秋田児童連続殺害事件

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秋田児童連続殺害事件(あきた じどうれんぞくさつがいじけん)とは、2006年平成18年)に秋田県山本郡藤里町で2人の児童が殺害された事件。

概要

2006年(平成18年)4月10日に小学校4年生の女子児童が、自宅から10キロ離れた川で水死体となって発見され、さらに5月に被害女子児童の2軒隣の男子児童が5月18日午後に約12km離れた川岸で遺体で発見された。

初めの事案について秋田県警は当初事故と判断していたが、1ヶ月の間に2人も亡くなっていることに疑問を抱き再捜査を始め、6月4日に女子児童の母親を事件の容疑者として逮捕した。

秋田県警は、初動捜査の不手際を完全に否定していたが、容疑者のうそをうのみにし、当初は80人体制だった捜査員を20人にまで減らしていた。これについては漆間巌警察庁長官7月20日の定例会見の中で、「聞き込みなどが本当に十分だったのか、もう1度検証する必要がある」と秋田県警に苦言を呈している。

また、この事件では女子児童の母(後に犯人と判明)が当初「長女を事故だと断定した警察に不信感がある」などとしており、自らで長女の消息を求めるビラなどを付近に配布するなどの行動を起こしている。ところがビラを配るなどの容疑者の行動はいささか不可解だという見解が、ニュースワイドショーなどで大きく取り上げられることになった。

一方、「容疑者(被告人)が事故ではなく事件にしたがったのは、犯罪被害者給付金目当てでは?」ともささやかれている。容疑者は、供述内容をコロコロと変えたり、明らかに不自然な供述を繰り返すなどしている。

経緯

  • 2006年4月9日 - 秋田県藤里町の小学4年の女児児童Aが行方不明となった。
  • 2006年4月10日 - 行方不明となっていたAが自宅から南へ約10km離れた能代市内の川で水死体として発見された。
  • 2006年5月17日 - 午後3時、被害に遭った男子児童Bの友人が、約束の時間になっても、約束場所に現れないことが心配となり、自宅に行ったところ、Bが直前に下校途中に別れてから、自宅に帰っていないことが判明。午後5時過ぎ、家族が秋田県警に捜索願を提出。
  • 2006年5月18日 - 午後3時、能代市の市道脇で、ジョギング中の男性が遺体を発見。秋田県警は遺体の状況から殺人事件と断定し、捜査本部を設置。司法解剖の結果、Bの死因は首を絞められたことによる窒息死と判明。
  • 2006年6月5日 - 捜査本部は、4月に水死したAの母親のXを、Bの死体遺棄の疑いで逮捕。Xの自宅から血痕や、Bのものとみられる体液も分析の結果発見され、有力な物証とみている。
  • 2006年6月6日 - XがBの殺害をほのめかす供述を始める。
  • 2006年6月25日 - XをB殺害容疑で再逮捕
  • 2006年7月14日 - Xは、4月に起こったAの水死事件に関して、「一緒に魚を見に行った際、橋から転落した。気が動転して助けを呼ばなかった」と供述。これまでの「長女(A)は『(Bに)人形を見せに行ってくる』と言ったきり戻ってこない」という供述を自らが覆す。
  • 2006年7月15日 - Xが「長女を橋からつき落とした」と供述。
  • 2006年7月18日 - XをA殺害容疑で再逮捕。同日、秋田地方検察庁はB殺害容疑でXを起訴
  • 2006年8月9日 - XをA殺害容疑で追起訴。前日、Xは「なんで私が犯人なの?」などと今までの自身の供述を自身で真っ向否定する供述をしている。
  • 2007年9月12日 - 殺人と死体遺棄の罪に問われたXの初公判秋田地方裁判所であった。Xは、B殺害は認めたものの、Aの殺意を否認。またB殺害についても、当時自分の精神状態が正常だったかどうか自信がないと述べる。
  • 2008年3月19日 - Xの判決公判が秋田地裁であり、藤井俊郎裁判長はXに無期懲役判決を言い渡した。判決要旨としては、「2人の殺害は殺意を持って行われたが、計画性はない」「B君殺害時の刑事責任能力は認められる」というもの。弁護側は控訴し、検察側も控訴する。
  • 2009年3月25日 - 控訴審判決が仙台高等裁判所秋田支部であり、竹花俊徳裁判長は地裁判決を支持し、弁護・検察双方の控訴審を棄却。弁護側のみ上告
  • 2009年5月19日 - 弁護側が上告を取り下げたため、地裁が下した無期懲役判決が確定。

報道などをめぐる問題

この事件では、容疑者が身を寄せていた実家にメディアが殺到し(メディアスクラム)、一部メディアは容疑者が外出する際に追走したりし、周辺住民の間からもメディアの取材に対する苦情トラブルが相次いで起こった。こうした事態を重く見たBPO(放送倫理・番組向上機構)は、5月24日、放送各社に「節度をもって取材に当たる」よう要望する事態にまで発展。

このメディアスクラムは、1994年(平成6年)に起こった松本サリン事件1998年(平成10年)に和歌山毒物カレー事件でも問題になったが今回の事件ではこれらの教訓が全く生かされなかったとの指摘も出ている。

また、容疑者が逮捕される前から容疑者に関するプライバシーが、週刊誌を中心にセンセーショナルに報道された。これについてある週刊誌の記者は、東京新聞の取材に対し「この事件に対する世間の関心は非常に高い。いろいろな噂がある中で何が真実かを確認するには、本人に取材せざるを得ない。やむを得ないのではないか」(2006年6月8日付東京新聞)と報道の意義を強調している。しかし、容疑者が特定・逮捕されていない段階でこうした報道がなされたことに対しては「逮捕されていない人が、逮捕されたかのような扱いで、推定無罪という考え方がどこかへ飛んでいってしまっている」(松本サリン事件報道被害を受けた河野義行2006年6月8日付東京新聞)と言った批判も出ている。結果的に翌年の香川・坂出3人殺害事件でこの危惧は現実のものとなった。

一方、産経新聞6月6日付けの社説でこうした過熱取材を自己批判する社説を掲載したり、東京新聞が6月8日付けの紙面でメディアスクラムを検証するなど報道する側からもこうした過熱取材に対する疑問が提起された。

また、容疑者の高校生時代の卒業アルバムがテレビで公開され、容疑者が高校時代にいじめに遭っていたとも取れる寄せ書きが卒業アルバムに記載されており、容疑者の母校や同級生に対して非難が殺到した。ちなみにその卒業アルバムには容疑者の将来として「自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人・野生化」と書かれていた。

だが、この事件は「狭い田舎の町で短期間で2人もの子供が亡くなる」という特異性から、地元住民などは元から「長女の死は事故ではない」と考えていた。

報道各社は加熱取材を冷まそうとしていたが、報道各社のサツ回りの中で「実は長女の母親が捜査線上に浮かんでいる」という情報を警察関係者から聞き、ある1社が抜け駆けて紙上で「長女の母親犯人説」を大々的に掲載した。なお、このことについて警察不祥事に関係した著書の多い黒木昭雄は著書で警察の意図的な情報リークの可能性を指摘している。被告証言に依拠するところが多く娘に関しては証拠不足なことや、被告が嘘つきだと宣伝する事で捜査怠慢をごまかすような側面があったためである。

関連項目

外部リンク