神秘体験

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神秘体験(しんぴたいけん、Mystical experience)とは、超常現象など科学的には起こり得ない現象を体験すること。

概要

岸本英夫は神秘体験を「をもをも越えた、特異で純粋な体験」と記述した[1]

体験した本人にしかわからず、他者からはうかがい知ることができない、と言われている。あくまで自己の内部において体験することであって、第三者が確認できるものではない[要出典]、と言う[誰?]

内容はさまざまである。多くは、あるとき突然に、強烈なを見たり、神々しい感情に打ちのめされたりする。その体験のあまりの強烈さに、人格や考え方が一瞬にして変わってしまうことさえある。

科学的研究

ペンシルバニア大学アンドリュー・ニューバーグ英語版は、深い瞑想状態や祈りの状態にある者の脳内の神経学的変化を研究した。ニューバーグによると、深い祈りを込めた瞑想は、上頭頂葉後部の活動を低下させ、血流を減少させていた。また瞑想者のメラトニンセロトニン濃度は上昇し、コルチゾールアドレナリン濃度は低下していた。前者2つのホルモンはリラックス時には上昇し、後者2つはストレス負荷により上昇するので、この変化は理に適っているとした。

こうした研究成果は、あくまでも脳と体験に「対応関係」がある事を示すものである。(脳内の変化が体験を生み出すという因果関係を証明するものでは無い。)ニューバーグは、瞑想時における様々な神秘体験が「客観的な現実であるか」と問われた時に、それは「神経学的な現実」であると返している。[2]

見解

苫米地英人の見解

苫米地英人は、神秘体験を、肉体や脳内に偶然引き起こされる変容とそれに伴う圧倒的な感激体験、と説明した[3]

苫米地の説明によると、このような体験は、宗教セミナーなどによる特定の因果関係準記号、非記号レベルでプログラミングされたためではなく、特別な修行体系などを経て、あるときに偶発的に起こる、という。苫米地は、この体験には圧倒的なリアリティが伴うことから、懐疑的であった科学者でさえも人格が変わったように神秘世界に迷い込むことすらある、と解説した[3]

1960年代アメリカで巻き起こったニューエイジブームや、西海岸でのチベット密教タントラヨーガなどの流行もこれらの修行による圧倒的カタルシス効果がもたらしたものだ、と言う。また、LSDが同様の効果を引き起こすことが知られ、こうしたブームの中で多用された、と言う[3]

苫米地は、こうした体験は、瞑想観想、激しい肉体的な宗教的修行によって引き起こされることも多いが、宗教体系の価値とは無関係であるにもかかわらず、多くのカルトやテロリストでは修行の行為に内因的に含まれるものであって、宗教的意味合いがあるとみせかけることが信者獲得や洗脳の常套手段になっている、とした。苫米地によると、こうした体験に特別な意味づけがなされることで脱洗脳が困難となり、非洗脳者(? 被洗脳者?)がテロリストとなり、大きな犯罪を犯すことが知られている、という。日本では、麻原彰晃オウム真理教でこの手法を使い、地下鉄サリン事件を初めとする数多くの犯罪を起こした。苫米地は、カルトにより神秘体験をさせられ強く洗脳された者をデプログラミング(脱洗脳)させるためには、より強烈な神秘体験、カタルシス体験をさせるしかない、としている[3]

臨死体験も神秘体験の一種である、と言う。生死の境をさまようような大病や大手術、事故などにより死の淵から生還した人がしばしば、光のトンネルや三途の川、お花畑を見たり、またそれを経験した人の多くが突然に信心深くなり、地球の平和を唱えだしたりするのと同様な効果が神秘体験にはある、とした[3]

体験の媒介

神秘体験を惹起するものは多様であるが、以下のようなものが知られている。

脚注・出典

  1. ^ 苫米地は「カタルシス体験」と結びつけて説明した。

出典

  1. ^ 『宗教神秘主義:ヨーガの思想と心理』大明堂 1959 p.216
  2. ^ サム・パーニア『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』三交社
  3. ^ a b c d e f g h i 苫米地英人『洗脳原論』(春秋社 2000年2月15日)
  4. ^ 遠藤康(1999)「ヨーガ的神秘体験と知識 : 岸本英夫の主知的宗教神秘主義体系説をめぐって」

参考文献

関連文献

関連項目