金化郡

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金化郡
位置
北朝鮮・江原道
各種表記
ハングル 김화군
漢字 金化郡
発音 キムファグン
日本語読み: きんかぐん
ローマ字転写 Kimhwa-gun
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金化郡(キムファぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国江原道に属する郡。軍事境界線に接する。

地理[編集]

朝鮮戦争によって郡域が分断された。かつての郡中心部(本来の金化邑)は、大韓民国側の江原道鉄原郡にある。

隣接行政区[編集]

歴史[編集]

前近代[編集]

高句麗時代、この地域には夫如郡、母城郡という2つの郡があった。統一新羅時代には夫如郡が富平郡と改称され、母城郡が益城郡と改称した。高麗時代の1018年、富平郡は金化郡に、益城郡は金城郡に改称した。その後それぞれ県に降格され、朝鮮王朝時代は江原道に属する金化県・金城県として続いた。

近代[編集]

  • 1895年 - 春川府所属の金化郡・金城郡となった(二十三府制
  • 1896年 - 江原道の所属となる(十三道制
  • 1908年 - 金化郡は金城郡に併合される。
  • 1914年 - 行政区画再編の際に金化郡が再設置され、金城郡が金化郡に併合される。金化郡に以下の面が成立。(12面)
    • 郡内面・近南面・近東面・近北面・金城面・西面・遠南面・遠東面・遠北面・任南面・岐梧面・通口面
  • 1917年 - 郡内面が金化面に改称。(12面)
  • 1939年 - 岐梧面が昌道面に改称。(12面)
  • 1941年10月1日 - 金化面は金化邑に昇格した。(1邑11面)

1945年8月15日の時点で、金化郡には1邑11面(金化邑・近南面・近東面・近北面・金城面・西面・遠南面・遠東面・遠北面・任南面・昌道面・通口面)が存在した。

第二次大戦後[編集]

第二次世界大戦後、北緯38度線以北の金化郡は、全域が北半部の政体の実効統治範囲となった。

朝鮮戦争末期には、鉄原平康と金化とを結ぶ一帯が「鉄の三角地帯」と呼ばれる激戦地になった。1952年、北朝鮮は行政区画の統廃合を行った。これにより金化郡は廃止され、昌道郡に編入された。

1954年、昌道郡から昌道里(従来の昌道邑)・金城里などを含む地域が分割され、金城里を人民委員会所在地(金化邑)として、金化郡が再設置された(1邑19里)。

大韓民国の金化郡[編集]

大韓民国政府の立場では、1952年の統廃合も含め、朝鮮民主主義人民共和国政府が統治下で行った行政区画の変更を認めておらず、「以北」では1945年8月15日時点の行政区画が凍結されている。朝鮮戦争により、かつての金化郡域の南部にあたる1邑7面(金化邑・西面・近北面(一部)・近東面・近南面・遠東面(一部)・遠南面・任南面(一部))は韓国の実効支配地域に入った。

1954年10月21日、韓国政府は収復地区臨時行政措置法により、地方行政機関としての金化郡を再建した。このため、韓国の行政区画として江原道金化郡が存在することとなった。1963年、韓国が実効統治する金化郡地域は鉄原郡に編入された。現在の鉄原郡東北部が旧金化郡域にあたる。旧金化郡域は大部分が民間人統制線内部となるため、定住人口があるのは金化邑・西面・近南面のみである。なお、軍事境界線以北には「未収復の金化郡」が残っていることになっており、以北五道の下で名誉職の郡守・面長が任命されている。

  • 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、金化邑・近北面・近東面・遠南面・遠東面・任南面・西面・近南面を金化郡として「収復」。(1邑7面)
  • 1963年1月1日 - 金化邑・近北面・近東面・遠南面・遠東面・任南面・西面・近南面が鉄原郡に編入。金化郡消滅。

外部リンク[編集]