釧路郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Rezabot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月30日 (水) 16:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: it:Distretto di Kushiro)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

釧路郡(2.釧路町)


釧路郡(くしろぐん)は、北海道釧路総合振興局に所属する

人口18,523人、面積252.04km²、人口密度73.5人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

歴史

江戸時代の釧路郡域は、寛永年間に松前藩によって開かれたクスリ場所に含まれていた。

江戸時代以前から明治時代初頭の交通について、陸上交通は、沿岸部沿いに渡島国箱館から千島国方面に至る道の途上となっており、文化2年には西の白糠郡方面から釧路郡に至る道(国道38号の前身)が、釧路郡から東の厚岸郡に至る道(道道根室浜中釧路線の前身)も寛政11年から12年にかけて釧路-仙鳳趾(せんぽうし)間9里(35.3km)に馬の通行にも支障ない道が、文化5年箱館奉行の許可を受け蝦夷を雇った厚岸在住の士丹羽金助によって、厚岸-仙鳳趾間約5里半(21.6km)が開削されている。海上交通は、北前船の航路が開かれ釧路に寄航することもあった。

江戸時代中期寛延4年には後の釧路市城山に相当する地域に蝦夷アイヌ)によってモシリヤチャシが築造されている。江戸時代後期、釧路郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年釧路郡域は天領とされた。厳島神社はこの頃の創建である。文政4年に釧路郡域は一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。1869年釧路郡が置かれる。北海道釧路国に属した。

参考文献

  • 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)

外部リンク