関根則之

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関根 則之(せきね のりゆき、1931年1月13日 - )は、日本の官僚政治家。元消防庁長官(第17代)、元参議院議員静岡県副知事埼玉県比企郡吉見町出身。松山中学(現在の埼玉県立松山高等学校)、旧制浦和高等学校東京大学法学部卒業。

来歴・人物

大学卒業後自治省に入省。静岡県副知事、自治省税務局長などを経て、消防庁長官に就任。その後、1988年の埼玉県知事選挙に立候補したが落選。1991年名尾良孝の自殺に伴う補欠選挙に際し、自民党公認候補となり出馬、当選した。三塚派に属した。

1996年科学技術政務次官(第47代)に就任。1997年まで務めた。

1998年、参議院議員選挙で自民党埼玉県連は二議席獲得を目指し、関根と新人の栗原稔埼玉県議会議員、議長。のち秩父市長)を擁立。関根の当選は確実であると見られていた。しかし、栗原に保守票を食われる形となり、結局共倒れした。

ほかに、静岡県広報協会会長(第5代)、参議院国土・環境委員長、参議院建設委員長、参議院逓信委員会委員、参議院地方行政委員会理事、参議院日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会委員、社団法人埼玉県消防施設協会顧問、自由民主党副幹事長、日本防災士機構常任顧問、埼玉医科大学理事、産学協議会顧問、防災情報機構常任顧問などの要職を歴任している。

1998年の落選後は「捲土重来を期す」と表明し選挙再出馬の意思を示していたが、間もなく体調を崩したため政治活動を断念。政界引退となった。2000年の春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。

備考

著書

  • 『地方公営企業法逐条解説』 1968年 地方財務協会
  • 『図説地方財政』 1975年 財経詳報社
  • 『時代の裂け目に』 1990年 日本ブックマネジメント