萩原仁

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萩原 仁
はぎはら ひとし
生年月日 (1967-09-12) 1967年9月12日(56歳)
出生地 日本の旗大阪市
出身校 近畿大学商経学部
浪速高等学校
前職 衆議院議員
所属政党民主党→)
国民の生活が第一→)
日本未来の党→)
新党大地
公式サイト 萩原 仁ホームページ

選挙区 大阪2区
当選回数 1回
在任期間 2009年 - 2012年11月16日
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萩原 仁(はぎはら ひとし、1967年9月12日 - )は、日本政治家。元衆議院議員(1期)。

略歴

大阪市生まれ。私立浪速高等学校を経て近畿大学商経学部に入学。卒業後は松下電工に就職し、27歳で萩原都市建築研究所を設立した。2005年第44回衆議院議員総選挙民主党公認として大阪2区から出馬するが、自由民主党の公認を受けた川条志嘉に21008票の差をつけられて落選。同選挙区では、郵政民営化に反対して無所属となった左藤章も出馬し、川条とは2530票差をつけられた。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、連合大阪の支援を受け[1]、再び大阪2区から出馬し、初当選した(この選挙でも、左藤や川条と小選挙区の議席を争ったが、次点の左藤とは19064票差、川条とは56535票差をつけた。)早々に一新会入りし、いわゆる「小沢チルドレン」の象徴的存在と目されていたが、小沢一郎陸山会を巡る政治資金疑惑の最中の2010年3月、同じ民主党所属衆議院議員の横粂勝仁がテレビインタビューを受け小沢の辞任問題に話が及ぶといきなり「おい横粂!あかん、こっちへ来い!」と怒鳴って制止した[2]

2010年9月の民主党代表選挙において、小沢一郎支持であった萩原は、代表選に勝った菅直人支持の同期の1回生議員らが偶然通りがかると 「勝ち組が来た。おれらを下に見て…。覚えておけよ。おまえらとは一生口をきかんわ!」と罵声を浴びせた[3]

2012年内閣総理大臣野田佳彦消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判した[注釈 1]衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では、反対票を投じた。同年7月2日に民主党に離党届を提出したが、受理されずに9日に除籍処分が確定[4]。同月11日の国民の生活が第一の結党に参加した[5]

同年12月16日第46回衆議院議員総選挙日本未来の党公認で大阪2区から出馬するも、当選した左藤らに敗れ4位に終わり落選。前回小選挙区当選者ながら供託金を没収される大敗を喫した。2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙には新党大地公認で比例区から出馬するも、落選した。

不祥事

脚注

  1. ^ 連合大阪 活動と情報>選挙 > 第45回衆議院議員選挙[1]
  2. ^ テレビにバッチリ映った!小沢“親衛隊”言論封殺現場 zakzak、2010年03月20日
  3. ^ 産経新聞 【新民主党解剖】第9部癒えぬ傷跡(上)≪後≫ 「脱小沢」「挙党」…出口ない迷路
  4. ^ 鳩山元首相、党員資格停止3カ月に短縮 小沢元代表ら37人除籍処分は原案通り 民主党臨時常任幹事会 - 産経ニュース 2012年7月9日
  5. ^ 新党の参加議員 - 時事ドットコム 2012年7月11日
  6. ^ 「民主・萩原仁氏の運動員に報酬渡す 容疑の支援者逮捕/大阪府警」 読売新聞大阪朝刊, p.33, 2009年9月6日
  7. ^ 「民主・萩原氏支援者が運動員に報酬を約束 容疑で逮捕/大阪府警」 読売新聞大阪朝刊, p.37, 2009年9月17日
  8. ^ 統一協会、民主に接近 集団結婚参加者が選挙応援しんぶん赤旗2010年1月5日

注釈

  1. ^ 野田は「消費税の引き上げを現在の衆議院議員の任期終了後となる14年4月を予定しているため、公約違反ではありません」と述べている。j-cast2012年1月27日

関連項目

外部リンク