防衛機制

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フランシスコ・デ・ゴヤの版画連作『ロス・カプリチョス』から、『理性の眠りは妖怪を生む』(El sueño de la razón produce monstruos)

防衛機制(ぼうえいきせい)とは精神分析で用いられる用語であり、欲求不満などによって適応が出来ない状態に陥った時に、不安が動機となって行われる自我の再適応のメカニズムを指す。広義においては自我と超自我が共同して本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。

元々はジークムント・フロイトの娘、アンナ・フロイトが児童精神分析の研究の中で言い出したものである。彼女は、1939年からロンドンのハムステッドで戦争孤児院を開き、親から離れて、オランダ経由でロンドンに亡命してきた戦争孤児たち(キンダートランスポート)の心の治療に当たった。『自我と防衛機制』『ハムステッドにおける研究』(いずれも邦訳は、岩崎学術出版社)などを参照。

防衛機制は適応機制不適応機制に対して使われる言い方である。機制はmechanism の訳である。また欲求不満に対し積極的に正面から取り組むことを合理的機制という。

防衛機制の仕組みと定義

防衛は自我超自我に命令されて行うものと、自我それ自身が行うものとで分かれる。人間にはエスというドロドロの本能的欲求が噴出する心の深層があり、そのエスから来る本能的欲動から自我が身を守ったり、それを上手く現実適応的に活用したりする方法が全般的に防衛という形で現れる。

精神の病にかかっている人はこの防衛機制が現実適応的に上手く働かない。例えばヒステリーという足や腕が動かなくなる病気は、抑圧された本能的衝動を自我が防衛した妥協産物として形成されるものである。手を無性に洗いたくなったり、強迫的な自慰行為も、自我がエスの本能的欲動を防衛した結果として生じるものである。この防衛は正常な人間であれば、このような病気にはならずに現実適応的に処理されるものだが、精神的な病気と認定される人は、それが歪んだ形で行われる事になる。

精神分析学における厳密な定義では、あらゆる本能的欲動を自我が管理する方法が防衛である。よって人間は常に欲動を防衛している事になる(ジークムント・フロイトによる厳密な理解)。人間の文化的活動や創造的活動は全て本能的欲動を防衛した結果であり、その変形に過ぎないとされている。

しかし一般的には防衛は、自我(あるいは自己)が認識している、否認したい欲求や不快な欲求から身を守る手段として用いられると理解されている。

防衛機制の例

否認

不安や苦痛から目をそらし否定する。現実を認めない。

抑圧

実現困難な欲求や苦痛な体験などを押さえ込んで忘れようとする。苦痛のために観念、感情、思考、空想、記憶を無意識的に意識から締め出そうとする心理作用。最も基本的な防衛機制。特に倫理的に禁止された欲求、もしくは性的な欲求が抑圧されると考えられている。

否認との違いは、否認は実現困難な欲求や苦痛な体験を一時的に忘れるだけで、他人に指摘されるとその事に気付く。しかし、抑圧は意識より深い心の深部--前意識無意識にまで押し込められてしまうので、基本的に思い出せなくなってしまう(無意識的に忘れてしまう)。思い出すには努力が必要であり、それほど悪い観念でなければ簡単に思い出せるが(前意識からの思い出し)、最も強い抑圧は、無意識にまで押しやられているので、基本的に思い出すのは困難である。

分裂

対象や自己に対しての良いイメージ・悪いイメージを別のものとして隔離する。「良い」部分が汚染、破壊されるという被害的な不安があり、両者を分裂させ、分けることで良い部分を守ろうとする。抑圧が「臭いものにフタをする」のに対し、分裂は「それぞれ別の箱に入れて」しまう。

同一視(同一化)

自分にない名声や権威に自分を近づけることによって自分を高めようとする。他者の状況を自分のことのように思うこと。

例 1:映画や本の主人公と自分を重ねて見る。目指す大学の校章を付けて合格した気分になる。
例 2:歌っているアイドルを見て、自分も歌を歌ってその歌手になりきる。

投影(投射)

