鉄原郡 (南)
鉄原郡(チョルォンぐん、てつげんぐん)は、朝鮮半島中部、大韓民国江原道にある郡である。軍事境界線を挟んで、北朝鮮にも同名の行政区域がある。
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 철원군 |
漢字: | 鐵原郡 |
日本語読み仮名: | てつげんぐん |
片仮名転写: | チョルォングン |
ローマ字転写 (RR): | Cheorwon-gun |
統計 | |
面積: | 899 km2 |
総人口: | 45,433(2016年[1]) 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 江原道 (南) |
下位行政区画: | 4邑7面 |
行政区域分類コード: | ? |
鉄原郡の木: | チョウセンマツ |
鉄原郡の花: | クロフネツツジ |
鉄原郡の鳥: | ツル |
自治体公式サイト: | 鉄原郡 |
歴史
- 分断前の地理・歴史については鉄原郡を参照
旧鉄原邑が壊滅したあと、葛末面(現在の葛末邑)に新たに作られた中心市街は、新鉄原と呼ばれている。
現郡域の西側半分が旧鉄原郡で、東側は旧金化郡の南部にあたる。郡域が東西に伸びたため、軍事境界線の全長の約28%が郡を通過することとなった。
- 1953年7月27日 - 朝鮮戦争の休戦に伴い、鉄原邑・葛末面・東松面・新西面の全域と於雲面・畝長面の大部分・寅目面・北面・乃文面のそれぞれ一部を韓国が収復。
- 1954年10月21日 - 収復地区臨時行政措置法により、鉄原郡に対する施政権が回復。下記の1邑3面で再出発。
- 鉄原邑(畝長面を編入)・葛末面・東松面(於雲面を編入)・新西面(寅目面の収復地区を編入)
- その他、非武装地帯内の民間人非居住地区として北面の楡井里・洪元里および乃文面篤倹里を設置。
- 1963年1月1日 - 行政区画の見直しを実施(2邑9面)。
- 1972年12月28日 - 軍事境界線と接する部分において区画の見直しを実施(2邑9面)。
- 北面の楡井里・洪元里と乃文面篤倹里が鉄原邑に編入。
- 平康郡南面亭淵里が葛末面に編入。
- 1973年7月1日 - 西面の一部が金化邑に編入(2邑9面)。
- 1979年5月1日 - 葛末面が葛末邑に昇格(3邑8面)。
- 1980年12月1日 - 東松面が東松邑に昇格(4邑7面)。
行政
4邑7面からなる。郡庁は葛末邑新鉄原里にある。郡守は李賢鍾(이현종)
邑・面 | 法定里 | 備考 |
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鉄原邑 | 官田里、中里、月下里、花地里、栗梨里、四要里、外村里、内浦里、洪元里、楡井里、山明里、加丹里、中細里、大馬里、篤検里 | |
金化邑 | 鶴沙里、邑内里、生昌里、岩井里、雲長里、龍楊里、甘鳳里、清陽里、道昌里 | |
葛末邑 | 新鉄原里、芝浦里、江浦里、軍炭里、文恵里、内垈里、地境里、土城里、上糸里、東幕里、亭淵里 | |
東松邑 | 二坪里、五徳里、長興里、梧地里、上路里、大位里、観雨里、陽地里、二吉里、下葛里、中江里、江山里 | |
西面 | 自等里、瓦水里 | |
近北面 | 楡谷里、金谷里、柏徳里、栗木里 | |
近東面 | 光三里、芳通里 | 民間人非居住 |
近南面 | 馬峴里、沙谷里、陽地里、六丹里、蚕谷里、豊巌里 | |
遠東面 | 登大里、松室里、龍淵里、細峴里 | 民間人非居住 |
遠南面 | 開野里、慶祥里、竹垈里、白楊里、南屯里、月峰里、楓洞里、住波里、九龍里、芦洞里、榛峴里 | 民間人非居住 |
任南面 | 達田里、科湖里、佐佩里、水洞里 | 民間人非居住 |
産業
農業地帯で、鉄原五台米とよばれるブランド米の生産で知られる。
郡庁公式サイトによれば、人口は1995年に約65,000人とピークを迎えたが、離農によって減少している。
観光
戦跡をめぐり国防意識を高める「安保観光」が行われている。
交通
鉄道
脚注
- ^ “Statistical Datebase/Population, Households and Housing Units”. 統計庁 (2017年8月31日). 2018年2月7日閲覧。
関連項目
外部リンク
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