美流渡駅

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美流渡駅
駅構内に設置されている美流渡駅跡の石碑
みると
Miruto
朝日 (3.7 km)
(6.4 km) 万字
所在地 北海道岩見沢市栗沢町美流渡本町
北緯43度9分46.4秒 東経141度54分51.1秒 / 北緯43.162889度 東経141.914194度 / 43.162889; 141.914194座標: 北緯43度9分46.4秒 東経141度54分51.1秒 / 北緯43.162889度 東経141.914194度 / 43.162889; 141.914194
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 万字線
キロ程 15.9 km(志文起点)
電報略号 ミル
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1914年大正3年)11月11日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)4月1日[1]
備考 万字線廃線に伴い廃駅
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1976年の美流渡駅と周囲1km範囲。左が志文駅方面。右下隅へ真っ直ぐ敷かれているのが本線万字炭山方面で、本駅東の踏切から本線横の南側を直線的に並走した後、右下隅の少し手前から下へカーブして離れて行くのが、小道に転用されたかつての美流渡炭礦専用鉄道の軌道跡。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

美流渡駅(みるとえき)は、北海道空知郡栗沢町(現・岩見沢市栗沢町)美流渡本町にあった日本国有鉄道(国鉄)万字線廃駅)である。電報略号ミル事務管理コードは▲132003[2]

歴史[編集]

  • 1914年(大正3年)11月11日 - 国有鉄道万字軽便線志文駅 - 万字炭山駅間開通に伴い開業[3][4]一般駅[1]
  • 1920年(大正9年)12月26日 - 北海道炭礦汽船(後に北星炭礦に分社)美流渡礦専用鉄道運輸開始。
  • 1922年(大正11年)9月2日 - 線路名を万字線に改称、同線の駅となる。
  • 1928年(昭和3年)以前 - 当駅-奈良炭礦(後の東幌内炭礦)貯炭場間 約1里(約4km)に762mmの軽便軌道敷設。馬車及び機関車にて運炭[5]
  • 1963年(昭和38年)9月 - 駅舎改築。
  • 1967年(昭和42年)10月16日 - 北星炭礦美流渡礦専用鉄道廃止。
  • 1970年(昭和45年)8月17日 - 専用線発着車貨物以外の貨物取扱い廃止[1]
  • 1978年(昭和53年)5月1日 - 貨物取扱い廃止[1]
  • 時期不詳[注 1] - 業務委託化。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[1]
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 万字線の廃線に伴い廃止となる[1]

駅名の由来[編集]

駅所在地は開設当時「栗沢村字滝ノ上[6][注 2]」だったが、既に夕張線(→石勝線)に滝ノ上駅があったため対岸の地名だった「ミュルトマップ」の上部を採用し駅名とした[7][4]

「ミュルトマップ」の由来については1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』ではアイヌ語由来としつつ「意味は不明[4]」としており、アイヌ語研究者の山田秀三も「ひどく訛った名であろう。このままでは解しようがない[8]」としている。

なお、元の名称について本多貢は「シㇽウトㇿオマㇷ゚(sir-utor-oma-p)」(山の・間に・ある・もの〔川〕)と解している[9]

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(万字炭山方面に向かって右手側)に存在した[10]転轍機を持たない棒線駅となっていた。かつては上志文駅と全く同じ千鳥状に離れた単式ホーム2面2線と駅裏側に副本線、駅舎横の志文側に貨物ホームと2本の引き込み線を有していた[11]

業務委託駅となっていた[10]。駅舎は構内の南側に位置しホーム西側に接していた[10]

当駅から上美流渡炭山(美流渡炭山)まで北星炭礦美流渡礦専用鉄道が分岐していた。同鉄道の乗降ホームはやや離れたところに設置されていた。

利用状況[編集]

  • 1981年度の1日乗降客数は83人[10]

駅周辺[編集]

バス路線[編集]

交通センター前にバスが発着する。停留所名は「美流渡交通センター」。

  • 北海道中央バス
    • 万字線 岩見沢ターミナル - グリーンランド - 美流渡交通センター - 毛陽交流センター
      • かつては万字簡易局前(旧万字駅)まで運行されていたが、2008年4月1日のダイヤ改正で路線が短縮された。
  • 岩見沢市営バス(旧:栗沢町営バス)
    • 万字線 栗沢支所 - 美流渡交通センター - 美流渡緑町 - 美流渡交通センター - 毛陽交流センター - 万字簡易局前
      • 無料で利用可能。[1]

駅跡[編集]

鉄道関連施設は廃線後に撤去され、跡地に美流渡交通センターが建築された。敷地内に駅名標をかたどった「国鉄万字線美流渡駅跡」の石碑とモニュメントとして2個の踏切警報機車止めが設置されている[12][13]。碑文の内容は以下の通り[13]

大正三年十一月十一日、室蘭線志文駅より分岐する万字線(志文~万字炭山間)が開通し、美流渡駅が開設される。日本国有鉄道経営再建促進特別措置法に基づいて、昭和六十年三月三十一日で廃止となり、七十余年の歴史を閉じるにあたり、万字線の果たした役割を後世に残すため建立するものである。 — 昭和六十年十一月三十日 栗沢町長 中山稔

万字線鉄道資料館[編集]

1985年(昭和60年)、栗沢町(当時)により美流渡交通センター2階に「万字線鉄道資料館」が設置され、備品、乗車券類などの万字線関連資料や写真が展示されていたが[12]、施設や設備の老朽化を理由に、2021年(令和3年)3月8日をもって休館、7月1日に閉館した[14]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
万字線
朝日駅 - 美流渡駅 - 万字駅
北星炭礦
北星炭礦美流渡礦専用鉄道
美流渡駅 - 桜駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1981年(昭和56年)4月時点では直営駅(書籍『コロタン文庫36 国鉄駅名全百科 56.4訂補版』(小学館1981年10月発行)49ページより。)、1983年(昭和58年)7月時点では業務委託駅であった(書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)70ページより)。
  2. ^ 当地付近の幌向川にある滝に由来。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、860-861頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、227頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ 『官報』 1914年11月04日 鉄道院告示第102号(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、86頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 栗沢町史 昭和39年12月発行 P1015。時期不詳だが当駅裏に選炭場及びホッパーを設置。
  6. ^ 万字線建設概要』鉄道院北海道建設事務所、1914年。doi:10.11501/944865https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944865 
  7. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、44-45頁。NDLJP:1029473 
  8. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、43頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  9. ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 88. ISBN 4893637606. OCLC 40491505. https://www.worldcat.org/oclc/40491505 2018年10月28日閲覧。 
  10. ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)70ページより。
  11. ^ 昭和3年 線路一覧略図 札幌鉄道局。
  12. ^ a b 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング1998年11月発行)30ページより。
  13. ^ a b 1.記念碑・顕彰碑など 先人の労苦を偲ぶ” (PDF). 岩見沢市. 2022年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月29日閲覧。
  14. ^ 万字線鉄道記念館|市政情報|岩見沢市ホームページ

関連項目[編集]