胡差分屯地が那覇駐屯地の白川分屯地に改称。
  • 1976年(昭和51年)8月20日:青野原駐屯地が開設。
  • 1977年(昭和52年)3月25日:上富良野駐屯地多田分屯地が開設。
  • 1982年昭和57年)4月30日政令・総理府令改正で「駐とん地」から再び「駐屯地」とる。
  • 1983年(昭和58年)5月:米軍立川基地跡地に現在の立川駐屯地が開設。
  • 2006年(平成18年)1月1日:那覇駐屯地の与座分屯地を那覇駐屯地八重瀬分屯地と改称。
  • 2013年(平成25年)3月26日:座間駐屯地に昇格。
  • 2016年(平成28年)3月28日:与那国島に与那国駐屯地が開設。
  • 2019年(平成31年)3月26日:
    1. 奄美駐屯地、瀬戸内分屯地が開設。
    2. 宮古島駐屯地が開設。
  • 2022年(令和4年)3月17日:
    1. 南別府駐屯地が廃止。
    2. 南那覇駐屯地が開設。
  • 2022年度(令和4年度):石垣島石垣駐屯地(仮称)を開設予定。

脚注

注釈

  1. ^ 戦争のこと。日本は陸上に国境線を持たないので、本土に侵入されたらその時点で市民にも犠牲が出ることがあり得る最悪の事態に発展している。「本土決戦」、沖縄戦も参照
  2. ^ 初動派遣小隊は30分、初動派遣中隊は1時間以内に出動できるよう待機任務を命ぜられており、派遣小隊長は2尉~曹長、派遣中隊長は中隊長若しくは副中隊長・運用訓練幹部等の管理職が指定される。
  3. ^ 取材等は特に広報班の許可を要する上、特に近年の傾向として平和運動団体や市民団体等による正門等前での各種撮影行為は自衛隊情報保全隊(諸外国でいう防諜部門)による調査に関係するリストへ組み込まれる場合がある。他に駐屯地警衛隊や所轄警察署からの監視及び任意同行対象になり得る。
  4. ^ 創立記念等においても駐屯地内に所在する弾薬庫や各種立ち入り禁止区域等に所在する施設方面へカメラを向けた場合、警備担当からの職質及び場合によっては撮影機材等の没収や退去を命ぜられる場合もある。
  5. ^ 平和運動団体や市民団体主催での敷地前での各種抗議行動等が行われる場合において、各種業務を妨害する状況を行った場合は刑法により処罰対象となる場合もある。平成16年のイラク派遣において旭川駐屯地前で抗議行動を行った団体構成員の一部が敷地前での抗議行動により自衛隊の業務を妨害したとして所轄警察による検挙対象となった事例もある。
  6. ^ 分屯地においては分屯元の駐屯地が警衛隊の差し出しや管理部隊を編成し機能を維持する。稚内分屯地のように分屯元から遠く離れた分屯地は管理班が編制され警衛や管理業務を担当する。
  7. ^ 現職を退いたあとも立ち入りが必要な場合は、入門許可証を申請する必要がある。入門許可証は陸上幕僚長発行から駐屯地司令発行まで多岐にわたり、その立ち入る理由によって入出門できる駐屯地は限定される。予備自衛官等は訓練出頭期間中は立ち入り可能(身分証明を提示)だが、訓練時以外でも訓練調整等必要に応じて入門可能。面会等必要な場合は、曹士は営門・警衛所の面会場・幹部は指定する場所で面会可能。
  8. ^ 利用料金は徴収せず、主に地域貢献としての活動の一環

出典

  1. ^ 駐屯地(ちゅうとんち)の意味”. goo国語辞書. 2019年12月2日閲覧。
  2. ^ a b c d 山本正三 編『人文地理学辞典』朝倉書店、1997年、159頁。 
  3. ^ えいじゅ【衛戍】 世界大百科事典 第2版
  4. ^ 衛戍条例 第一条「陸軍ノ永久一地ニ配備駐屯スルヲ衛戍ト称シ…」、国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  5. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号) - e-Gov法令検索 別表第七
  6. ^ 駐屯地司令及び駐屯地業務隊等に関する訓令別表第1
  7. ^ 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)
  8. ^ 保安庁法施行令の一部を改正する政令(昭和28年政令第22号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1953年2月24日). 2017年3月23日閲覧。
  9. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)
  10. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和30年政令第281号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1955年10月14日). 2017年7月18日閲覧。

関連項目