軽機関銃

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軽機関銃(けいきかんじゅう,LMG)は、3脚や銃架に乗せて固定的に運用する重機関銃に対して、一人で持ち歩きできるぐらいに軽量化した野戦用の機関銃を指す。

持続射撃能力を妥協して軽便性を重視した結果、ボックス型の弾倉を用いることが多く、銃身交換機能が無いものも多い。

MG34機関銃を嚆矢とする軽機関銃と重機関銃の二つを統合した汎用機関銃が一般的となると、軽機関銃というカテゴリーは自然消滅した。

現代では、アサルトライフルの弾薬を使用する分隊支援火器が近い立ち位置を占めるている。


歴史

黎明期

第一次世界大戦初期において、それまでの陸戦の様相を一変させた各国の機関銃はほとんど全て後の重機関銃に分類されるものであった。すでに戦前には二脚や弾倉式の給弾機構といった軽機関銃の特徴を備えた「軽い機関銃」がいくつか存在していたが、あまり重視されず軍によって本格的に採用されることはなかった。

戦場では各所に据えられた機関銃によって守られた陣地に対し、従来の大規模な歩兵の密度の高い横隊突撃は為すすべなく撃ち倒され全くの時代遅れとなり、小部隊ごとに広く散開する戦術が取られるようになった。その一方、散開によって低下した歩兵の火力の補完とその支援にはやはり機関銃が用いられたが、従来の重機関銃は重く、攻撃前進に追随するには困難が伴った。その解決策として重機関銃の機構のいくつかを簡略化し軽量化したものなども作られたが、次第に新しい戦術に適応した射手が一人で持ち運び、二脚を備え、給弾手とともに第一線歩兵の前進に追求できる軽機関銃が参戦国の間で広く用いられるようになった。

第一次世界大戦中~1920年代には各国で運用法の研究が行われ、戦術面において軽機関銃の火力と運用性は小隊や分隊といった小単位での戦闘行動を可能にした。列強では概ね各一個歩兵分隊あたり1挺の軽機関銃が配備され、攻撃前進を直接支援するものとして使用された。

軽機関銃の成熟

第一次大戦期の軽機関銃は急造の感が否めないものが多かったが、第二次大戦前夜には技術が成熟し、名実ともに分隊火力の中核をになった。例えば信頼性の高いチェコ製ZB26軽機関銃は、世界中に輸出され、第二次大戦中には英国、中国などがZB26系列の軽機関銃を主力に戦った。アメリカ陸軍のみBARという軽機関銃に類似しているが、より能力の劣る分隊支援火器をその用途に充てた。

汎用機関銃の登場と軽機関銃の消滅

第二次世界大戦前夜に採用されたドイツ国防軍MG34機関銃は、従来の重機関銃と軽機関銃の二つのカテゴリーを統一する存在となった。この銃は対空任務をこなせるほど発射速度が高く、またベルト給弾と銃身交換機能によって持続射撃能力も高かったため、三脚や銃架に載せて重機関銃として運用できた。それでいて軽量だったため、二脚を装備しての軽機関銃的な運用もごく当然に行えた。

MG34の後継汎用機関銃として第二次世界大戦を共に戦ったMG42機関銃が、現在でもMG3機関銃としてドイツ連邦軍をはじめ欧州各国で使用されて続けている事がその先進性を物語っている。

第二次世界大戦後はこれらに範をとった汎用機関銃が世界に広まった事により、従来の重機関銃・軽機関銃は姿を消す事となった。

より携帯性の高い分隊支援火器の登場

長い間、自動小銃と軽機関銃の中間的な位置づけの分隊支援火器は世界的なものでは無く、アメリカ陸軍が用いていた概念に過ぎなかった。しかし軽量短小弾薬を使用するアサルトライフルが歩兵全般に普及したことで、その弾薬を使用する小型の軽機関銃が登場し、汎用機関銃と区別するために分隊支援火器と呼ばれるようになる。

まずAKシリーズが成功した東欧圏から利用されるようになり、後に西側諸国も主流の弾薬が7.62mm弾から5.56mm弾に移行したことにともない、分隊支援火器が普及した。

小型な分、汎用機関銃より携帯性がよいものの射程、持続射撃力、制圧力などが劣るため、どちらかが一方を駆逐するには至っていない

主な軽機関銃

軽機関銃的な運用が行われた銃(分隊支援火器)

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

関連項目