鉄原郡

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鉄原郡(チョルウォンぐん、てつげんぐん)は、朝鮮半島中部の江原道にある郡である。軍事境界線を挟んで、韓国北朝鮮の双方に同名の行政区域がある。

地理[編集]

江原道の中西部に存在し、京畿道に接する。江原道では少ない平地である鉄原平野に位置する。この平野は周囲を高い山脈に囲まれた溶岩台地であり、平坦で水も豊富なことから穀倉地帯として知られていた。

朝鮮半島を横断する軍事境界線の中央部にあたる。人間による開発の手が及ぶことがなくなった軍事境界線付近は、渡り鳥の飛来地としても有名である。

気候[編集]

北朝鮮国境に近く、韓国で最も寒さの厳しい地域であり、厳冬期には-20度を下回ることも少なくない。

  • 最高気温極値36.9℃(1988年8月10日)
  • 最低気温極値-29.2℃(2001年1月16日)
鉄原の平均気温と降水量[1]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温(C -5.3 -2.6 3.4 10.4 16.0 20.7 23.7 24.0 18.5 11.2 4.2 -2.3 10.2
最高気温(C 0.8 3.8 9.8 17.6 22.3 26.1 28.0 28.9 24.8 18.6 18.6 3.4 16.2
最低気温(C -10.9 -8.6 -2.5 3.3 10.1 15.9 20.2 20.0 13.3 4.9 -1.2 -7.6 4.7
降水量(mm 21.8 25.1 41.9 53.4 108.9 134.0 376.6 304.8 143.8 45.9 56.2 23.3 1335.7

歴史[編集]

白馬高地戦跡記念碑

古代には高句麗に属した領域で、鉄円または毛乙冬非と呼ばれた。統一新羅時代に景徳王によって鉄城に改称された。新羅末の動乱期には弓裔が鉄円(鉄原)に首都を置いた。高麗が建国されると鉄原と改められ、次いで東州と改められた。朝鮮王朝時代以来、鉄原には都護府が置かれ、付近の行政の中心となり、江原道に属した。

植民地時代、郡内を京元線が貫き、鉄原駅からは金剛山電気鉄道が分岐して金剛山観光の拠点となっていた。鉄原邑には京城地方法院鉄原支庁・鉄原中学・鉄原高女・鐘紡の工場があり、江原道北部地域の交通・行政・農商工業の中心であった。

日本が敗戦を迎えると、38度線以北であったこの地にはソ連軍が入り、全域が北側の統治体制の下に置かれた。朝鮮戦争時、特に双方が休戦交渉に向けて有利な状況を確保しようとした戦争末期において、鉄原・金化平康を結ぶ地域は「鉄の三角地帯」と呼ばれ、寸土を争う激戦地となった。

鉄原のかつての中心部は、現在の韓国側の領域にあるが、激戦によって廃墟と化した。南北ともに、旧中心部から離れた場所に「鉄原」の名を持つ町を再建している。韓国側では鉄原駅跡に旧鉄原を描いた看板が立てられ、往時がしのばれている。

年表[編集]

  • 新羅時代 - 鉄城と称する。
  • 新羅末 - 弓裔が都を置く。
  • 918年 - 鉄原に改称。
  • 1018年 - 東州に改名。
  • 1254年 - 州から県に降格。
  • 1310年 - 鉄原府に復す。
  • 1412年 - 都護府とする。
  • 1444年 - 京畿道から江原道に移される。
  • 1895年5月26日 - 春川府鉄原郡となる(二十三府制)。
  • 1896年8月4日 - 江原道鉄原郡となる。
  • 1914年3月1日 - 京畿道朔寧郡の一部(乃文面・寅目面・馬場面)が鉄原郡に編入。鉄原郡に以下の面が成立(10面)。
    • 於雲洞面・東松面・葛末面・北面・西辺面・畝長面・乃文面・馬場面・寅目面・新西面
  • 1917年3月1日 (10面)
    • 西辺面が鉄原面に改称。
    • 於雲洞面が於雲面に改称。
  • 1931年4月1日 - 鉄原面が鉄原邑に昇格(1邑9面)。
  • 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。

行政[編集]

1931年の鉄原邑昇格以降、以下の邑面が置かれていた。

  • 鉄原邑
  • 東松面・葛末面・於雲面・北面・乃文面・馬場面・寅目面・畝長面・新西面


韓国政府統治範囲[編集]