自分の欠点を置き換えたり他人のせいにする。自己が抱いている他人に対しての不都合な感情を、相手が自分に対して抱いていると思うこと。

例:自分が相手を憎んでいるのではなく相手が自分を憎んでいると思いこむ。自分が浮気したいと思っているのを、恋人に浮気願望があると思うこと。

反動形成

抑圧されたものと正反対のものを意識にもっていること。無意識に抑圧した思いが意識にあがってこないように、本心と裏腹なことを言ったり、その思いと正反対の行動をとる。

例:父親への憎悪を抑圧した息子が意識的には父親に過大な愛情を抱くようにし、父親のために過度に献身的に尽くす。好きな異性に対して、想いを抑圧したために無関心を装ったり、逆に意地悪な態度に出る

退行

耐え難い事態に直面したとき、子供の様に振舞って自分を守ろうとする。以前の未熟な段階の行動に逆戻りしたり、未分化な思考や表現様式となること。一般的に子供的な依存状態全般を言う。

例 1:欲しい物を駄々をこねて買ってもらおうとする。弟や妹が産まれると、母親の気を引くため年に似合わず赤ん坊のように振る舞う。ホームシックになった学生が、実家に帰ると親に甘える。
例 2:夫が家に帰ってきたら突然私のひざの上に頭を乗せて耳かきを要求してきた。夫はのようにくるまって目を閉じた。

置き換え

欲求を本来のものとは別の対象に置き換えることで充足すること。

例:うどんを食べたかったが売り切れていたのでそばを食べる。

攻撃

他人のものを傷つけたりして欲求不満を解消しようとする。

例:仲の悪い相手の車などを傷つける。

原始的理想化

対象を過度に誇大視しすべて良いものと見なすこと。高次の「理想化」は、対象の悪い部分を見ないようにすることで、自分の攻撃性を否認しそれに伴う罪悪感を取り去るのに対し、「原始的理想化」は、対象の悪い部分に破壊されないようにその部分を認識しないようにする。

脱価値化

理想化していた万能的期待が満たされない時に、直ちに価値のないものとして過小評価する。価値を下げる意味としては、期待に答えない相手に対しての報復という目的と、怒りを向けた相手が後に自分を脅かすであろうと予測されるので、予想される相手のその能力を弱める意味がある。

防衛機制の例(高度)

昇華

抑えられた欲求などをスポーツ・芸術などに向ける。非社会的な欲求を、社会に受け入れられる価値ある行動へと置き換えること。

例:失恋したので、運動してそのことを忘れようとする。試験に落ちてムシャクシャするのをボクシングで発散。

合理化

満たされなかった欲求に対して、都合の良い理由を付けて自分を正当化しようとすること。イソップ寓話すっぱい葡萄」が例として有名。は木になる葡萄を取ろうとするが、上の葡萄が届かないため、「届かない位置にあるのはすっぱい葡萄」だと口実をつける。

例:「あの日はお腹が痛かった」と、体調の所為にする。

分離

観念とそれに伴う感情とを分離するが、観念は意識において保持し、感情は抑圧すること。

例:「“私が父を憎んでいる”ということは理論的には考えられますね」などと平気でいう場合。

逃避

苦しくつらい現実から一時的に逃れる。適応が出来ない状況から逃れること。

例:マラソン大会に出たくないので、学校を欠席する。

補償

劣等感を他の方向で補う。自分の不得意な面をほかの面で補おうとする。

例:勉強が駄目だから得意なスポーツに打ち込む。

摂取

他人の業績を自分のことと思い込んで満足すること(自我拡大)。直接関係ないにも関わらず、自慢したり喜んだりする。

  • 自分が購読している漫画雑誌の漫画作品がアニメ化もしくはゲーム化した
  • 同じ学校から優秀者が出た
  • 我が町が生んだスーパースター
  • 親戚に有名人がいる
  • 彼(彼女)は私の教え子だ

注目を集める

自分に注目を向けさせることで自己満足して心の安定を得ること。

例:芸能人や国会議員、スポーツ選手などが些細な事でも記者会見を開く。

臨床における防衛

転移

幼児期に存在した重要な人物への感情を、現今の目の前にいる人物に向ける事。

例:父親への憎悪を抑圧する。そして知らぬうちに父親に似ている教師に対して、彼が父親に対して持っている感情を、教師に全く同じように向ける。

この概念は精神分析における臨床現象として特に区別される。 (この現象には同一視と投影、置き換えと退行などが同時に複数発生する)

参考書物

  • 『自我と防衛』 アンナ・フロイト 誠信書房 1936
  • 下山晴彦『よくわかる臨床心理学(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)』ミネルヴァ書房、2009年。ISBN 9784623054350 

関連項目