江原道 (南) 鉄原郡
位置
Map Cheorwon-gun.PNG
各種表記
ハングル: 철원군
漢字: 鐵原郡
日本語読み仮名: てつげんぐん
片仮名転写: チョルウォングン
ローマ字転写 (RR): Cheorwon-gun
統計
面積: 899 km²
総人口: 43,281(2005年) 人
行政
国: 韓国の旗 大韓民国
上位自治体: 江原道 (南)
下位行政区画: 4邑7面
行政区域分類コード:
鉄原郡の木: チョウセンマツ
鉄原郡の花: クロフネツツジ
鉄原郡の鳥: ツル
自治体公式サイト: 鉄原郡

歴史[編集]

旧鉄原邑が壊滅したあと、葛末邑に新たに作られた中心市街は、新鉄原と呼ばれている。

現郡域の西側半分が旧鉄原郡で、東側は旧金化郡の南部にあたる。郡域が東西に伸びたため、軍事境界線の全長の約28%が郡を通過することとなった。

  • 1954年10月21日 - 収復地区臨時行政措置法により鉄原邑・畝長面・葛末面・東松面・於雲面・新西面・寅目面を鉄原郡として「収復」(1邑3面)。
    • 畝長面が鉄原邑に編入。
    • 於雲面が東松面に編入。
    • 寅目面が新西面に編入。
  • 1963年1月1日(2邑9面)
    • 金化郡金化邑・西面・近北面・近東面・近南面・遠東面・遠南面・任南面を編入。
    • 新西面が京畿道漣川郡に編入。
  • 1972年12月28日(2邑9面)
    • 北面・乃文面の各一部(大韓民国にある部分)が鉄原邑に編入。
    • 平康郡南面の一部(大韓民国にある部分)が葛末面に編入。
  • 1973年7月1日 - 西面の一部が金化邑に編入(2邑9面)。
  • 1979年5月1日 - 葛末面が葛末邑に昇格(3邑8面)。
  • 1980年12月1日 - 東松面が東松邑に昇格(4邑7面)。

行政[編集]

4邑7面からなる。郡庁は葛末邑新鉄原里にある。郡守はチョン・ホジョ(정호조

  • 鉄原邑(チョルウォン=ウプ/철원읍
  • 金化邑(キムファ=ウプ/김화읍
金化郡の中心。1941年10月1日邑制施行。
  • 葛末邑(カルマル=ウプ/갈말읍
新鉄原がある中心部。
  • 東松邑(トンソン=ウプ/동송읍

  • 西面(ソ=ミョン/서면
  • 近南面(クンナム=ミョン/근남면
  • 近北面(クンボク=ミョン/근북면
  • 近東面(クンドン=ミョン/근동면
  • 遠東面(ウォンドン=ミョン/원동면
  • 遠南面(ウォンナム=ミョン/원남면
  • 任南面(イムナム=ミョン/임남면
西面・近南面以外の5面には定住している人々はいない。

警察[編集]

消防[編集]

産業[編集]

農業地帯で、鉄原五台米とよばれるブランド米の生産で知られる。

郡庁公式サイトによれば、人口は1995年に約65,000人とピークを迎えたが、離農によって減少している。

観光[編集]

戦跡をめぐり国防意識を高める「安保観光」が行われている。

交通[編集]

鉄道[編集]

  • 京元線
    • 白馬高地駅
      • 白馬高地駅は京元線の韓国側の終着駅であるとともに、韓国最北端の駅でもある。

脚注[編集]

外部リンク[編集]


北朝鮮政府統治範囲[編集]

鉄原郡
位置
北朝鮮・江原道
各種表記
ハングル 철원군
漢字 鐵原郡
発音 チョルウォングン
日本語読み: てつげんぐん
ローマ字転写 Ch'ŏrwŏn-gun
テンプレートを表示

北朝鮮側の現在の「鉄原邑」は旧鉄原邑から大きく離れた場所にある。周辺地域を編入したため、郡域も朝鮮戦争前に比べて西側に移動している。

歴史[編集]

  • 1946年12月 - 京畿道永平郡(抱川郡)永中面・永北面・二東面・一東面を鉄原郡に編入。
    • 一東面が二東面に編入。
  • 1952年12月 - 鉄原郡馬場面・寅目面・乃文面、於雲面および北面の各一部に、伊川郡東面・安峡面と西面の一部、平康郡西面の一部、漣川郡朔寧面と西南面の一部、黄海道金川郡兎山面の一部を編入して鉄原郡を設置(41里)

外部リンク[編集]


関連項目[編集]